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「こ、ここですか?」
聖獣グライフの背中から降り立ったセイマ達は、顎を上げて息を飲んだ。
一行はエスポフィリア王国の南東部にある森に来ていた。
足下の砂を踏みしめる。
森の中の一角が焼けた砂漠となっていた。
不自然と言わざるを得ないほど、その範囲は正方形に綺麗に整備されていた。
そしてその中心部には、瓦礫の山が積まれている。石や混凝土だけでなく、木材も積まれていて、真っ黒な炭となっていた。何年前の出来事なのか不明だが、眺めているとそこはかとなく焦げた臭いを感じてしまう。
「グライフさん、あれって……」
『かつての聖殿です。私が護っていましたが……やはり、破壊されていましたか』
グライフはその鷲の頭を項垂れてしまう。
見かねたセイマが、ファートとイニム、今の王国のことを間近で見ている二人に目線を向けた。
「く、詳しくは分からないっすけど、」
背の低いイニムが文字通り肩身を狭くしつつ、セイマやグライフ、それにトリヒスの顔を伺いながら語る。
「先代の王から今の王様に代わられた時に、町の教会なんかはかたっぱしから破壊されたっす。でも、まさか神殿までとは知らなかったす」
「よっぽど恨んでいたんですかね?」
セイマがトリヒスの方に体を向けた。
「それもあるとは思います。ですが……」
『恐らく、聖殿に保管されていた神器を持ち去ったのでしょう』
「神器?」
「そんなぬがあるんだぬ?」
トリヒス以外の三人が首を傾げた。
その時だった。
どんと鈍い音が足下から響き、地面が揺れる。
「きゃぁっ!」
セイマは派手に尻餅をついてしまった。
他の者たちも倒れまいと必死にこらえる。
揺れは続き、瓦礫たちもまた震え、少しずつ崩れ始めた時だった。
「とうっ!」
天を舞う巨大な影が現れる。そのまま影は落下し、瓦礫の山の上に着地した。
瓦礫が砕け、跳ねるように舞い、そして崩落する音が騒々しく響くが、地面の揺れは納まった。
「あわばばばば……!」
妖精代行のセイマはその影の正体に気付き、驚き、口を震わせていた。
「ダバババっ! やーっと見つけたぜェ。この国を騒がせている女神の偽者ってのはテメェらだな」
その巨体にばかり目が行ってしまう。
特注だろう鎧が、パンパンな体を拘束しているようにさえ見えた。
ボサボサに伸びた髭に、まるまると太った腹。
下卑た笑い声が周囲をひりつかせる。
左右で目の開き方が違う。何か理由があるのか、左目はやたらに大きく開き、右目はうっすらと開くだけだった。
周囲の木と同じだけの背丈。そしてその首から下と同じ長さの剣を地面に突き刺し、杖の如く体を預けている。
「だ、だだ、誰ですか!? カイブツ!?」
セイマの疑問に答えたのは、ファートだった。
「あ、あれはルルウバン師団長だぬ」
「だ、第四師団の師団長っす」
青褪めた顔でイニムが続く。
「第四師団……処刑人か」
「しょ、処刑人ですか!?」
「はい。内部の監査役を兼ねてます。その職務ゆえ、師団と言えど実質一人のみです。その組織の身軽さゆえ、刺客として放たれることも……。いずれにしろ、かなりの実力者でないと任命されませぬ」
トリヒスが唸る。
「単純にあの巨体だと力が強そうですね……」
「ダバババっ! イノスのヤローの予測通りだったか」
「え? 誰です?」
セイマが左右に顔をふりながら確認している間にも、ルルウバンは語りを止めない。
「聖獣が一緒にいるって噂だったからな。聖殿にいれば来るから見張ってろって言われたんだよ」
ゲェェプッ――ルルウバンの口から黄ばんだ吐息が漏れる。
「うわ、臭い!」
それなりに離れているはずだが、体つきに相応しい肺活量ゆえか、その息が届いたのだ。
「酒臭いっす!」
「何だか体臭も雨上がりの犬みたいな臭いがします!」
言いたい放題言われるが、ルルウバンと呼ばれた男は、一切気に留めない。
牛の背に小鳥が止まろうと嘶くこともないように。
「おい、聞いてるのか!」
ルルウバンが怒鳴る。空気が震えた。
「お前が偽女神なのかと聞いてんだ!」
「……へ?」
興奮するルルウバンとは対照的に、セイマは思わず鼻を垂らしそうになるほど間抜けな声を漏らした。
――これ、どういうことですか?
セイマは隣に並ぶトリヒスたちに声を潜める。ちなみにグライフは、すぐに危機を察してかその身を結界で隠している。またいつ操られてしまうのかわからないのでセイマとそういう話になっていた。
――もしかして、私に気づいてないとかですか?
――い、いやそれはどうでしょう? やつもはっきり言ってましたからな。
――でも、聞いてきてるんだぬ。
――……こ、ここは思い切って……。
セイマはくるりと身を返し、ルルウバンに対面する。
「ひ、人違いじゃないですか?」
思いっきり首を傾げて、右手の人差し指の腹をキスする。
「な、なにぃ!? 違うだとおお!?」
大声を出し、その勢いに負けて文字通りひっくり返るなど無駄に大きな反応をする。ルルウバン師団長の一挙手一投足に瓦礫の音が重なり、騒々しい。
セイマたちはたまらず耳を抑えた。
「こいつぁ一本取られたぜぇ。ま、外したのはイノスのヤローだからな、オレは悪くねえ! ダババババ!」
大の字になって寝転がるルルウバンに、セイマ達は引きつった笑みを見せつつ、
「それじゃあ私たちはこれで……」
「あぁ。すまなかったな。……ん?」
ルルウバンは体を起こす。「でもテメェら、それならこんな辺鄙な所でなにやってたんだ?」
忍び足でその場を離れていくセイマ達は、その問いかけについ足を止めてしまう。
「え、えっと……その……ねぇ? ピクニックですよ、ピクニック!」
「こんなところにか?」
「こ、こんなところだからです! ねぇ?」
大量の冷や汗を流すセイマに釣られて、男たちも汗だくになって頷く。
「そ、そうっス!」
「人がいない辺鄙な所じゃないと意味ないんだぬー」
「そうか! 確かにここなら静かだな!」
ルルウバンがニカリと黄ばんだ歯を見せて笑ったので、セイマ達はほっと胸をなでおろす。
その吐息に混ざる様に、ぐぅ~と腹の虫が鳴く。
腹を抑えたのはルルウバンだった。
「あ~、腹が減った。すまんがオレにも飯を分けてくれねえか?」
ドキリと肩を弾ませるセイマだった。もちろんピクニックの目的で来ていないので飯など持っていない。
「さ、さっき食べちゃったぬ!」
「な~んだ、そうなのか。それじゃあ仕方ねえな。……あれ、でも待てよ? オレがここで待ち伏せてて、さっきテメェらは到着したってのに、どこで食べたんだ? ここが目的だったんだろ?」
「うっ……」
しつこい……。
「なんだか怪しいなぁ。頭が混乱してきたぜぇ」
ルルウバンの表情が、疑うものから、徐々に確信を得たようににたりと醜く歪んでいく。
「ただぁ、テメェらは散策なんかが目的ではなくて、何らかの理由で聖殿を目当てにやってきた偽の女神の一行だって考えりゃあすべてに合点がいくんだけどなあぁ!」
再び疑いの目を向けてきた。
さっさとグライフに乗って空に逃げ出すべきだろうが、今グライフは結界を張っていて姿が見えない状態なのに、わざわざ姿を晒すことになってしまう。グライフが操られた方法が分からない以上、王国軍、まして師団長の前に姿を見せてしまっては、再び操られてしまうかもしれない。
それに、飛び乗れたとしても、相手の間合いの範囲内だろう。背負う巨剣を振り下ろされれば即座に一刀両断されてしまいかねない。
「どっちにしろ怪しいぞテメェら。大人しく連行させてもらうぜ。その上でてめぇが偽女神なら、報酬は二千万ポポだ」
ポポとはこの国の通貨の単位の一つだ。以前町での買い物の際、教えてもらってはいたが、その時もちょっと可愛いとセイマは思っていた。更にはこのゴツい男が言ったらそのギャップでくすりと笑ってしまう。
「……ぷっ!」
「あぁ? 今笑ったな。テメェ、さては金持ちか!?」
「は?」
イニムより補足が入る。
「二千万ポポと言えばオイラが百年働いてやっと貰える収入っス」
「えぇ!?」
セイマは驚いた。
「私ってそんなに価値があるんですかぁ!?」
……。
…………………………。
「あ」
「今白状したなぁ! 偽女神!」
思わぬ形で正体を白状してしまった。
「ば、バレては仕方ありませんね」
セイマはルルウバンを睨む。
「自分で言ったぬ……」
「さぁ大人しく捕まりな。殺しちまうと報酬が半分になるからな」
「半分でも一千万ポポっす……」
「お主、余計なことを考えてはおらぬな」
トリヒスがイニムへ冷めた目を向ける。
「ももも、勿論っす! 妖精の姐さん、怖すぎるっすから」
「殺されるのももちろんですが、捕まるのも絶対に嫌です!」
セイマはべっと舌を出した。「イサミさんやアイサさんに怒られちゃいますもん」
「ダバババババ! やはり偽者だな。本物の女神はもっとおしとやかだったぜェ!」
ルルウバンは巨剣を背から抜いた。
「トリヒスさん」
「はっ」
「三秒お願いします」
セイマは素早く後ろに離れた。
「はっ!――行くぞ!」
トリヒスは二つ返事で剣を抜いた。そしてファートとイニムを促す。
ただその一歩前に足を進めた瞬間には、ルルウバンは攻撃を開始していた。
「逃がさねぇぞ!」
刀身が錆色に光る剣を地面へ斬りつけた。
縦に強く揺れ、亀裂が走る。
地震を操るようだ。
先程より強力な揺れでは、まともに立てず、トリヒスたちは腰を抜かすように尻餅をつく。
揺れと同時に地面が一瞬光った。
奥に離れようと走っていたセイマもまた躓き転んでしまった。「うべっ」
「外野は引っ込んでなぁ!」
亀裂から石の柱が飛び出す。
「ぐはっ」
足下から突き上げられた三人は宙を舞った。
「ぐっ……なんの!」
トリヒスはきりもみしながらも、その勢いを利用して体勢を整え、落下の加速度に任せてルルウバンを急襲する。
「ふぬっ!」
トリヒスの剣を、ルルウバンはその特注であろうサイズの兜で受け止めた。
厚みが通常のそれより厚いのか、剣で打ち合うような鈍くも澄んだ音が鳴る。
「ぐっ……!」
頭部を剣で捉えて圧倒的に有利な立場だったはずのトリヒスの方が、気圧されてしまった。バランスを崩し、そのまま地面に背中から落ちてしまう。その弾みで鈍い吐息が口から洩れた。
「うおおおおおおおお!」
ルルウバンの背後から、ファートが突撃する。
しかし、振り向きざまに振り下ろされた巨剣が襲う。
もはや斬るというより、殴りつけるようだった。作法も型もない。案の定、適当に持った剣では、刃ではなく峰で殴りつけただけになる。
それでも、受け止めたファートの剣を簡単に折ってしまった。
厚い脂肪の内側には熱い筋肉が漲っていた。
「ぶおぉ!?」
ファートはそのまま殴られ地面にたたきつけられる形になった。
「しっ!」
短く息を吐いたイニムは、構えていた弓から矢を放つ。
見事にルルウバンの右大腿の裏側へ矢が刺さるが、動じることはない。
「雑魚がオレに何をしたぁ!」
無数の砂礫がイニムへ飛ぶ。
「邪魔くせぇ!」
再び剣を突き刺す。
トリヒスたちの足元の土が、質を変える。
粘土状になり、脚がめり込む。自由に動けない。
「わ……うわああああ?!」
イニムの情けない悲鳴が響いた。トリヒスも地面のぬかるみに捕まり、気を失っているファートは腹側から体が沈んでいく。
「ガッバババ! 弱ぇ、弱すぎるぜ! これで二千万ポポならぼろい商売だ。もう師団なんて面倒くせえことやめてやらあ! ガババババ!」
天に向かって高笑いするルルウバンだった。
「――お待たせしました!」
そこへセイマがローブを纏っていた。
濃紺のローブに施された、天体の如き模様が淡く光り輝いていた。
「キーオス!」
セイマが天に向かって掌を掲げる。
すると、晴天の向こうで微かに星が光り、そのまま光の柱を地面に降らせる。
落ちてきたのは、巨大な――
「サソリ……!?」
グライフにも負けじとも劣らない巨体のサソリだ。
さすがのルルウバンも一瞬迷いを見せた。
その隙をついて、セイマの呼び出したサソリが鋏状の触肢を伸ばす。
「ふぬんっ!」
ルルウバンの巨剣がそれを迎え撃つ。撃ち合った瞬間に響いた金属音から、鋏の鋭さを感じさせた。
つばぜり合いの格好になり、どちらとも一歩も引かない。ルルウバンはどこか楽しんでいるのか、にたりと下卑た笑いを続け、舌で口の端を舐めた。
「ダッバッバ……! 不意打ちできなくて残念だったなぁ……!」
「ダメですよ」
セイマが言った。「サソリを相手に真正面ばかりに気を取られていては」
「なに――!?」
サソリの終体――複数の体節と鈎状の毒針を有する尾節からなる――が地面に対して反り返り、自身の体を超える長さに延伸し、その針がルルウバンの頭部を突き刺した。
兜など初めからなかったように、太く鋭い針が刺さる。
「があああああああああああああああああああああああ!?」
体節が針側から順番に脈打ち、毒液を注入しているのか、ルルウバンの豪快な断末魔が轟き、林を騒がせ、木々の隙間で羽を休めていた鳥たちが慌ただしく飛び去った。
「――っす!?」
足下がただの地面に戻り、抵抗していたイニムは前につんのめりながら、どうにか倒れることはなかった。
トリヒスも同じようで、彼は解放されたらすぐにファートの下へ向かう。地面に半分埋まりかけていた彼をどうにか起こし、イニムも呼びつけて二人で土をかき分けた。
どうにか救出し泥まみれになった三人は急いでルルウバンから離れ、セイマの下にたどり着く。
「せ、セイマ殿、あれはやはり毒ですか?」
「ど、毒を注入しているんだぬ?」
「あわばばば、やっぱり妖精様はえげつねえっす」
矢継ぎ早に質問をする三人に、セイマは戸惑う。
「ちょ、ちょっと待ってください。私は毒なんて使えませんよ!」
セイマは慌てて手を振る。「先生もそんなこと言ってませんでしたし。ほら、よく観てください」
尻尾の脈動は、体から尾の先である毒針に――ではなく、毒針の方から体へと向かっているように動いている。
「あの針に刺されると、相手の力や悪しき心、欲望とかそういうのを抜き取るみたいです。あ、もちろん、鋏に挟まれると体がちょん切れますけど」
「……さらりと一番恐ろしいこと言わなかったぬ!?」
――やがて抜き取られたルルウバンは、かつての巨躯はどこへやら、背丈はそのままだが、すっかり細い体になってしまった。鎧の類はサイズが合わなくなり、彼の足元に落ちてしまった。
ボサボサに伸びた髭も、頭髪もすっきりしてしまい、もはや別人である。巨剣は朽ちて、砂粒になり風に運ばれてしまった。
一方でサソリはというと、腹いっぱいとばかりに、体をパンパンに膨らませている。ちょっと針で突けばそれこそ弾けてしまいそうだ。
重くなって動けないのか体をプルプル震わせていた。
「はーい、お空に帰って良いですよ」
ぱん。とセイマが手を合わせると、迎えの光が空より降り注ぎ、サソリは天へと帰って行った。
「ワタシは……一体……。ですが、なんだかとても爽やか心地です」
荒々しい口調も抜き取られ、とても静かで穏やかな口調になっていた。鎧を跨いで、彼は砂地の上に正座した。正座しているのに、セイマ達はまだ見上げる必要があった。
ルルウバンは青い空と白い雲を見上げて、慈しむように笑みを浮かべていた。
「こ、これがあのルルウバン師団長だぬ?」
「完璧に別人っす」
その変貌ぶりに、王国軍の二人は驚きを禁じ得ない。
セイマはどこか嬉しそうに鼻息を強くして腰に手を当てていた。
「しかし、ワタシは、己の欲望のためにとても多くの過ちを犯してしまっておりました」
ほろりと涙を流す。「多くの人を傷つけ、時には殺め……この命一つでは償いきれません」
そんな彼に、セイマは微笑を浮かべた。
「大丈夫ですよルルウバンさん。あなたはあくまで軍人。戦うことは仕事だったんですし。過去は振り返れませんが、未来は今からいくらでも変えられますから!」
「おぉ……あなたは偽者ではなく、本物の女神さまでしたか……愚かなワタシをどうかお導きいただきたい」
ルルウバンは額を地面にこすりつける。
「え?」
驚き目を点にするほかないセイマだった。
「ど、どうされるのですかセイマ殿」
トリヒスがこそりと耳打ちする。
「え、えーっと……」
戸惑っていたセイマだったが、ルルウバンの心変わりを愛でるように再び微笑んだ。
「ルルウバンさんはどうされたいんです?」
「ワタシは……」
ルルウバンは顔を上げた。額に赤い血を滲ませている。
「まだ己の未熟さを受け入れ始めたばかりです。まだまだ修行が足りないと思います。ですので、世界を見て周り、自分が何ができるのか、見定めたい」
「良いと思います。あなたの清らかな心の赴くままに……。きっと神が……いえ、私が見守っております」
「かしこまりました」
ルルウバンは慇懃な礼をセイマ達に見せると、その場にブーツを脱ぎ、鎧を振り返ることなく、陰部を隠す肌着のみを纏い、裸足のまま旅立ってしまったのだった。
「ど、どうなってるんだぬ……」
半ばあきれるように呆然としていたファート達をよそに、セイマは一人、満足げに笑って、ルルウバンの背に手を振るのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます!
大変恐縮ですが、来週、再来週はお休みさせていただきたく存じます。




