5時間目 算数・課外授業 後③
――あの白味の強い金色の髪、そして血のような赤褐色の鎧は『茨の騎士団』……恐らくリーナ第六師団長だろう。
――知ってんのか?
――噂だけだがな。私がまだ城にいた頃は聞かなかった名だ。
――情報はなしってことか。
――まさか、イサミ、彼女と?
――このまま放っておくわけにはいかないだろ? ルミナーラは隠れてろ。
――……気を付けろイサミ。やつは魔術も操る優秀な騎士だと聞く。
ホリックの町から外れた草原に姿を見せたリーナ師団長をその目で捉える。
イサミは町の中で身を潜めていた時のルミナーラと交わした会話を思い出していた。
――一人できたか。挑発したかいがあったぜ。こんな広い所で囲まれたら……うわ、何だあれ?
斧……だよな。斧なのかあれ!?――
長い柄の先にあったのは反った刃がつく戦斧だった。
夜闇を薄く照らす銀の三日月を彷彿とさせる刃と、先端には鋭く飾り気のない槍が備わっていた。斬ることでも突くことでも人を殺す力があると一目でわかる重々しさだった。
柄頭には蒼い宝飾がされていた。
それをリーナは軽々と扱っている。彼女の体は青く縁取られ、気配が充満していることが否応にも伝わってきた。
その熱意が伝わってくるのか周囲の気温が上がっていることにイサミは気づかず、顎に滴る汗を手の甲で拭った。
騎馬はゆっくりと近づいてくる。
「イサミで間違いないな」
ある程度の距離まで近づいた時、騎馬は止まった。彼女が騎馬から降りてイサミと刃を交えるつもりなら、まだまだ間合いは詰まっていない。
しかし、騎馬を駆るつもりならば十分助走が附く距離だった。
風はなく、静けさに満ちた草原では声がよく通る。
「違ったらどうすんだよ」
イサミが半ば嘲るように呟いたその一言もリーナには届いているようだ。
「問題ない。貴様はどのみち王国軍の任務を悪戯に攪乱した。罪に問われることは換わらぬ」
「それだけでその斧で命を狩ろうっての? くだらねぇ……。マジで怖いな法律がないって」
「何を言っている? 貴様こそどこの国の出身だ。絶対的な王家に唾を吐くような真似の数々。貴様の国には王族はおらぬのか? 統治者に逆らう恐怖を知らぬとは」
「あんた、自分で墓穴掘ってるぜ」
「は? 墓を掘るとはどういう意味だ」
ある意味正しく翻訳はされているようだ。数珠の――今は刀の鍔と化した、緑の珠が光ってはいる。しかし文字通りに受け取られ、真意は伝わっていないが、イサミは言い直すことはせず、続けた。
「あんたは怖いから従ってるってことだろ。そんなところに倫理観なんてねぇようなもんだし、敬意も関係ないだろ」
「尊敬と畏怖は同価値だ。畏れるものなく従うこともなし」
「わかりやすくはあるけどな。あんたそれで楽しいの?」
「やかましい! 子どもの話し相手をするつもりはない」
リーナはみるみる顔が赤くなっていく。
「そんなに年齢変わんなくね? 見た感じあんたもそれほど年上には見えないけど」
「私が子供だと言いたいのか!? 騎士を愚弄するとは……ゆるさん!」
リーナが右手で手綱を引いた。騎馬が嘶き、前脚を高く上げた。
左手一本で戦斧を扱う。軽々と振るうその様は、騎士としての誇りを謳うに疑わない勇敢さを兼ね備えていた。
だが、その構えにイサミはある疑念を抱く。
しかし今はそれを精査している暇はなかった。
騎馬を駆り突撃してくる。
リーナの左腕が柄に蔦のように絡みつき、後ろに大きく振りかぶった。
一方イサミは、刀を中段に構え、微動だにしない。
最高速とまでは行かないにしろ、速度は十分のっている。
歩いて躱すことはできない。
それでもイサミは動かない。
騎馬の後ろから前へと斧が回転するが如くリーナは腕を振った。
騎馬の鼻息とイサミの刃が交錯する。
刹那。
イサミの体が舞う。
一閃の刃が戦斧を迎え撃つ。
リーナの腕は自身の前方に鋭く振り上げられた。
切ない悲鳴にも似た金属音が一つだけ草原の上に広がった。
通り過ぎ行く騎馬とリーナに置いていかれるように、戦斧はイサミを断つという役割を全うすることもなく、その斧の部分丸ごとが草原に転がる結果となった。
イサミの刀が柄を断ったのだ。
「――いでっ!」
舞うまではよかったイサミは、着地は不格好で、左半身を地面に打ちつけた。
地面を蹴り、飛び跳ねたイサミの体は、地面と並行になり、リーナの斬撃を躱すと同時に、戦斧の先を切り落としたのだ。
「なっ――」
腕に妙な軽さを覚えたリーナが言葉を詰まらせたのは、交錯してすぐのことだった。
手綱を引かれた騎馬は、蹄を草の上で滑らせてブレーキをかけた。
リーナの持つ柄の先端3分の1がなくなっており、ともすれば竹槍のように斜めに鋭い切り口が見えるだけだ。
斧の重要な刃の部分は、イサミの血を吸うどころか、刃こぼれ一つすら無かった。
「あんた、戦ったことないんだろ?」
……まぁ俺もほとんどないけど。
「なに?」
「歩兵相手に騎馬の突撃使わなくてどうすんだよ」
斧で狩ることばかり意識してしまったリーナは、当然刃を当てようとしてイサミに激突する直前から馬の鼻先を右に逸らしていくことになる。
柄の穂先を槍として扱い、突撃に任せて突きを見舞わされれば逃げるだけで必死にならざるを得なかったが、歩兵の群れを相手にするが如く、得物をただ振り回すのならば、先のようにイサミにも多少の分はあったのだ。
「ぐっ……」
柄だけになった得物。その切り口の滑らかさにリーナは固唾を飲み、肩を震わせていた。
「もうそれだと使い物にならねえだろ? 諦めて――」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
リーナが馬上で吠えた。
少し低いが女性らしい質の声だが、腹からの叫びに華奢という形容は似合わない。
騎士としての強さを感じさせるものだった。
イサミはあまりに突然のことで目をしばたかせることしかできなかった。
やがて余分な力を吐きだしたのか、強張っていた肩の力を抜いたリーナが薄い笑みを向ける。
「私としたことが、未熟だった」
イサミはうすら寒さを背中に感じ、身が震えた。
リーナの持つ、もはやただの棒と化したはずの柄、その柄頭の蒼い宝飾が、光を放ち始めた。
決して派手ではなく、品のある淑やかな光は、つい見る者を夢中にさせる貴族令嬢のような魅力を放っている。
イサミは解いていた構えを、再び取った。
ルミナーラの言葉が蘇る。
――……気を付けろイサミ。やつは魔術も操る優秀な騎士だと聞く――
噴き出していた汗が、体温を奪っていくのがわかった。
「なるほど、やはりただの旅行客というわけでは、ないようだな」
彼女の体を縁取る蒼い気配が、切られた柄の先に集中する。
やがて、彼女の左手の先から、汗が流れる。
「……は? そ、それ……」
イサミは目を疑い、手の甲で乱暴に擦った。
リーナの指先、指の股、柄を握る手のひらから次々に水が溢れてくる。
黄土色の柄が水に濡れ、色濃くなっていく。
鋭い先端からは如雨露の如く水があふれ出していた。
「ふぅ……」
リーナが深いため息を吐いた。
すると、今度は先端の水が音を立てて凍り始めた。
イサミが声を漏らす暇も、瞬きする間もなく、凍っていき、やがて先端には三叉の穂先が生まれた。
氷で出来た三叉の矛が、そこに生まれた。
「な、なんだよそれ……? てかどうなってんだよ!?」
わめくイサミを、リーナは鼻で嘲笑うのだった。
「ふっ。貴様こそ、戦いを知らぬのか? 魔術を用いた戦いというものを――!」
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