3時間目 社会・座学 ④
「――私は力を盗まれた」
理事長はそっと目を閉じたが、その口は歪んでいた。悔しさが堪えきれないようだった。
「お前たち三人には、その力を奪い返してきてほちいのだ」
理事長は教壇に腰かけ、短い足を投げ出し、弱いため息を吐いた。長いクリーム色の髪が煤けた床の上を滑った。
「お前たちの敵は、エスポフィリア王国そのものだ」
机の上に尻を乗せて足を組むアイサ。隣で椅子に座るセイマ。
そして二人の間で床に胡坐をかいたイサミは腕を組む。
「盗まれたって…………え、奪い返すって何、力? どういうこと?」
理事長の発した言葉が一つも理解できないとイサミは首が千切れそうなほど傾けた。
「何度言えばわかるんだ! お前がもう一度言えといったんだぞ!」
ムキー!――理事長はその短い手足を上下に動かして怒りを露にした。まるきり駄々っ子のようだ。
そのおかげで殺伐とした教室内に、場違いな穏やかな空気が流れた。
「言ったとおりの意味だっ! 私がこんな小さな姿になって力をろくに発揮できないのも、全ては……力を奪われてしまったからだ! 悪かったな、どんくさくて!」
ぷいっとそっぽをむき、唇を尖らせる。
「……はぁ。いや力を盗まれたってのはなんとなくわかってたけど」
納得できたような、そうでもないような、イサミは斜めに首を振る。「奪い返すってどういうこと?」
隣のアイサが見かねたのか、ため息を吐いた。
「私たちが、理事長の代わりにあの世界に行って理事長の、神のような力を奪い返してくるってことよ」
そこでようやく理解できたのか、イサミは「あー、なるほど」と手のひらを打ち、目を見開く。
「そ、それってつまりさ、転生って言ってたけど、俺たちはあの世界で新しい生活っていうか人生を送るってことじゃなくて、あんたの使いとしてあの世界に仕向けられる……ってことか?」
イサミが恐る恐る尋ねる。
理事長はあっさり肯いた。
左右に目を向けるが、セイマもアイサも、特に驚いた様子はなかった。
戸惑うイサミの気配を察してか、アイサが答える。
「私は初日に聞いたから」
「そうなのか。セイマも?」
とイサミが顔を向けると、セイマは酷く慌てた。
「あ、えっ、その、わ、私も……まぁ似たようなものです」
セイマは誤魔化すように苦笑を浮かべた。
「なんだ、俺だけかよ……。ていうかそれならなんでこんな学校みたいなところに連れてきたんだよ?」
「お前たち為に、生前の環境に寄せていたんだ。いきなり違う世界に放り込んだらショックを受けるかもしれないだろ。それに力の使い方なんかも含めて少しずつ会得してもらおうと思ってな、いわゆる授業形式にしたんだ。本当ならここはもっと豪華なお城みたいにもできるんだぞ。私の想像一つで自由に建て替え可能だ!」
えへんと無い胸をはる理事長だった。
「野良猫を飼う時、少しずつ慣らせるみたいなことかしら?」
「なんで野良猫で例えるんだよ」
「そして、その前に……察知されたってわけね」
顔の半分が血まみれのままのアイサが言った。本人の血ではないらしいので、滴ることはもう無く、ぱりぱりと固まり始めている。
「うぐっ……」
理事長は、涙ぐんだ声を漏らし、俯く。ドレスの裾を握った手を見降ろした。
「参ったぜ」
と、イサミたちの後ろから回り込んで話に入ってきたのはデューク先生だった。少し遅れて速水先生も前に戻ってきた。イサミたちの背後で、スキンヘッドの軍服姿であるデューク先生と、パツンと斬り揃った前髪とタイトなスーツが特徴の速水先生が、壊れた教室をいつのまにか修理していたようだ。
修理と言っても金槌や釘を使ってではなく、手のひらから不思議な光を放ち、その光が触れたところが元通りになる不思議な術を使っていた。
「まさか奴らがこっちのゲートに目を光らせていたとは思わなかったからな。念のため、思い切って1時間目と2時間目はあっちの世界での時間を空けたってのに。ギャンブルはこっちの負けだったってわけだ」
両手を上げて首を振る仕草はどこまでも芝居臭い。
――俺たちの文化に合わせるってんなら、この先生おかしくね? 俺こんな人映画の中でしか見たことないんだけど!?
とイサミが眉を歪ませていた隣で、セイマが肘を曲げた控えめな挙手をする。
「そんなに簡単に察知できるものなんですか?」
「理事長のお力を手に入れたからだろうな。同系統の力の察知ができるようになったと考えられる。良い男が良い女をかぎ分けられるようにな」
ふーんと肯いていたセイマは、ふとその動きを止めると目を見開き、上下左右をきょろきょろし始めた。
「あ、あっちからは開けられたりしないんですか?」
「それは不可能だな。次元の違う空間に入るには特定の呪文――パスワードが必要になるからな」
「そ、そうですか。ふう……」
「だからこそ、アイサにストーキングしてきたってわけだ」
「……」
と、話がふられたがアイサは黙って口元に手を当てている。デューク先生は一人笑っていたので気にしていないようだ。
「つーかさ、」
今度は怪訝な顔をしてイサミが尋ねる。
「力を返してほしいなら、理事長や先生たちが直接その犯人? から奪い返せなかつたの?」
「私たちは生命の監督者に過ぎないと何度も言ったはずです」
と鼻息荒く答えたのは速水先生だった。もはや彼女の「何度も――」という言葉はただの枕詞くらいの感覚で聞き流すイサミたち。
「生命の監督者? そういやさっきもアイサがそんなこと言ってたな」
「理事長が監督者……、お前が前にいた世界でいうなら神、と表現するのが分かりやすいだろう。そして俺たち二人はそうだな……、天使だな」
デューク先生は太い声でニヒルな笑みを添えつつ言った。
「随分いかつい天使なのね。悪魔の間違いじゃなくて?」
アイサのつぶやきに、イサミとセイマは「くっ!」「ぷっ!」と吹き出しそうになる。
「私たちはあくまで管理するだけの存在だ」
気を取り直した理事長が、にたりとほくそ笑みながら言った。やはり体の縮小化は精神の退行化も招くのだろうか――イサミは遠い目をしてそんなことを考えていた。
「直接世界に飛び込み、生殺与奪することはできない。それでも監視下の世界で異変が起きれば、別の世界から才ある魂を呼び寄せて、転生させるんだ」
「サイアル……誰?」
「才能があるってことでしょ」
とアイサに説明され、イサミはのんきに肯く。
「あ、才能の才、ね。――え、俺も?」
場の緊張感にそぐわないにやけた面でイサミは後頭部を掻いた。
「つっても、俺、別になんの才能もなかったと思うけどな……。まぁ、前の世界でなんて、才能を発揮する以前の問題だったけど」
ははは――誘うような乾いた笑い声を漏らしたが、誰も笑わなかった。
イサミを見つめながら、理事長は言った。
「人は数多の才能をその内に眠らせている。成功するかどうかは、その才を試してみようと思ったか、そして機会を逃さなかったかだ。どれだけ絵を描く才能があったとしても、絵を描かいて表に出さなければ画家として有名になることはない」
「まぁ、そうと言えば……そうなの、か?」
イサミは自分の掌を眺める。
――確かに……試したくても、ほとんど試せなかったもんな。色々思うことはあるけど、今はとにかく、このチャンスを貰えただけでも感謝しておこう。
「ま、才能もそうだが、転生に耐えられる魂の持ち主だったかということだ」
色んな意味でだがな。――理事長が最後に囁いた言葉はイサミたちには聞こえていなかった。
「で、今回は私たちが集められたということなのね?」
アイサが続きを促すように確認する。
理事長は小さな頭をこくりと縦に振った。
「あぁ。お前たちはさっきも言ったが、単に体を新しく、心はそのままに、というわけではない。それに任務が任務だ。失敗のないよう、ふんだんに才能を能力を高めておいたぞ」
「そ、そうなの?」
「あぁ。」
続いたのはデューク先生だった。「あの世界、あの国にはあの世界特有の魔術というものがあるが、お前たちの力はその十倍以上は強い――。そう思っておいてくれて構わない」
「結構雑ね」
「貴方達も不必要に命を奪うようなことは許しませんと先週の夕方にもお伝えしましたが、改めて言っておきますからね。私たちが監視していることも、先月の中旬に言いましたからね!」
速水先生がひとり苛立たし気に言う。
もはや誰もそこにツッコみを入れることもなく、粛々と受け止めた。
「イサミ、」
理事長が改めてその名を呼ぶ。
「お前の場合は、あとは度胸だ。相手も強い。油断するな」
「それで、その相手って誰だよ?」
「イサミくん、さっき理事長が言ってたでしょ? 私たちの敵は――」
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