5時間目 休み時間 後
王城内は静まり返っていた。
「ふーん、なるほどなるほど」
第四代エスポフィリア王国国王であるカージョン=グラーズィは、玉座に座っていたが姿勢は悪かった。前傾姿勢で、肘掛けがあるのに、自分の大腿に肘を乗せていた。
イノスをはじめとした臣下たちの報告をやたらに大きく肯きながら聞いていた。
「ボクがいない間に、随分と苦労を掛けたみたいじゃない?」
今度は深く腰を沈めすぎて、臀部が座面よりはみ出るほど不格好な座り方になった。
「いやぁ、ご苦労だったね。よくやった、ありがとう! はっはっは!」
手を叩き、一人王は盛り上がる。
革の手袋をはめたままの拍手は、切れの悪い音を立てるばかりだ。
その場にどうにか集まった臣下たちは反応に困るばかりで苦々しい笑みを浮かべるので精いっぱいだった。
「それで?」
ぴたりと王から拍手と笑いが消え去る。「今現在健常な者は何人いるんだい?」
自信に満ち溢れた笑顔は、異様な威圧感を放っていた。
臣下の中でただ一人、イノス宰相だけはカージョン王に対等に物が言えた。
他の文官武官は王の威圧には逆らえない。もっとも、今この場には、特に師団長と呼ばれる武官の類は一人もいなかった。
「二十人いればいい方かと」
城内の静寂は、何もカージョン王の鎮座ゆえの緊張感だけではない。
物理的に人がいないのである。
「あっはっは!」
カージョン王は、愉快だと笑って手を叩く。
「普段は五百人はいるってのに?」
「城外へ出兵している師団もありますが」
「これはまた、随分と派手にやられたね、イノス」
「……申し訳ありません、王様」
「いや、やつらの本気度を甘くみてたのはボクも同じさ。だが、指をくわえてみているだけではないのだろう?」
「もちろんでございます」
イノスが微笑を向ける。微かに居並ぶ兵卒たちは唾を飲んだ。
「『異界の使徒』たちを追う中で、面白い存在が浮上してきました」
「面白い?」
「はい。かつての王が忘れ形見……ルミナーラ・エスポフィリアでございます」
「なにっ!?」
王は、肘掛けを掴み、上半身を前に強く出す。「本当か!?」
永い年月、待ちに待った友人の再訪を喜ぶように目を輝かせていた。
「はっ。第六師団より目撃情報は届いております」
「なーんだ、捕まえてないの?」
王は再び腰を深く沈める。ぐんなりと肩を落とし、「使えないね、第六師団。処刑しちゃおうか?」
唾のようにあっさりと言葉を吐き捨てた。
「……お望みとあらば」
「ま、その辺りは君に任せてるからな。ボクがそこだけ介入するのもおかしな話か。今のは忘れてくれ」
「はっ」
イノスはそう答えると、目尻に動かした瞳で一同を睨む。
兵卒や女給たちの脳裏には「無理だろ……」という言葉が意図せず共有されていたが、皆黙って斜めに俯くだけだった。
「あいつらの気配は何かに隠されてしまっていたからな。向こうから出てきてくれたのなら好都合だけどぉ、本当にルミナーラが生きていたのだとしたら、第六師団よりも先に抹殺しなくちゃねぇ。今どこにいるのかわかってるの?」
「いえ、詳細は不明です」
イノスは笑顔で返す。
噓偽りはないとでも訴えたいのだろうが、また同時に、何の策もないとも思えない兵卒たちは、口を結んで耳を立て続ける。
「ですが……、ルミナーラの方が陽動だったのかもしれません」
「ほっほ~。そりゃあ大胆だね」
「ルミナーラ以外のかつての王国の重臣たちの存在もここに来ていくつか目撃情報が集まっております。だとすれば一つ考えられることがあります」
「今は罠を張ってるって?」
「その通りです」
「よし、イノス、ルミナーラの捕獲は君に任せる」
「はっ」
「それで、アイラグナス国へと渡っていた第七師団の連中はどうなってる?」
「昨日港に到着したとの連絡が届きました。明後日の朝には到着するかと」
「イノス様!」
そこへ兵士が一人飛び込んでくる。もはや所属がどこの師団なのかも気にしてはいられなかった。
「こ、これが……」
兵士は手に、一通の手紙を携えていた。
イノスの眉間がぴくりと動く。
「見せろ」
といいつつ兵士から奪い取る。封蝋は王都より発送されたことを示す赤い蝋だった。
明らかな挑発だ。
イノスは封を乱雑に開き、手紙へと目を落とした。
――こんにちは。もうすぐ約束の日ですね。あぁ、逸る気持ちが抑えきれません。毎晩星を数えながらこの気持ちを慰めております。
ですが……。
まだ王様の周りをうろうろされている方がいますね。あれ? お話が通じないのかしら? それとも王様、このお手紙、皆さんに読まれたくなくて秘密にしてらっしゃる? それなら仕方ないですわね。
でも、そうでないなら……。
約束の夜に邪魔されたくないので、王様以外の人は早めにお城を後にしてくださいな。
邪魔な人は排除します。
本気ですよ?
冗談は言わないということは、今のお城の様子を見れば明らかだとは思いますが、念のためもう一度お伝えしておきますね。
私たちの逢瀬を邪魔する人は命の保証は致しません。今のうちにお逃げになっておいてくださいませ。
それでは王様、お会いできる日を楽しみにしております――。
「――ルぺス先生!」
王都の端、4階建てのアパートメントが詰め込まれた町民街では、人が歩く場所は一日中陰に覆われている。よく言えば涼しく、悪く言えばじめりと苔むしていた。
そんな鬱蒼とした町角にある診療所にはここ数日大勢の患者が運び込まれていた。
そのほとんどが王国軍の兵士。もしくは城で働く文官や給仕たち。
とても町の診療所一つでは抱えきれず、左右前後の隣家に頼み、部屋を借りたり、空き家を一時的に使用したりしている。
「あちらの患者が痛みを訴えています!」
「先生、こちらでは発熱が!」
「先生、新しい患者がこれから十名運び込まれるみたいです!」
軍団が遠征から帰ってきた時を彷彿とさせるような患者の数に、まさしく診療所は戦場と化していた。
「うひい! これ以上増えたらたまらんわいっ!」
白髪の腰が曲がったルぺス医者はてんてこまいだった。
「先生、落ち着いてください」
とルペス医師と同じく白衣を着た女性が現れる。もっとも『白衣』とは名ばかりでその女性の物は桜色をしていたが。
「確かに人数は多いですが、皆さん快方に向かわれていますわ。頑張りましょう」
ピアスのように耳たぶから下がった緑の宝石は光を放っていたのだが、彼女の赤みがかった茶髪に隠れていた。
「おぉ、君か。よし、もうひと頑張りじゃな!」
王都の東門付近で細々と町医者を続けていたルペス医師は、齢六十を前にして人生で一番忙しい時期を迎えていたのだった。
――これ以上増えてはたまらない、という彼の願いが通じたのか、その日はそれ以上患者が増えることもなかった。
六日程前から増え始めた患者だったが、最初の頃診察をした人々は今では少しずつ食事や水分を取れるようになってきている。
あとは看護を担う女給たちに任せておける段階となり、ルペス医師はふぅと息を吐きながら椅子に深く腰を掛け、広がり始めた自慢の額に流れる汗を拭った。
「君がこの町に来てくれていなかったらもっと被害が拡大していたぞい。タウカン坊ちゃん――いや、今は少尉どのになられたか。紹介してくれた彼にも礼を言わなくてはならんが……。君はかつての女神さまの生まれ変わりなのかもしれんな」
とルペス医師が言った相手は桃色の白衣の女性医師だった。
「……偶然ですよ。でも、人の運命とは得てしてそういうものかもしれませんわね」
「ひゃっひゃっ。君は若いのに達観したものの言い方をするな、アイサ君」
窓際でそう微笑みながら試験管の中の怪しげな液体を眺めていた女性医師は、アイサだった。
「過去に一度……私は死んだからかもしれませんわね」
「ふむ。君の死生観……いや経歴には医者としても個人的にも興味がある。この騒動が終わったら一度酒でものみたいものじゃ」
「先生、おほめ頂いたところ恐縮ですけど、私そろそろこの町を離れます」
「そ、そうなのか!? そ、それは残念だ……」
「ですが、ご安心ください――」
アイサは手にしていた試験管を突き出したのだった。
――女性医師がルペス医師の診療所を旅立ったその翌日のことだった。
「ドクタールペスはいるか!」
突如不躾に怒鳴り込んできたのは王国軍の兵士だった。
ルペスは患者の診察をしていた手を止めると、ごった返していた人の群れをかき分けて慌てて玄関に向かう。
「な、なんですいきなり!? わ、わしが何かしましたかな?」
王国兵士はにらみを利かせる。
「この診療所に、怪しげな女が出入りしていると報告が届いておる。間違いないな?」
平身低頭で玄関にやってきたルペス医師だったが、兵士の言葉を聞き入れた途端、痛む腰を真っすぐに伸ばした。
「……いいえ。なんのことやら。誰がおっしゃったのかは知りませんが見間違い、聞き間違いではないですかな?」
「なっ。貴様、この診療所には我が王国の兵士が出入りしたのだぞ。間違うはずがあるわけがない! 医者風情が、王の言葉を疑うというのか」
「その医者風情に助けられているのはどこのどなたたちですかな?」
粋がり顔を赤くする兵士に、ルペスは肩眉を上げて訊き返す。
「私は間違えておりません。怪しい女など、出入しておりませぬ」
――怪しい女などいない。誠実で、患者の為に心血を注いだ女しかおらぬ。
「患者の容体が気がかりですので、これで」
「なっ、おい――」
「これ以上邪魔をするというなら、今ここで寝ている王国軍の兵士全員をお引き取り願えますかな!」
ルペス医師の怒気の籠った声に、診療所内は静まり返る。
乗り込んできた兵士に向けて、看護の女給たちもまた一斉に白い目を向けた。
ばつの悪くなった兵士は、脂汗を流しながら、悔し気に舌打ちすることしかできず、踵を返すのだった。
「――みな、無事にたどり着いているだろうか」
「大丈夫だろ。みんな強かったし――あ、ほら!」
王都から西に十里ほど離れたそこは、ロウマ平原と呼ばれる場所。
遥か昔には水田があったようだが、河川から遠く、また幾度か戦場になったことで放棄された。
それからの長い年月を経て、ここは背の低い雑草だけが生い茂る平原となったのである。
何人が集まるか不明だったが、それでも一応と広い場所を選んだ。
王都へと侵攻する、最後の集合地点だ。
「わぁ……!」
丘の上に駆けあがったルミナーラの口から感嘆の息が漏れる。
長い雌伏の時を共に過ごしていた十人の家臣たちが、十倍近くになって戻ってきたのだ。
平原に群がる人々は、誰もがまともな装備をしていない。皆着の身着のまま、ちょっと農作業をしたり、買い物をしたりするような格好だ。手にしている武器も、古ぼけていたり、錆びついていたり。
しかし、遠目から見ても整っている列は、どんな師団にも負けない統率されたものだった。
『姫さまー!』
いの一番に気付いたのはエッジだった。その声に反応し周囲の臣下たちが次々に声を上げる。
大地が揺れた気がした。
「じい!」
ルミナーラの声が弾む。彼女のここまで抑制していた不安を解き放つような弾んだ声だった。
そのままルミナーラはゆるやかな坂を下っていく。
エッジたちもまた駆け寄る。百人近くの一団が動くとなればなかなか壮観である。
「全校集会の時の校長先生ってこんな気分だったのかな」
イサミは一人冗談めかしたことを言った。彼もまたここまでどうにかルミナーラを引率してきた。その役目を終えて安堵したのかもしれない。
「――イサミ、アイサによろしく」
イサミの背後には聖獣グライフとそれに乗るセイマがいた。セイマ達一行もイサミの到着後、陽が沈んだ頃に平原へとたどり着いたのである。
セイマの護衛としてついていったタウカン少尉の部下たち二人が、やたらにセイマに対して腰が低くなっている。エッジたちと行動していたもう一人の部下が首を傾げていた。
「あぁ、今度は王都で会おうぜ」
「うむ。……イサミ、死んではならぬぞ」
「大丈夫だって。そっちこそ無茶するなよ」
「大丈夫じゃい。姫様はわしらが守る!」
エッジは曲がった腰を伸ばして胸を張った。その次の瞬間には顔を顰めて腰をさすっていたが。
「……イサミさん」
先にグライフへと跨っていたセイマが伺うような眼つきでイサミへと振り返る。
「あ、……そうだったな」
グライフの背中に腰を降ろそうとしていたイサミは、制服のお尻にあるポケットに手を当てた。くしゃりと音が鳴る。
「?」
首を傾げたルミナーラへと歩み寄り、イサミは尻ポケットからくしゃくしゃになった封筒を取り出した。
「なんだそれは?」
差し出された封筒を、首を傾げながら受け取る。
「これが、アイサからの最後の作戦指示だ」
「えっ――」
「じゃぁ、行ってくる!」
イサミはルミナーラへと背を向けて駆け出すと、グライフの背中に乗り、セイマと共にアイサの待つ王都近郊へと向かうのだった。
「よし……皆の者、」
一先ず封筒は確認せず、懐へ押し込み、ルミナーラが振り返る。
坂の上と下という位置関係は、背の低いルミナーラが、それでも皆の顔を眺めることができる好立地となっていた。
老若男女の別なく、集まった人々には勇敢さが溢れているようで、気圧されそうなほどの気配が漂っていた。
しかし、退路はない。これから行くは修羅の道である。道理はあれど、国を統べる王を誅殺しにいく。
世論としては、半々だろうか。
現王国議会――全ての議員は現王の息がかかっており、事実上、王の専制だが――の政治についての不満を持つ者も少なくはない。しかし、それまでの経歴や、先代王を悪者に仕立て上げた狡猾なストーリーは、今も国民に広く知れ渡っており、逆説的に現王のことを好むものも多い。
その王を殺したとなれば、ルミナーラを含め、今ここに集まった全ての者が、その後処罰されていくことになるだろう。
それを防ぐためには、王以外の現王政の中枢を全て駆除しなければならない。しかし、クーデターで政権を奪うことは良しとしない。必要以上に誰かを傷つけるつもりはない。
カージョン王、そして現在の宰相であり、かつて勇者と闇の眷族を討伐する旅に同行したイノス。この二人だけ。
そう決めている。
「最後に聞いておきたい」
「なんです、姫様?」
代表するように、長い付き合いのエッジが言う。
「これから王都に入れば、二度と、王都からは生きて出られないかもしれない」
風が止んだ。爆ぜていたかがり火が、静かになる。
「様々な理由があるだろうが、突き詰めれば、私の我侭に、皆を付き合わせているだけだろう。特に、この度の呼びかけに集まってくれた者たちは、辛くも新しい生活を手に入れていたのではないか? 気にはならないのか?」
――私は、なんと酷いことを言ってるのだろう。せっかく覚悟を決めてきてくれた者ばかりのはずだ。そんなみんなのことを揺さぶるような真似をしている。
だけど、聞かずにはいられなかった。
私は……まだそんなに強くない――。
一同は固唾を飲んだ。
尋ねてくる自分たちの姫は、年齢差を簡単に覆す、力を漲らせた表情をしているが、そこに見えない涙を流していることが分かっているからだ。
「姫様……何をおっしゃいますか!」
エッジが、すでに涙と鼻水で濡らした顔を険しくしつつ、怒鳴った。
「ここにいる者たちは、皆覚悟の上です!」
フーリィが続く。
彼女の言葉に続いて、みな、首を縦に振ることを揃えた。雄たけびにも似た声を張り上げる者もいた。
掲げられたかがり火がルミナーラだけを灯すように光が集まる。
「みんな……」
ルミナーラの肩が震えた。
――私は弱い。だが、皆がそれを支えてくれる。
いざという時は、この私の命で……――。
「姫様、ご安心下され」
エッジが一歩前に出る。
「姫様のことはわし――」
耳慣れない音がした。
「エッジ様!」
一人その音に気付いたトリヒスの鋭い声が駆け抜ける。
「姫様!」
エッジは、その曲がり始めた背筋をまっすぐに伸ばして、ルミナーラへと飛び込み、彼女の体を突き飛ばす。
「わっ――」
一瞬の出来事に、ルミナーラは訳が分からなかった。気づいた時にはお尻が痛かった。
「いたた……エッジ、どうし――」
自分に覆いかぶさっていたエッジの背中には、矢が刺さっていた。
「ひ、姫様……ご無事で……」
エッジの口からは血があふれる。
「エッジ!」
ルミナーラの金切り声に、皆が一斉に群がる。
「エッジ殿! ちいっ!」
トリヒスが振り返る。
一同も同様に振り返り、その先にある林の方へと視線は行きついた。
林の中から、鋭い眼光を光らせていた者が近づいて来た。
「あ~あ、邪魔をしてくれたねえ。アタクシの芸術を」
「お前は、シャドウ……!」
2週分お休みいただきました。お待たせしまして申し訳ございません。
次回は火曜日に更新予定です!(水曜日になるかも・・いや火曜日で!)




