5時間目 休み時間 前
「くっ……ててて……あっつっ」
よろめきながらイサミが立ち上がる。爆風には当然ながら自分自身も巻き込まれた。
高温の水蒸気に包まれたが、炎の属性を纏っていたからか、火傷を負うことはなかったが、未だ燃え続ける刀身から放たれる熱は吸い込む空気さえ焦がされているよう。
草原が青く茂っているからよいものの、枯れていれば辺りは火の海になっていたかもしれない。
だがしかし、イサミとリーナが激突した辺りの草はすっかり燃えてしまい、ただの大地が剥き出しになっていた。焼けた臭いは不快なようで、鼻腔の奥の脳をくすぐったのかどこか懐かしさを感じてしまった。
また、リーナがまき散らした氷の矛の残骸は、未だ溶けることを知らないようだ。名も知らぬ雑草が凍り、一つのオブジェと化していた。
「――あっ」
草原の彼方に、横たわるリーナの姿を確認する。
彼女から溢れていた気配は、もう見る影もない。
それが分かり、イサミも警戒を解いたらしく、刀身から炎が静かに消えた。
そして間もなく、イサミも膝から崩れ落ちたのだった。
「…………う、うぅ……」
うめき声を上げたイサミがゆっくりと視界を取り戻す。
そこには、今にも泣き出しそうなルミナーラの顔があった。
背景を空にした彼女の顔――それが、自分を覗き込んでいる姿だということに気付くには少し時間がかかった。
「イサミ……!」
ルミナーラの声が震えていた。そして、彼女の安堵から漏れた吐息が鼻の頭をくすぐった。
「る、ルミナーラ……?」
「もう少しで落ち着くはずだ」
彼女の顔が光っているように見えた。
だが、それは勘違いだった。光っていたのは自分の体だったということには気付けなかった。
「……刀が勝手に反応したからさ、」
イサミはそばに転がっていた刀へ目だけを動かす。
「魔術なのかはわかんねぇけど、すげえ疲れるな。威力もすげえけど、使い方間違ってたかもな。自滅みたいなもんだぜ」
イサミの声はすっかり元気になっていた。
「そうなのか? というか全身傷だらけだったぞ」
「あぁ、大した事ねえよ。ちょっとした切り傷だし」
「そうか。イサミは強いのだな」
そうルミナーラが言うと、イサミは顔を赤くし、なにやらモニョモニョ言っていたが、イサミの頭を両膝の上に置いていた彼女は視線を明後日の方へと向けていた。
「さて……」
そこには、横たわるリーナの姿があった。
彼女は打ちどころが悪かったのか、気絶したままで、そばには彼女の愛馬が控え、頬を舐めていた。
――あの白味の強い金色の髪、そして血のような赤褐色の鎧は『茨の騎士団』……恐らくリーナ第六師団長だろう――
建物の影に隠れていた時に、イサミと二人でそんな会話をしていたことを思い出す。
「女性の騎士団長か……」
結果として、イサミが勝利を収めた――と言って良い結末なのかは、彼自身も首を傾げるが、ひとまず、向こうは戦意喪失状態である。
「なぁにが『今すぐにでも止めを刺したいところだが』だ。こっちだって調節してんだっての」
「イサミ、すまない、私の一言で、返って苦労をかけてしまって」
「だぁ、もうそれやめろっての!」
すっかり体の調子も戻ったようで、イサミは跳ね起きた。
「同じ目的を持った仲間だろ? 謝る必要ないっての」
「そうか。……そうだったな」
「あぁ。お前が無事でよかったぜ」
イサミが笑顔を向けると、ルミナーラもまた、少し恥ずかしそうに笑った。
「今はとにかく王都に向かおうぜ。そろそろ向かわないと間に合わないだろ?」
イサミが伸ばした手を掴み、ルミナーラは立ち上がる。
「あぁ。この町を抜けることができたからな。迂回するよりは十分余裕が――」
「ま、待て……」
意識が戻っていたようで、リーナがふらりと立ち上がる。
もはや彼女に戦う力は残っていないのだろう。穂先が、イサミに切られた時の状態に戻ってしまっており、もう氷の矛は現れていない。
「頑丈だなあんたも。さすが王国の師団長だぜ」
よろめいてはいるが、鎧や肌に焼けただれた様子はない。むしろ戦う前と同等かそれ以上に小奇麗になっている。
「私が治しておいたのだ」
ルミナーラが言った。
「え、そうなの?」
「あぁ……」
理由を語ろうとはしないルミナーラだったが、イサミもまた追求しなかった。
矛の柄を杖代わりによたりよたりと近づいてくるリーナを並んだ二人は黙って見つめていた。
やがて、一定の距離にたどり着いたリーナは、ルミナーラを見つめつつ、言った。
「い、イサミ……もしかして、その隣にいる……お方は……もしや」
「え!?」
イサミは露骨に動揺した。
「と、隣……隣!? え、なに、誰の事? 俺には何も見えてないけど……」
咄嗟にウソが付けないのか、ルミナーラの存在を幻か幽霊かに誤魔化そうとする悪手に出た。
「見え透いた嘘を」
案の定秒でばれる。
「もしや、ルミナーラ姫ではありませぬか?」
緩やかに吹き抜ける風が、草を撫でる微かな音が三人の周囲を取り巻いた。
「……いかにも」
ルミナーラは覚悟を決めたのか、堂々と返答する。
リーナの瞳孔が開く。
「やはり……。ということは、イサミの腕輪は……」
「私からの贈り物だ。なるほど、私は生死不明のままだから、結びつけたということか」
リーナは黙って頷いた。
「姫様……ご無事で……」
そして彼女は、静かな涙を流した。
「え? どういうこと? あんた今の王国の師団長なんだろ?」
場の雰囲気を読めず、イサミは怪訝な顔をして、リーナを睨む。
「だからといって、旧王家に恨みがあるわけでもない」
リーナは涙を拭う。
「それに先代王にはとてもお世話になった。それにプレア王妃様にもな」
「プレア……そ、それは姉上のことか、リーナ!?」
ルミナーラも瞳孔を開く。
「わ、私の名前をご存知ですか?」
「リーナ、姉上は無事か!?」
驚くリーナのことについ構う余裕なく、ルミナーラは彼女に駆け寄り、その両肩を掴む。
「そ、それは……」
リーナは顔を斜めに背けた。
そこでようやくルミナーラも冷静さを取り戻す。
「……すまない。質問を変える。……姉上のご容体はその後いかがだろうか」
リーナは顔を戻し、逃げようともせずまっすぐに訊ねてくるルミナーラから、自分も逃げないことにしたようだった。
「ご存知ということでしょうか」
今度はルミナーラも肯いて答える。
「姉上がご体調を崩されて療養されているということは聞いている。ただ、一体どのようなご病気なのかはわからぬのだ……」
「恐れながら、私も詳しいご病気のことはわかりません。最後にお話したのはもう一年以上も前のこと。プレア王妃様はとても優しくて聡明な方でした。私は年が近いこともあり、王妃様は王城内ではお立場もあることですから、気さくに話をすることができる相手が少なかったこともあって、よくお話をしてくださいました。ですが今は……国王様とイノス宰相様、それに少数の世話係のみ、居室へ出入りすることが許されるだけで、私は……」
リーナの口の端の隙間から、食いしばった上下の歯が覗く。
「そうか……」
「申し訳ございません。お役に立てる話ができず」
「案ずるな。姉上のことを気にかけてくれる者が、王城内にも未だにいることがわかっただけでも嬉しい。それに、少なくともまだ生きておられることがわかった」
「はい。ご存命にございます」
「ありがとう。礼を言う、リーナ」
「もったいないお言葉です」
リーナは片膝を地面につけて、ルミナーラに敬意を払う。そんな二人の様子を傍から見ていて、改めてルミナーラはいわゆる王族の血を継ぐものなのだなと、イサミは感心していた。
「……しかし、ルミナーラ様一体このような場所で、」
呑気に考えていたイサミを、ちらりとリーナが一瞥する。
「このような者と何をなさっているのですか?」
リーナが当然の質問をする。
「悪いが、それは言えぬ。だが、無暗にリーナたちを傷つけようとは考えていない。可能な限り、無関係な者たちに迷惑をかけるつもりはない」
「そ、そうですか……」
と俯きかけたリーナは、はっと息を飲む。
開いた瞳孔は、ルミナーラの隣で退屈そうに話を聞いていたイサミに向けられた。
――ということは、もしや私は、手加減されていたということか……?
一方的に恨みがましい眼差しのようなものを向けられ、イサミは怪訝な顔を浮かべたが、文句を言うこともなかった。
「いやその……魔術には慣れてないぜ? はは…………。まぁ、なんて言うか仕方ないんだよ、色んな意味で」
イサミは一人あせあせとリーナの様子を伺いながら、要領の得ない言葉を並べた。
そんな彼を助けるように、ルミナーラは一歩前に出る。
「すまない。私の考えなのだ。だけど、……邪魔する者は、容赦はしない」
その鋭さに胸を刺されたのか、リーナは息を飲んでルミナーラを見つめた。
「私一人だけの旅ならば、臆病風に吹かれて流れゆくことも容易い。だけど、」
ルミナーラは、細い自分の体を抱きしめるように、腕を回す。
「この想いは私一人だけの物ではないのだ。だから、立ち止まっている暇はない」
冷えた手に吐息をかけるように言うと、ルミナーラは踵を返した。
そして、ホリックの町とは反対方向に歩き始める。
イサミは意表を突かれて、慌てて追いかける。
「――ルミナーラ様っ」
すがるように手を伸ばし、その名を呼んだリーナだったが、ルミナーラは足は止めても振り返らない。
「リーナ、あなたはこれからの国を背負わなければならない。そんなあなたと私は、一緒に歩くことはできない。だから、黙っていてくれとも言わないし、再び私たちの前に立ちふさがろうとも構わない。リーナはリーナの信じる道を貫くんだ」
そう言葉を残し、ルミナーラは前に進む。
彼女がどんな表情を浮かべていたのか、リーナには分からなかった。
もう何も呼びかけることもなく、その小さく大きな背中をいつまでも追い続けるのだった。
「――リーナ、さん」
イサミが一人、見送るリーナの下に引き返してきた。
「?」
予期せぬ彼の行動に、リーナは言葉にならない疑問を漏らす。
「一つだけ言っておきたいっていうか、確認したいことがあるんだ――」
「リーナ様」
騎馬に跨ってはいたが、騎士として疾風のようにかけるのではなく、脚を引きずるようにとぼとぼとホリックの町に戻ったリーナ師団長を、兵士たちが出迎えた。
先のイサミとの打ち合いにて生じた爆発は町にも轟いていたようだ。
住民たちと睨み合っていた兵士だけでなく、その住民たちも彼女の帰還を出迎えるように目を向ける。多少暴れたのか、兵士の一人と、青年たち数名が傷を負って道の端に倒れていた。
「リーナ様、ご無事で」
「……」
兵士たちの呼びかけをリーナは取り合わなかった。
自分のみすぼらしい姿を隠そうともしなかったが、それゆえに気遣われていることも悟った。
それに愛想よく感謝を浮かべてしまうと、己の弱さを晒すかのように思えてか、無視に近い態度だった。
「……その者たちを開放しろ」
「え?」
兵士たちが目を点にし、互いを見合う。
マニティ町長たち町の住民もまた、動揺を禁じ得ない。
「……すまなかった」
リーナはただその一言だけを町に添えた。
通り過ぎ、町を出て行こうとするリーナを、マニティたち町の住民は黙って見送った。力を失ったような彼女に皮肉どころか、慰めの言葉も何もかも、口にすることができなかった。
兵士たちは慌てて騎馬で追いかける。
「リーナ様、どちらへ」
「少し、寄り道する」
「寄り道? どちらへ行こうというのです」
「この世界にだ」
リーナは町の外れから真っすぐに伸びる道を見つめてそう言った。
「――ん? あ、あれは……」
彼女の目線の先を追っていた兵士の一人が声を震わせる。道の先に見える林の木々と同程度の背丈の坊主頭の人間が見えたのだった。
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