6時間目 道徳 ⑧
タウカンが声を潜めながらも驚いていると、「むー!」だの、「ふぶー!」だの、何か口を覆われているような言葉とは言えないこもった声が聞こえてくる。
まさかここにまで伏兵はいないだろう――タウカンは意を決して布団をはいだ。
果たして、中にはタウカンが見知らぬ女の子が寝転がっていた。
両手と両足を縛られている。
田舎者らしい垢ぬけないエプロンワンピースの姿。
頭に被せていたのだろう、首元に解けたスカーフが広がっていた。いかにも田舎で落ち穂を拾うのが似合う格好だ。
もちろん、王城に馴染んでいるとはいいがたい。
ただ、目鼻立ちは整っていて品位があった。
「だ、誰だ貴様……?」
一先ず王都の兵士の類ではないことがわかり、タウカンの緊張はややほぐれた。
「ままむむむ!」
布で猿ぐつわされた状態では答えることはできない。
タウカンは猿ぐつわと、手足を縛っていた縄も一緒にほどいてやった。
「ぷはっ!――はぁぁぁぁぁぁ………んすう―――――! はぁぁぁぁぁ……」
少女は大きく深呼吸を繰り返す。
「……助かりました。ありがとうございます!」
早くもベッドから立ち上がり、タウカンへ丁寧なお辞儀を見せる。体力は残っているようだ。新米兵士のようなハツラツとした返事をする。
「しーっ! ヴァカ!」
慌ててタウカンが声を潜めた。鼻っ柱に人さし指を立てて顔に険を作る。
少女は状況がわかっていないので、困惑しながらも、自分も同じように鼻の頭に細い指を添えた。
「いいか、なにがあったのかは知らんが、今はのんきな状況じゃあねえ。死にたくなかったらこっそり出ていけ」
「さ、先程の音は一体何だったのですか? ここ、どこなんです?」
「エスポフィリア城だ。お前、名前は? 見たところ王都の人間ではなさそうだが」
「レニと申します。数日前、アルの村から兵士様たちに連れられて参りました」
レニはスカートの端をちょこんとつまんで膝を曲げる。
「アルの村? ここから……南、南西か。随分遠くから――」
「わぁ~! ここがあのエスポフィリア城なんですねぇ! 私ずっと憧れてたのです。はぁあ~……」
恍惚の吐息をもらし、目を輝かせた。
「感情が溢れて止まりません。このままではおかしくなりそうなので一曲歌わせてもらいます! あぁ~ はるかなぁ~♪」
「ヴァカ! 静かにしろって言ってるだろ!」
タウカンが顔のパーツを中央に寄せ集めて唾を飛ばす。
レニは「いっけない」とばかりに短く舌をのぞかせた。
「イサミさんに会えると言われてやってきたのですけど、王都に着いたあたりで気を失って……。どれくらい眠っていたのかはわかりませんが」
「イサミ? お前、イサミのこと知ってんのか?」
「はい。え……兵士さんもイサミさんのことご存知なんですか!?」
レニが食いつく。目をキラキラさせて手を組む姿はタウカンをたじろがせた。
「あ、あぁ、まぁな」
「イサミさん、王国の兵士さんともお知り合いだったのですね! 流石です。王国の為に危ない任務に命を懸けられている兵士さん、とても素敵です!」
「よ、よせよ。大したことじゃあねえ。ま、イサミを鍛えてやったのは俺だがな」
「まぁ! そうなのですか! さすがです!」
若い女の子にもてはやされることが羨ましかったし気持ち良かったのか、タウカンは得意げになっていた。
――まぁ、ウソ、ではないよな。道中、戦い方にちょおおおおおおっとは助言したわけだし、うん。
……って、んなのんきなことやってる場合じゃねえ。
「レニとやら、」
「はいっ!」
「声を潜めろっ。――悪いがおしゃべりしてる暇はねえ。俺ぁいかなきゃならねえからお前も逃げろ」
「わかりました。……えっと、兵士様のお名前は?」
「あぁん? いや俺の名前はどうでもいいだろ」
「そうはいきません。私を救ってくださったのですから。お名前を教えていただかなければお礼もできませんわ」
「礼なぞいらん。というか、生きて明日を迎えられるかもわからん状況だ」
「なるほど……兵士さんと私はいわば、死なばもろとも、ということですか?」
「なんでそうなる」
タウカンは舌打ちをして大げさなため息を吐いた。「はぁ。俺はタウカンだ。レニといったか、」
「はいっ!」
「しーっ! 返事はいいから。とにかく、無事城を抜けろ。城を出たら東門の近くで診療所を開いている医者のルペス先生を訪ねろ。俺の小さい頃の先生だ。俺の名前を出せば悪いようにはしないはずだ。まぁこの騒ぎでどうなってるかはわからんがな」
「そこで私はお医者様に体をじっくり調べられろということですか?」
「なんでもいいからそこに行け。じゃあな」
「え? タウカン様はどちらへ?」
「だから、俺はまだやらなきゃいけねえことがある」
タウカンは部屋の中にただ一つだけ存在する扉を睨むのだった。
扉か、その枠かもしくは蝶番か。どこかが歪んでいて、扉を開けるのに詰まった。
タウカンは音を立てないように、でも強く蹴った。もちろんそんな矛盾する行動を両立できるはずもなく、扉は金切り音や壊れた打楽器のような鈍い音を立ててようやく開いた。
普段なら廊下は窓からの微かな月明かりや、蝋燭の橙色の光で柔らかく灯されている。
しかし今は飾られた絵画や壺などの装飾品、燭台などは崩れ落ち、あちこちに破片をまき散らしている。天井も一部崩れ落ちていた。それ故あちこちに隙間でもできたようで、差し込む青白い光の筋だけが、ぼんやりと廊下を照らしていた。
事前の打ち合わせで、タウカンはアイサから妃のいる部屋を割けて彗星を落とすと聞かされていた。
結果直撃は免れたが、城全体の寿命は幾ばくも無い。
それでも人の悲鳴はなく、やはり城内の人は払われていたことを改めて確認する。
静かで肌寒い廊下は人の気配を吸い取るよう。
イノスの余裕さえ感じられるその差配に、タウカンは改めて固唾を飲む。
すでに姿を見られ、目的も露見している。四の五の言っている場合ではない。
廊下をながめて、改めて位置関係を把握する。
――部屋の中ではわからなかったが、ここは幸いにも妃の部屋は二つ隣だな。
「……よし」
タウカンは固唾を飲み、剣を抜いた。柄頭には、海のように深く青い宝石が埋め込まれていた。
「いよいよですね」
後ろからレニが言った。
「うわっ!」
とタウカンが悲鳴を上げてしまう。すぐに自分の口を覆うが今更だった。
「な、何やってんだ」
「だ、だって私も今お部屋を出たばかりですから仕方ないですよ」
タウカンはレニの顔と妃の部屋の扉とを交互に見比べる。
「た、確かにそうだが」
「私もお手伝いします」
「はぁ!?」
レニの顔は真剣そのものだった。
「おま、俺がこれから何するのかわかってんのか?」
「いいえ!」
「静かに喋れっての」
「でも、タウカンさんはイサミさんの師匠ですよね? でしたらタウカンさんのされることはきっと正しいことだと思うので」
「随分……イサミのこと信頼してんだな? 何かしてもらったのか」
「私にもわからないことが多いのです」
レニは苦笑を浮かべる。薄暗い廊下でのことだからか、儚さが滲んでいた。
「はぁ?」
「ですが聖獣様が仰ってました。イサミさんは私の為に本気で戦ってくださった、と。それだけで私は嬉しいです」
スカーフを改めて巻いたレニは、はにかみ頬を赤らめていた。
タウカンはその真っすぐな目から顔を背ける。
「……だとしたら、余計にお前を一緒には連れていけねえ」
「隣のお部屋に向かうんですよね?」
「なに?」
「視線、ばればれですよ? どうしても連れていかないというのなら、私、刺しちゃうかもしれません」
いつのまにか、レニはその手にナイフを握り、タウカンの腹部に突きつけていた。隙間は指一本が入るか否か。ちょっと弾みがつけば鎧の隙間から突き刺されるだろう。
タウカンは青い顔を浮かべたが、悟られまいと青いまま無理矢理ほくそ笑んだ。
「な、なるほどな……。王国軍の兵士としては、民草に助けてもらうのは情けない話だが……お主はなかなか優秀なようだ。わかった。お前に一つだけ頼みたいことがある」
「はいっ!」
「まずは声を抑えろ」
これだけ騒いでいるのにイノスが部屋から出てこないことには、事情があった。
「――なに!? 何よ今の!!?」
妃の部屋では、目を覚ましたプレア妃が声を荒げていた。
銀河のように眩い銀色の髪はどこまでも滑らかで、端正な顔立ちも合わさって、その容姿は多くの貴族のご子息を悩ませたことでも知られている。
「王の命を狙う者たちの攻撃でございます、お妃様」
「王様の……? ……ていうかあなた、もしかしてイノス公爵!?」
「どうもお久しぶりでございます」
鎧やマントに着いた埃を払って、イノスは冷めた笑みを浮かべた。
プレア妃はベッドの上に座ったまま、その身を庇うように壁際にさがる。
「ど、どうしてあんたが私の部屋にいるわけ? 私が許可していない人が無断で立ち入ることは重罪なのよ! わかってんでしょうね!?」
妃が休んでいた長い年月の間にイノスが何度も出入りしていることには気付いていないのだろう。
イノスは冷笑を続けながら丁寧に腰を折る。
「申し訳ございません。ですが、何しろ緊急事態でしたから」
イノスの周囲に散らばるいくつもの破片。突風に煽られて乱れた室内の調度品。
目だけを左右にゆっくりと動かし、プレアは状況を大まかに把握した。
そして、改めてイノスを上目遣いに睨む。
「あんたが私を……助けたの?」
「不本意ながら、結果的にはそうなりますね」
イノスが眼鏡を持ち上げた。降り注ぐ月光が反射し、硝子が白む。
プレアは、ぐっと歯を食いしばりつつもどうにか笑顔を作ってみせた。
「そう。良かったわ、あんたも変わってなさそうね」
窓の外に視線を向ける。
そこには本来景観を塞いでいた主塔があるはずなのに、何もなくなっていた。ただ蒼い月夜が広がっているだけ。
「な……どうなってるのよ。もしかして……」
そこでプレアは息を飲み、再びイノスを睨む。
イノスは動揺の類を見せない。
冷静に考えれば、もしイノスがこの騒動の主犯だとするなら妃を守った理由が不明になる――プレアは頭を左右に振って、
「ヒトー? ミツー? どっちかいないのぉ?」
イノスを無視するようにプレア妃は呼びかけた。彼女の世話をする使用人たちの名前だ。
「……いないか。ねぇ、二人は無事なの?」
「もちろんです。つい数刻前までプレア様の身を案じられておりました。今頃は王都の外に避難していることでしょう」
「避難? 今度は一体なにがあったの? あなたの狙いは何?」
「長きにわたって眠られていたにも拘らず、随分と寝起きは良いみたいですね」
「ふん! 相変わらず嫌味な言い方ね。起き抜けに会うのがあなたじゃなかったらもっと機嫌よく起きられたんだけど」
頬を膨らませて妃はそっぽをむいた。
「……口の利き方には気を付けた方がよろしいですね、お妃様」
「な、なによ……」
「もはやあなたの味方はこのお城にはいない。そのことはご存知のはずです」
「っ!……」
プレアは声にならない声を飲み込み、苦い顔を浮かべると、かくりと俯いた。長い銀色の髪が流れ、彼女の横顔を隠す。
「……そうね。……そんなこと、知ってるわよ……!」
再び上げた妃の表情は険しいままだったが、その大きな瞳が星の瞬きのように潤む。
「でもね、あんたももう少し考えた方が良いわよ、イノス」
「何をですかな?」
「あたしがどうしてこんなに寝てたのかってことよ」
「ふっ。もうそれも考えるまでもない。どうせルミナーラに関することだろうが、お妃様の努力もむなしく、向こうから動いたのでね」
「ルミナーラが!?」
プレアは大きな目をさらに丸くした。
「……良かった」
そして、大粒の涙を静かに一滴流した。
「やっぱり、あの子生きていたのね」
「だが、もはや今頃は屍となっているだろう」
「は?」
「私の罠にかかっている。今頃は第三師団に襲われているところだ。お妃様の加護も外れた今、ルミナーラ一人、取るに足りん」
大仰に両手を広げて語るイノスだったが、そんな彼が滑稽だとばかりに、たった一人の観客であるプレア妃は、笑った。
「ふふっ。それなら逆よ」
「何?」
「あの子は――」
ばたん!
妃の言葉を遮る騒音が部屋の中へ飛び込んできた。
扉を蹴り破り、タウカンが踏み込んできたのだ。
引っ込めていた剣を前方に構えながら一目散にイノスへと突撃する。
「海の衝動!」
柄頭の蒼い宝石が光り、タウカンの突き出した剣先から水流が噴き出した。
「知っている。君の力など」
だが、重力を操るイノスの前では、水がいくら激しく噴き出そうとも無意味だった。イノスの左掌がタウカンの放つ水流を捉えた。
水流がその左手を避けるように、雨樋にでも乗るかの如く奇妙な軌道を描き、イノスの体を避けて窓の向こうに消えて行く。
しかし、タウカンはその速度を緩めない。
「でしょうな!」
「なっ――」
そのまま突っ込む。
イノスは右手で今度はタウカン自身を捉える。
「ぐっ……!」
あっけなくタウカンの体は宙に浮いてしまう。
「もう少し君は頭を働かせたらどうだ」
イノスは表情を変えず淡白に告げた。
「ええ。ご忠告どうも」
「あんた誰!?」
突如妃が叫んだ。
反射的にイノスはそちらに視線を向ける。
いつの間にか部屋にはレニが侵入していた。
タウカンの指示通りだった。
――俺の体が浮いたら入ってこい。
――え? そんなことになるんですか?
――あぁ、恐らくやつは俺のことを完全に見下しているからな。
「こちらです! さぁお早く」
レニは寝台の側で背を向けて屈む。背負われろ、と無言のメッセージだ。
「お妃様! 急いで!」
タウカンが怒鳴る。
プレア妃はその剣幕に慌ててレニの背中に飛び乗った。
永い間眠っていた彼女の体は酷く痩せていて軽いものだった。
最低限の栄養だけは使用人たちが取らせていたのだろう。もしかしたら魔術の類でそうさせたのかもしれない。
「逃げられると思うのか?」
イノスが言葉で牽制する。
完全に油断しているイノスを見て、タウカンは叫んだ。
「海の膜!」
二筋に分かれていた水流がそれぞれ上下に幅を広げ、やがて球状にイノスを包む。
レニはその隙をついて妃を背負うと部屋を飛び出していく。
タウカンを相手に左右の腕を使用していたイノスはレニたちを捉えることができない。まして水の膜に包まれてしまった以上、視界は完全に奪われてしまったのだ。
「やーい! バカイノス! あんたなんかやられちゃえばいいのよ」
プレア妃は幼稚な捨て台詞を吐いた。
「ふっ……なるほど、頭を使ったということか」
「ええ。どうです? 意外と使えるかもしれませんぜ」
「そうだな……」
イノスは右手に力を込め肘より先を素早く振り上げた。
「なっ――!!」
ある種小気味の良い破砕音が部屋にこだまする。タウカンの首より上が天井にめり込んだ。
剣先からの水流が栓をされたように綺麗に止まり、やがて水滴を滴らせ始めた。
イノスはもう一度、今度は目の前の羽虫を払うように右腕を振り下ろした。
天井に刺さったままのタウカンの体が床に叩きつけられた。
「ぐはあっ!」
背中を強く打ち、口から血の混ざった唾を吐き出す。
遅れて彼の兜が落ちてくる。
頭部からはだらりと血が流れ、頬や瞼には細かな切り傷ができていた。
軽い脳震盪を起こしているのか、目の焦点は定まっていない。
その様をイノスは見降ろしながらそばへ歩み寄る。その気配はわかっているかもしれないが、タウカンが睨み返すことはできなかった。
「私のこの苛立ちを解消させる相手には好都合だろう」
イノスはタウカンの顔を踏みつけるのだった。
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リアクションもありがとうございます!
気付けば一年以上連載してました。長くなってましてすみません!
もうちっとだけ続くんじゃよですのでよろしくお願いします!
次回はまた木or金曜日ごろ更新予定です!




