6時間目 道徳 ①
「――よっと……」
酷く静かな夜だった。
街は寝静まり、屋根たちは青く染まる。城下の町の所々で人の営みを感じさせる小さな明かりが見える。月明りに星が隠れた今宵は、地上に夜空が降りてきたようだった。
王城内も静けさは変わらない。むしろ人が減り、明かりさえもまともに焚かれていない。
ルペス医師の診療所では、まだ多くの兵士たちが療養中だ。
そこまで調べ上げたタウカン少尉だったが、窓の縁に忍び立ち、王妃様の寝室を見渡す目つきに油断はなかった。
プレア=エスポフィリア王妃は、静かな寝息を立てていた。飴色の髪は月の光だけでも艶めかしく輝いており、長い睫毛は眠っていて尚存在感を放っていた。
本来なら一国の王族らしく煌びやかなドレスが似合うはずなのに、長きにわたり眠り続ける彼女は質素な寝巻に身を包んでいる。
いつも清潔感があるのは、女給たちの並々ならぬ努力のたまものだろう。その体は醜く痩せており、栄華のえの字も感じさせず、貧民街にいたとしても不自然ではない。
ベッドのそばに降り立ち、王妃を眺めていたタウカンは複雑な表情を浮かべていたが、やがて頭を振って、
「いけねえ。ボーっとしちまった。早くしねぇとイノス宰相に――」
「ほう……」
声が聞こえた瞬間、どくりと心臓が強く脈打つ。
脂汗が一気に噴き出し、繫がり、玉になる。
身を翻しながら声が聞こえてきた方向とは反対に飛び下がった。
「私がどうかしたのか、タウカン少尉」
寝室の左奥にある箪笥の側から姿を見せたのはイノス宰相だった。
「い、イノス様……ど、どうしてこんなところに?」
「君と同じだ、タウカン少尉」
顔を歪ませるタウカンとは対照的に、イノスは薄い笑みを作っていた。
「は、は?」
「プレア王妃を心配してここに来たのだよ。……君は違うのか?」
「……まぁ、同じですが」
「ならば利害の一致ということだ。そうだろう?」
「……っ」
イノスの考えがわからず、タウカンは口唇を震わせるばかり。
たった一言の簡単な嘘が言えない。
距離を取ったタウカンと違い、イノスは歩みを進めて、今は眠る王妃の側に立っている。少し手を伸ばせばいとも簡単に体に触れることができるだろう。
「で、君は何を心配しているのだ?」
「は?」
「私はプレア王妃のご体調を憂慮している。君は何を心配しているんだ?」
「そ、そりゃあ……俺だって王妃様のお体が心配なんですよ」
「そうか……」
はぁ。――イノスは深いため息を吐いた。首を傾けたせいで眼鏡がずれる。
「面倒くさいやりとりは必要ないだろう」
眼鏡のブリッジを持ち上げる。そして彼の左手が肩の高さまで上がった。
真っすぐに伸びた腕は、到底タウカン少尉を掴むどころか触れることさえできないくらいに離れている。
しかし、イノスはその左手の五指を握った。
「――ぐっ!?」
タウカンの襟首が何かに掴まれたようにしわになる。
そしてゆっくりと彼の体が持ち上がった。
「教えてもらおうか、君の――いや、貴様たちの狙いを」
「あれが、エスポフィリア城か……」
王都を囲む城壁の外側から城を眺めてイサミがこぼした。
三人は、王都から一番近い山の中腹に立っていた。視界を縁取る様に森の木々が鬱蒼と生い茂るそこは、王都やその城壁の外側近辺を一望できる。
王城の向こう側に見える施設は、イサミたちも聞かされていなかったものだった。そこが王都をぐるりと囲う城壁の向こう側に存在するのだろうことだけ、ここからでもわかった。
「あれは聖域らしいわ」
アイサの切れ長の瞳が更に細まった。
「聖域? 確か現王は宗教分離ってやつを進めてるんだろ? なんでそんなもんあるんだよ」
「さぁ?」
アイサはわざとらしく両手を上げてみせた。「それを中止した挙句、神の力にすがる理由ができたってことじゃないかしら?」
「神の力……理事長さんの力、ですね!」
セイマがぽふっと胸の前で両手を合わせた。
「イコールってわけでもなさそうだけどね。ま、とりあえず作戦開始といきましょう」
アイサがセイマに目配せする。
「はーい」
「そんなラフな感じ!? これからいよいよ乗り込むんだぞ?」
イサミが言った。「もっと緊張感ある感じで臨むべきなんじゃね?」
「こんなところで緊張してても仕方ないでしょ? 特にイサミくんは王と会うまで力は温存しておきなさいな」
アイサにそう言われて、イサミは一人、目をしばたかせる。
「そういやここから先って何するんだ? 俺今一つ聞かされてねえんだけど」
「イサミくんは、とにかく現王を捕らえて、理事長の力を取り返してくれたらいいわ」
「うん、そう聞いてたけど、お前とセイマの二人で進めてたから……。明日にはルミナーラたちも到着するぜ? それまでにどうにかできるのかよ? まだ全然王都に人いるっぽいぞ」
「明かりが点いてるだけよ。ここ数日避難は進んでたから」
「避難?」
「王都の人たちのね。今日の夜、王都が戦火に襲われるかもしれない――そんなことを予感させる手紙を送りつけておいたから。一応効果はあったみたいだわ。だから私もこうして逃げ出せたのよ」
「そうだったのか。当初は城門を閉じられるって言ってたからどうやって抜け出したのかと思ったぜ」
「さ、セイマ、よろしく」
「は、はい!」
セイマは握った両手の拳を上下に振って気合を入れた。
「な、なにすんだ――」
イサミが問いかける間もなく、セイマのローブが光を放ち始めた。
全身に星座が浮かび上がる。
星くずたちが線で結ばれていき、やがてセイマの掌にその光が集められていく。
「プレヤード!!」
セイマが宙へと光を放つように両手を掲げた。
すると、闇夜に突如、巨大な発光物体が出現した。
「ええええええ!?」
その光の塊は、王城を襲撃する。
刷毛で描いたような光の線を描きながら城に衝突した。
「おま……隕石が衝突してんじゃねえかあああああああああああ!」
イサミの叫び声は、けたたましい崩落音にかき消された。
地響きが届く中、眺めていたお城はがらがらと崩れていく。
遅れて町の人々の悲鳴がか細く届いて来た。
「おいアイサ! 何やらせてんだよ!」
今にも殴り掛からんばかりにイサミはアイサの肩を掴んだ。
しかしアイサは振り向こうともせず、隕石が掠めるように衝突し半壊していく城をじっと見つめていた。
「あら、私はきちんと手紙で忠告しておいたわ。十日目の夜までに王以外は城から離れていろって」
「そうかもしれねえけど!」
「それに、宇宙から落下してるわけじゃないから、それほどよ。大きな石がコンッて落ちてきたくらいのものよ」
「いや城半分崩れてるけど!? 効果音でごまかせてねえよ!」
「まずまずね」
「十分すぎるって! 無関係な人傷つけてるだろこれ!」
アイサはイサミへと体ごとむけて、一つ小さなため息を吐いてから言う。
「さっきも言ったけど、忠告はしてる。あそこに残ってる人は戦うことを決意した人しかいないわ。だけど私たちは王以外に用はないし相手にする義理もない。その上で命を懸けた戦いなの。ご丁寧にお城を訪ねて順序良く部屋へ向かうゲームをしにきてるわけじゃないわ」
腕を組む彼女に睨まれ、イサミは彼女の肩を掴んでいた手を、滑らせるようにだらりと降ろした。
「それは……」
「それに、安心して。兵士の大多数は、体調を崩して病院で寝てるから」
「タイチョウ?」
「ていうか何より……」
イサミの背中越しに二人のやりとりを聞いていたセイマが、力を使った際に噴き出た首筋の汗を拭いながら言葉を挟む。
「あの程度でやられるなら、噂の邪神官さんとか闇の眷族さんなんかに勝てないと思いますよ?」
援護射撃かと思いきや、セイマに背筋に刃の先を当てられた形になり、イサミはあんぐりと口を開きっぱなしにしてしまう。
「いやそりゃそうかもしれねえけど……――あっ」
崩落した瓦礫の中から、鋭い光の筋がいくつも漏れる。
やがて、瓦礫は吹き飛ばされ、光の球体が城の中から現れた。
何が起きるか身構えていたが、すぐにもその光は収束してしまった。
「……」
目を点にするイサミの隣でアイサは口元を緩める。
「なかなか楽しませてくれそうな光ね」
「王様、でしょうか?」
セイマが指を唇に当てながら首を傾げた。
「さぁ? 行ってみればわかるでしょ?」
と、アイサはイサミを覗き込む。
イサミはその眼を見返すこともせず、ただ茫然と城を眺めていた。僅か数十秒の間に起ったいくつもの現象を、ゆっくりと咀嚼していた。
間もなく、彼の開きっぱなしだった口が閉じられていく。
背筋を真っすぐに伸ばし、改めて王都を臨む。
アイサとセイマもまた、静かに王都と、半壊したエスポフィリア城へと体を向けた。
隕石落下の衝撃の余波が、突風となり山の中腹に届く。妙な人肌の暖かさのある風だった。
林の木々たちが騒めく。あてもなく飛び立つ鳥たちもいた。
三人の髪を弄んだ風がやがて収まると、イサミは自分の拳を左の掌に打った。
「よしっ……。行こうぜ」
セイマが黙って頷く。
「その前に、」
一歩目を踏み出そうと足を上げたイサミとセイマを、アイサが止める。
「これ、飲んでからにしない?」
アイサがその長い指でつまんでいたのは、一本の試験管だった。
阿鼻叫喚の王都の中を、三人は人の流れに逆らって王城へと向かった。
突然現れた謎の隕石は、直接的には王城にしか被害を与えていない。土煙が空を覆ったくらいだろう。
しかし、動揺して逃げ惑う民衆が蹴飛ばしてしまったかがり火が、民家に燃え移り、あちこちで火事が発生している。
お屋敷に住むような貴族の連中は、避難する先が王都の外にあるが、平民街に生活する民たちは逃げる先がなかったようで、まだ王都の中には大勢の人がいたようだ。
炎が爆ぜ、柱が崩れる音に紛れて警鐘が鳴り響き、阿鼻叫喚が王都の上空で行き交う。区画整理され敷き詰められた家屋の隙間を逃げる人々は、いつ火の手が自分の首元に伸びてくるかという不安から、必死に逃げる。
だから、三人の異様な出で立ちに注意を向ける人などいなかった。
黒い星座の模様のローブを纏ったセイマ。
返り血を何度も雪ぐが桃色に染まってしまった白衣を纏うアイサ。
左腕に王家の紋章が凝らされた腕輪を嵌め、右手には刀を持ったイサミ。
茜色の炎が三人を照らすようで、その実影絵にしてしまっているからかもしれない。
避難を誘導する兵士でさえ、「おい君たち! そっちは……――」と懸念の声をかけてくる。
「危な……い…………」
鬼気迫る表情の三人に、兵士は首筋を目一杯伸ばして固唾を飲み、言葉を止めた。
無視された兵士は呆然とその後ろ姿を眺める。
見慣れぬ衣服をまとった三人へ今更ながら警戒心を抱き、手にしていた槍を構えようとしたが、方々から届く悲鳴を無視することはできず、その追及を断念する言い訳にしたのだった。
城塞都市の中、北部ではさらに王城を囲む城壁が備えられていた。
もっとも、今東側の城壁は崩れており、その灰色の山を登れば侵入は容易いのだが、それでも三人は城門前へと向かった。
王城へと続く豪奢な扉を前に、三人は並ぶ。
「さ、覚悟は良いかしら?」
夜風のように涼し気な表情でアイサが尋ねる。
「さすがにちょっと緊張してきましたね」
という言葉とは裏腹に、やる気に満ちた力強い笑みを見せるのはセイマだった。
「だ、大丈夫だ。もうやるっきゃねえ!」
イサミだけ目を白黒させて、やけくそになっていた。
「じゃあイサミくん、どうぞ」
アイサと、続いてセイマも一歩後ろに下がる。
「え、お、俺!?」
イサミは自分を指さし左右に首を振りまくる。
「だって真ん中に立ってるし」
「お前らが左右に分かれるからだろ!」
「イサミさんが一番声大きいですし」
「何その小学生みたいな選出理由。全然嬉しくねーんだけど!」
しかし、いつまでもそんなくだらないことでもめている場合ではない。
「ちっ……。わかったよ、やりゃいいんだろ、やりゃ」
イサミは一歩前に出た。
そうは言いながらも、気持ちが昂っているのか、イサミは小さく身震いする。
――俺の憧れだった人たちみたいだぜ……。あのセリフ、真似してもいいよな?
一度咳ばらいを入れると、イサミは上半身を前後に揺さぶりながら大きく深呼吸をした。
そして再び、胸筋を膨らませんばかりに空気を吸い込み――。
「御用改めである!!」
いつもお読みくださいましてありがとうございます!
贅沢な話ですがブクマとか・・リアクションとかもしよろしければ頂けると嬉しいです。
次回は日曜日更新予定です!!




