6時間目 道徳 ④
音の無い聖域の内部で、金属音が休まず響く。
散った火花が、暗闇を橙に染める。
イサミの刀と、王の剣が幾度の交錯を重ねていた。
「ぐっ……オラァ!」
イサミが力を吐く。刀を左斜めに押し下げ、王の剣を抑えつけると、右脚で王の横っ腹を蹴りつけた。
「ぐほおぉお!?」
王の体がぐらりと右に揺れる。目玉をぎょろりとさせ、口角を吊り上げ唾をまき散らすその不気味な表情は楽しんでいるようにしかみえない。
肉体的なダメージは重なっているはずなのに、精神的に追い詰められているのはむしろイサミの方だった。
――今の蹴りもそうだ。鉄の扉門を蹴り破る力で蹴ってるはずなのに……。俺たちの方が数倍強いんじゃねえのかよ……!?
王が踏み止まる。体が流れているにもかかわらず、右腕一本で剣を振りまわせる余力があった。
イサミが迎え打ち、再び刃の応戦が始まる。
黄色い火花に、赤い雫が混じりだす。
王の剣がイサミの腕を掠め、イサミの刀が王の頬を撫でる。
鍔迫り合いの刹那、王の額がイサミの眉間を襲った。
視界に火花が散り、霞む。だが倒れればすなわち死だ。
背中側に崩れ行く体勢の中、その勢いを利用して、頭と足の位置を入れ替えるように、王が振り下ろそうと顔の前にあげた両手を目掛けて蹴り上げる。
靴のゴム底が、王の持つ剣の柄頭を捉える。特有の丸みを帯びた柄頭の感触は悪くなかった。
「うをっとぉお!?」
声を裏返しながらカージョン王もまた体勢を崩したようだ。我武者羅に足を振り上げて、蹴った反動でそのまま前転にも似た形で転がったイサミには詳しくは分からない。
転がり、どうにか屈んだ体勢のまま、王を睨んだ。
向こうも追撃は諦めたようで、数歩後じさって間合いを取ったところだった。
「いいねぇ! やるねえイサミクゥン!」
「っ!?」
休むつもりも休ませるつもりもない。王は即座に床を蹴り、剣を叩くように振り回す。
完全に立ち上がるには間に合わない――イサミは刀を寝かせて斬り払う様に迎え打った。
鍛冶屋の最後の一振りが如く、ひと際澄んだ金属音が聖域を侵した。
「おっほお~! あの時とは違うねえ!」
刀と剣の元幅三寸ほどの距離に王の顔が迫る。王が舌を出し、唇を舐めずりまわす。生臭い吐息が鼻の頭を撫でてきた。
イサミは顔を歪ませてしまう。
「あんたはどうなんだよ……! かつて世界を救った力ってのは……その程度なのかよ。勇者カージョン!」
柄を握る手に力が籠る。
鍔迫り合いはそこで終わる。イサミが押し切ったのか、王が身を引いたのかは不明だ。
数歩後ろに飛び去り、王は間合いを整える。
「へぇー。やっぱり知ってたんだ? そいつは光栄だね」
偉丈夫でもある王の持つ剣は、イサミと同程度の丈がある。
それでも競り合うことができたのは、強化されていると言われた力とアイサの力によるものだろう。
遅れてどっとあふれ出した汗が顎に滴る。肩で息を整えながら、手の甲で拭った。
「あんただって、転生して、新しい命を手にした人間なんだろ? しかも、勇者になって、敵を倒して……お姫様と結婚して。へへっ、絵にかいたような転生人生じゃねえか。なのに………………」
イサミは歯を食いしばった。瞳には、怒りとは別の色を宿していた。
「なあ、力を返せよ。それだろ?」
イサミは、王の背後で少しずつ直径を肥大化させている光球へ、顎先をふった。
「今ならまだ間に合う。あんただって罪を償えばいい。俺だって――」
「アッハッハッハ!」
王は腹を抱えて笑い出す。
「償うぅ? 何の罪を? 誰に対して?」
「て、てめぇ……!」
「ボクはこれっぽっちも気にしちゃいないさ」
聖域に笑い声がこだまする。誰一人観劇者のいないそこでは、つられて笑い出す者もいなかった。
「さぁお喋りは終わりだイサミクン。君の力、そんなもんじゃないんだろう?」
王の声が重くのしかかる。放たれる重圧ゆえか、一歩引く足さばきでさえ鈍く感じてしまう。
王が巨剣を構え、再び飛び込んでくる。その場で一歩踏み出し、スライドするように空中を駆る。
出鼻をくじかれた。
左や右に逃げたとして、あの剣の間合いの外には逃れられない。
イサミは刀を打ち合わせる。
右手一本で刀を支え、左手首の籠手で峰を押す。
刃と刃がぶつかった瞬間、衝撃波の様に光の壁が広がった。
「ぐっ!」
「おおおお!? すごいすごいすごい! いいねぇ~、そんなことされたら……!」
王の剣が、瞬間炎に包まれる。炎に照らされ、王の薄気味悪い笑みが浮かび上がる。
瞬時に燃え上がった炎がイサミの刀と、そして左手に燃え移る。
「っ!?」
体の反射で、つい左手を逃がしてしまう。
そうなれば、形勢は傾く。
「ふん!」
王は交錯させたまま、剣を力づくで強引に払う。
「ぐぁああああああああ!」
イサミの体が簡単に吹き飛んだ。
他に何もない聖域内で、イサミの体は何度も転がった。受け身をまともに取ることもできず、したたかに体や頭を打ちつけてしまう。
「いってぇ……」
それでも気を失うこともなかったのは、アイサの薬の効果だろう。しかし、それがいつまで続くかはわからない。
『永遠に効果が続く薬なんてないわ。あなたは生きてるんだから』
渡された時にそう言われたのだ。効かせたいのか効かせたくないのか、アイサらしい言い回しだと、イサミは鼻で笑った。
「けっ……」
今もまた、反骨精神にも似た感情を得、よろめきながらも立ち上がる。
唯一の怪我の功名は、燃え始めた左腕の炎が消えたことだ。
「――うっ!?」
そこで気づいた。右胸に切創が生じたことを。
制服のシャツに皮肉のように綺麗な切り口と、赤い染みが広がる。幸いにも鋒を掠めただけのようだ。
痛みと傷に気付き、脂汗が噴き出す。
じりじりと痛み、熱を感じる。炎の余韻が残っているのか、少しでも衝撃があれば灯が灯りそうだ。
「頑丈だねぇ。今のは殺ったと思ったが……」
これもまた、アイサの薬の効果だろう。こんな結果でも、十分守ってくれたようだ。
そして再び、アイサと、今度はセイマの言葉も蘇る。
――ゲームをしにきてるわけじゃないわ――
それでも、俺は……できることなら、倒したくはなかった。
―あの程度でやられるなら、噂の邪神官さんとか闇の眷族さんなんかに勝てないと思いますよ?―
そんな余裕、なさそうだな……。
「しかしなんだぁ? この程度か? がっかりだよ」
王は額に手を当てるとわざとらしく首を左右にふる。
「…………不っ!」
イサミはその売り言葉を買わない。
短く太い息を吐いた。
「あんまり好きじゃねえけど」
正面に刀を構え、そしてそのまま腕の形は崩さず、柄を頭の上に乗せるように運ぶ。
傷口が開き、右胸の血痕が広がった。
しかしそのことに囚われる様子もない。
「あんたに胸を借りるぜ……!」
イサミの発する気配に、王も嘲笑をやめ、剣を構える。紅蓮の炎が剣身を覆う。
汗がイサミの肘から滴り落ち、床で弾ける。
青い刃に倣う様に、イサミの刀は青い炎を生み出した。
「いいねえ!」
王は狂気染みた笑いをこらえられない。興奮してその場で足踏みする。
すると、床に亀裂が走った。
イサミが間合いを詰めるには不利な状況となった。
しかし、イサミは睨み続ける。一切の不安を覗かせない。
「さあ、ボクを楽しませてくれよおおをををを!」
王が急襲をしかける。
紅い剣が斜めにイサミを襲う。
イサミの口から鋭い息が漏れた。
王がそれに気づいた時には、イサミの刀は振り下ろされていた――。
「――んはああああん。全く、邪魔をしてくれちゃってぇ」
林の奥から現れた軍団は第三師団。
漆黒の鎧を纏う。
大仰でも、煌びやかな物でもない。
必要最低限の厚さ、面積。紋章すら排除したプレートは、第三師団、そして率いるシャドウ師団長の合理主義の表れだろう。
黒以外の一切の色を排除したためか、彼らは影そのものだ。
陽が沈み、益々闇に溶ける。
双眸だけは妖しく光り、夜でもなお獰猛さを忘れない肉食獣の如く殺意で溢れている。
何より、枯れ始めた草原を歩いてくるのに、足音が微塵も聞こえないことが、彼らの特異性を如実に語っていた。
「余計な殺生は好まないのよぉ、アタクシ」
中性的な顔立ちだが、シャドウは男だ。蛇のように長い舌を薄い唇の隙間からはいずり出させた。
一方で、つい数刻前には、イサミたちと共にまるで勝鬨のような声をあげていたルミナーラたち義勇軍ともいえる集団は、騒然とする。
これから時間をかけて育てるつもりだった闘争心が、生まれてすぐに踏みつぶされた。
「エッジ! しっかりしろ!」
ルミナーラこそ落とされなかったが、一番の腹心でもある老臣エッジが、その背から矢で射貫かれたことが大きい。
隊列も組めず、武器を構えることも忘れ、ただ茫然とシャドウたちを眺める者、慌ててルミナーラたちの背中に逃げ出す者もいた。
数で言えば、ルミナーラたちが百人ほど、シャドウたち第三師団は五十人程度。数的有利であるにも拘らず、覇気の上では圧倒的に不利だった。
それでも、その多くは、かつて王国で王家に仕えた者たちで、さらには位を授かった者もいる。
武器を構え、鋒に敵を据えて睨む者の方がまだ多かった。
しかし、指揮を執る者がいない。
トリヒスは自分が今すぐに指揮をとるべきであることはわかっていた。
しかし、目の前の敵に集中すれば、ルミナーラの守護がおざなりになってしまうこともまた懸念すべきことだった。
舌打ちをし、
「姫様!」
――そう叱責するつもりだった。
トリヒスは、まだ自分の喉がその言葉を発していないこと、そして、その姫自身が何かを叫ぶ声に正気を取り戻し、振り返る。
「俯いてはなりませぬ……前を向きなされ!」
そう叫びながら、よろめき、立ち上がったのはエッジだった。
背中に一本、矢を生やし、それでも立つ。
「すでに戦いは始まっておるのですぞ!」
しかし、彼が叫ぶ方向には、誰もいない。
「じい! もうよい! 立つな!」
光はすでに失われている。宵闇の中では尚更だ。
「ものども! 姫様をお守りしつつ、必ず王都へお連れするの――ごふぁっ」
彼方の方へ叫んだエッジの口から、血の塊が吐き出される。
「じい!」
その痩せて年老いた体が倒れそうになるのを、ルミナーラは泣きながら必死で支えた。
「すまんですじゃ姫様……これからという時に……足を引っ張りましたわい……」
「よい! もう十分だ! これ以上は喋るな……うぅ……!」
トリヒスは、口の端を噛みしめ、血を流す。
そして、シャドウに向き直り、睨む瞳に炎を宿す。
「皆の者! 我らの敵は前にあり!」
トリヒスの号令に、浮足立っていた義勇軍の兵士たちは、胆が座り、武器を握る手に力が籠った。
「かかれええええええ!」
そして、トリヒスが先頭を走ると、それに続く。
「やだわぁ。暑苦しくて、全然キュンキュンしない戦い方よねぇ」
シャドウは戦いを挑む者への侮蔑を吐き捨て、
「あなたたち、美しくやってしまいなさい!」
彼もまた部下を突撃させる。
ここロウマ平原でもう一つの戦いの火ぶたが切って落とされた。
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