6時間目 道徳 ⑤
イサミは短く鋭い息を吐き、上段に構えた刀を振り下ろす。
狂気を満たした顔でカージョン王が襲ってこようとも、動じることはない――。
自分の刀が王の鼻先三寸に迫るまでは。
足を止めるまでは。
顔が変わるまでは。
「!?」
ふと影を落としたかのように、狂気が消え去る。
真剣な――当たり前だが必死な表情に変わる。
だが止めることなどできない。止めるつもりももうない。
降り下ろした刀は、しかし王に受け止められた。
王の剣から炎が消えていた。そしてそれとは違う、別の気配が纏われていた。
イサミの青い炎を受け止めた王の剣。二本の刃が触れ合う接点を中心に緑色の光の壁を広げた。
王の瞳に光が宿ったよう。互いの顔が浅葱色に染まる。
「やめろ……!」
喉を締め付けられているかのように苦々しい声を出したのは王だった。
その声音も一変している。
先ほどまでの狂気に満ちた声には、外耳から穴の奥までを舌で直接舐めまわされたような薄気味悪さを感じていた。
しかし、今余裕は一切ない。
力の差を感じ始めたか? しかし、イサミは力を抜くどころか、苛立ちを募らせた。
「な、何がやめろだ……! ふざけるのも……いいかげんにしろよ!」
イサミは右足で王の大腿を蹴る。
バランスを崩しかけた王は、一歩飛び下がる。
大きく呼吸を乱す王。
「だったらあんたが理事長から奪った力を返せ! それがあれば、俺たちはあんたの命に興味はないんだ!」
「――イヤアアアアアアア! 力を返すだとぉ!?」
離れるや否や、再び狂気に満ち始めた。
「イサミクン、バカ言っちゃあいけないねえ。この力はすでにワタシの物だ。あと少しで完遂する、復活の儀式を、君の力で完成させてくれないと」
「俺の力……だと? 勇者さん、あんたの気持ちはわからなくもない。俺だって、蘇って欲しい人がいた。蘇って会いたい人が……いた……」
イサミは構えを緩めてしまった。王は分かりやすく肩眉を持ち上げる。
「でも、でもダメなんだ……。誰かの犠牲の上に命が蘇ったとしても、その犠牲の上に立って生きていけるほど人は強くない」
語り掛けるようで、それはカージョン王ではなく、自分自身へ向けてなのか、弱々しい声音ではわからない。俯いたイサミの頬を静かに一筋の雫が流れる。
それでも王にも届いたようで、王は一頻り笑い飛ばすと、
「何を言ってんだい? 人は所詮自分の世界しか知らないし興味もない。時が経てば忘れられるし慣れる。都合のいい生き物だろ人間は」
「あんたが愛した仲間はそんな人じゃないんだろ……」
柄を握る手に再び力を込める。
「あんたの仲間は、苦しんでる人たちを救うために、命を落としたんだろ!」
「――!?」
「――ぐはっ」
「トリヒス!」
トリヒスは両膝をつき、そのまま草原の上に倒れてしまった。
全身に生じた切創から血が滲み広がる。
血の気の引いた顔。
口からは泡がこぼれていた。
つい駆け寄ろうとしたルミナーラの前でフーリィが片手で制止する。
迂闊に近づけば、その向こう側でうすら寒い笑みを浮かべているシャドウに狙われてしまう。
中性的な顔、線の細い無駄な肉の無い体つきは、性別をうやむやにするようだった。
「うーん、泡は余計だわぁ。美しさが台無し」
しかし、トリヒスが落ちてしまった以上、それも時間の問題だった。
「まぁ、前時代の化石のような人たちに何をしても無駄でしょうけど」
武器を手にしたばかりの義勇軍は次々と第三師団に蹂躙されていく。
その実力は本物だった。
前線で活動し続けている彼らと、二年以上のブランクを持ったトリヒスたちでは初めから勝負にならなかった。
「貴様ぁ……!」
フーリィが短刀を懐から取り出した。
「あなたとは相性が悪いんだけどねぇ、残念。隙だらけよぉん」
シャドウが細い腕を前に構えた。
それだけで、空気の流れが変わる。
突風が生じ、まともに目を開けられない。
「ぐっ……なんの!」
フーリィは風に耐えるように肩膝をつき、広げた手を地面に触れさせる。
すると、シャドウの足元の名もなき草が爆発的な成長をとげる。
ただ単に巨大化するのではなく、恐らく長い年月を費やしてもそのままでは成れない姿に変態する。
延びた真っすぐな葉が編みこまれ縄のようになる。
しかし、シャドウは予見していたのか、さっと後ろに飛び下がる。
あまりの速さゆえか、シャドウのいた場所に空気が流れ込み、真っすぐに向かっていた草の縄の軌道がくしゃりと乱れる。
そして風に弄ばれるように宙を舞い、切り裂かれてしまった。
はらはらと細かく刻まれた草葉が吹雪く。
その影に隠れてしまったシャドウを見失う。
「どこに――……」
愕然とするフーリィの後ろで、ルミナーラが先に叫ぶ。
「フーリィ!」
その声に遅れて痛みに気づく。
背中の一部が急激に熱くなる。
一本の矢が突き立てられていた。鏃が全て肉体に差し込まれている。
痛みに顔を歪めた時には、フーリィはもがき苦しみだす。
瞬く間に叫ぶ声が途切れ、彼女はその場に倒れてしまった。
「き、貴様、一体何をした」
エッジを背中に隠すように、ルミナーラは立ち上がり、シャドウを睨んだ。
「あっら、ルミナーラ様ったらご存知ない?」
シャドウは開いた手を口元に当ててわざとらしく驚きを表現した。
「まぁ風属性って珍しいものね。私は気に入ってるのよ? 無駄な打ち合い、鍔迫り合いは必要ないしぃ?」
弓は持っていない。
背負った矢筒から数本の矢を取り出し、上空に投げる。
シャドウが操るような指先の動きを見せると、風が吹き、矢が意思を持ったように動き始めた。風――空気を操るらしい。
「! やめろ!」
ルミナーラが叫ぶのもむなしく、ルミナーラの視界の前方――シャドウの背後で必死に得物を振るう義勇兵たちを襲った。
「あはぁあ~。いいわぁ~」
シャドウは自分を抱きしめる。恍惚の笑みを浮かべ、涎を垂らしていた。
「その泣きたくても我慢するしかない必死な顔、そうそう見られないのよねえ~」
腰を振りながら一歩ずつ近づいてくる。シャドウの足音はやはり聞こえない。そのせいでトリヒスやフーリィといった、ブランクはあるもののかつては前線で戦っていたものたちでさえ簡単に間合いをとられてしまう。
ルミナーラは逃げなかった。
音もなく涙を流しながら、横たわるエッジの前に仁王立ちし、シャドウを睨みつけていた。
「でもさすが元王族の末裔ねぇ。悲運が絵になるわぁ。最初はいるかどうか半信半疑だったけどどうしてかしら、さっきからあなたの気配が駄々洩れなのよ」
「なんのことだ……」
「イノス宰相の読みは当たってたのよ。でもねぇ、王族なら持ってるはずの気配が感じられなかったの。今はビンビンだけどぉ。ま、私よりも宰相が得意なだけって話でしょうけど」
一瞬曇らせた顔を、再び不気味に微笑ませる。気づけばルミナーラにはあと一歩で触れる距離までやってきていた。
腰を曲げ、そのオレンジ色の瞳を大きく開きながら、顔を近づける。
それでも一歩も後じさることもなく、顎を引くこともなく、ルミナーラは目を逸らさなかった。
「そ・ん・な・こ・と・よ・り、もっと、もぉぉぉっと! 美しく歪めてほしいわぁ。すぐには殺さないであげるからネ――」
平日間に合わずすみません!
次回は明後日(明日)の日曜日に更新です!




