5時間目 算数・課外授業 前③
――世界の注目を引き受けているセイマ達の隙をついて、エッジたち旧王家家臣は、国内に潜伏している同志の下へ向かう。――という作戦だった。
「とはいえ、王国の兵士たちの十分の一も集まらんじゃろう」
エッジがそう自虐めいたことを溢していた。
それでも、ルミナーラが挙兵する時は自分も必ず、という意思がある連中を無視はできないということだった。
水面下で行われるその作戦を守るため、空へと視線を向けさせていた。
対する王国軍も当然ながら傍観を決め込むわけもなく、件の手紙――ある種の通告文書を受け取った即日、各地に厳戒態勢を指令。
また、目撃情報が多数寄せられている偽の女神に対して討伐の命を下す。
王国側としては政教分離を謳い、ようやく民の生活から神という存在が薄れ始めたのに、それをいわば蒸し返される形になっていることを看過できなかったのである。
その性質故、大々的な行軍は行われず、秘密裏にことが進められている。王国軍の出立ともなれば、王都に住む国民を中心に半ばお祭り騒ぎになるのが通例だが、今回はそういうわけにもいかなかった。
突如現れた謎の偽女神の行動――それには指名手配されている異国の者たちが関わっている、と否応にも結び付けてしまう。だが、その足取りは容易にはつかめず、真の目的も一切不明だった。
一方で手紙の送り主の情報に関しては進展があった。
人の口に戸は立てられない。
イノス宰相は手紙の出所を突き止る。キョゥーカの宿場町から手紙が配達されていた情報を得た。
そこに第六師団師団長であるリーナ・マーケイが派遣されることになった。
第六師団は王国軍の中でも、騎馬隊に特化した師団であり、別名『茨の騎士団』らしい。
リーナ師団長と数名の部下が騎馬を走らせ、通常ならば三日は必要な道程をたったの一日で突破した。
しかも、途中で村を襲撃し強奪を働いた二十名もの盗賊を処分した上での速度だった。
そのせいで一部の部下をその場に残すことになったが、それでも進軍を止めなかった結果だ。
キョゥーカの町では二つの事実が浮かび上がた。
一つは、その手紙を出した者は、ルミナーラと思しき幼女と共に行動をしていたこと。
そして、王国軍の兵士が四人、行動を共にしていたということだ。
名前は名乗らなかったらしく、泊ったとされる宿屋の主人は名前を聞いていた。
が、告げられた兵士の名前『ミシャメリャ中尉』にリーナは聞き覚えが無かった。どうやら偽名だろう。
しかし、このルインズ地区方面に派遣された伝令役を洗い出せば問題はない。
リーナは自分の部下がこの方面に向かっていること、そして王都に帰還していないことを当然知っていて、胸騒ぎが収まらなかった。
一方で、異国の者たちに殺されているかもしれないという不安と、もし万が一、異国の者たちと手を組んでいたとしたら、部下の監督責任を問われることになるだろうという不安が渦を巻く。
町で聞き込みをすればするほど、その兵士たちと異国の者たちが随分と親密に行動を共にしていたことが分かる。
もしこれが王都に、そしてイノス宰相や国王に知られれば、良くて降格、最悪の場合、罪に問われ処刑されるかもしれない。
リーナは、同行していた部下たちに自身の未熟さを悟られぬよう、口は固く閉ざしながらも、奥歯を噛みしめていた。
急ぎタウカン少尉たちを捕らえなければならない。
しかし、町からどこへ向かったのか、その足取りはぱたりと消えてしまっていた。
入る時は賑やかに、出て行く時は静かすぎる。王都からキョゥーカの町にたどり着くまでの町々でも情報を集めたが、足取りは一切つかめなかった。まるで煙のように足取りが消えている。空でも飛んでしまったのだろうか。
唯一手に入れた情報は、ルミナーラと思しき幼女と、一見いたって普通の少年、しかし異国の者だろう服装をしたその二人が、キョゥーカより南の方面に向かっているということだけだった。
優先すべきはタウカン少尉たちの始末だ。
何らかの事情で王都への帰還が遅れているならば、上。
既に異国の者たちにやられているのであれば、中。
裏切りに手を染め、あろうことか王国へと剣を向けているのであれば、下。
いずれにしろ、タウカン少尉たちを探し出せばたちまちに疑惑は解消する。
しかし情報がない中、浮かぶ雲を掴むような話では時間ばかりが悪戯に過ぎてしまう。
微かな手掛かりを求めて追いかけるのはルミナーラたちしかない。
「皆の者、我らはこれより南にくだるぞ。異国の者、および旧王家の忘れ形見であるルミナーラ姫を捕らえるのだ!」
「リーナ様、南は旧邪神官の領地です。あまり刺激をしない方が良いのでは」
「王国軍の第六師団、茨の騎兵隊が何を弱気なことを申すか。歯向かうものは斬り捨てろ!」
その頃、王都の外より戻ってきたイノス宰相だったが、彼が不在の間、王城内は混乱を極めていた。
「イノス様、大変でございます……!」
イノスを出迎えたのは、たった一人の兵士だった。その者以外は、誰も現れなかった。
そのことには深く気にも留めず、イノスは歩きながら兜や籠手を外して投げ渡しつつ、尋ねる。
「その前に、タウカン少尉は見つかったか?」
「はっ。タウカン少尉殿は……今朝、お妃様の私室をお訪ねになられておりましたが」
「なに?」
忙しなく歩いていた足がぴたりと止まる。「現れたというのか。それで彼はどうした?」
「はっ? あ、えっと、その後はすぐに城を出て行かれましたが……何か彼に用が?」
イノスは舌打ちする。まだはっきりと彼が何かをしたわけではなかったから、城の兵士たちにタウカン少尉の存在に警戒するよう命を下していたわけではなかったことが裏目に出たのだ。
「即刻彼を招集せよ。抵抗する場合は捕縛してでも連れてくるように」
――しかし、タウカン少尉は王城内からはもちろん、王都の中でも見つかることはなかった。同時に妃は無事、私室にて静養を続けていたことも判明する。
これにより、王都への外部からの侵入はより警戒され、貴族の親族でさえ、城壁を潜ることは許されなかった。
しかし、そのせいで王都内はより一層の混乱を極めることになるが、それがわかるのはもう少し後の話だった。
「うっ……この臭い……」
イサミはとある町に到着するや否や、顔を顰める。
「ルインズの時よりなんか臭くね? 鼻の奥にツンと来るっていうか」
涙目になり鼻をつまむイサミだったが、ルミナーラは深く取り合わない。
「よいなイサミ、昨晩私が言ったことは覚えているな?」
「あ、あぁ。とにかく町の人たちと目を合わせるなってことだよな?」
ホリックの町の中には至る所に人がいた。
しかし、その様子はこれまでの村や町とは違っていた。
彼らの足取りは、歩くというより、どうにか足をひきずっているだけで、ふらりふらりと彷徨っている。どこから来て、どこに向かうのか、イサミは見ているだけで不安になった。
そして、廃墟のような家の壁にもたれて座っている人もあちこちに見られる。
歩いている人よりも、座ったり横たわったりして虚ろな目で地面を見つめている者の方が多かった。
目を合わせるなと言われていたイサミだったが、合わせる方が難しいだろうとさえ思えた。
しかし、足音を敏感に聞きつけ、顔を上げる者も中にはいる。
つい反射的にそちらを向いてしまいそうになるが、ぐっとこらえて前を見ていた。
眼球だけを動かし、路肩に座る人々を観察した。
やせこけて、ほとんど骨のようになった体つき。生気のない目。死んだように寝転がっている。
もしかしたら本当に死んでいるのかもしれない。しかしそれは判断しようがなかった。判断できるほど近づくのもはばかられる。
「神は滅んだ!! 今再び魔王の後輪により世界は混沌へと帰すのだ!」
突如道端の中年風の男が叫び、イサミは言葉を失った。
言っている言葉の意味を理解はできる。だが意味は分からない。
もちろん返事などできず、驚きのあまり体を弾ませるだけだった。
それはルミナーラも同じだった。
とにかく二人は足早に町を通過しようとする。
「何やってんだきさまら殺すぞ!」
突然背後からそんな暴言も飛び込んでくる。
「てめぇらを殺せば俺は救済されるんだあ!」
額に傷痕が残る男が叫んだ。
その声に反応して、連鎖的に町の人たちが次々と叫ぶ。理解できる言葉ならまだマシだった。呂律が回らず何を言っているのかさえ分からない者も増えてきた。
そして、終いには追いかけてきたのだ。
大人しく待つつもりはなく、イサミとルミナーラは駆け出した。
「なんなんだよあいつら!」
「恐らく幻覚を見ているのだ」
「げ、幻覚!?」
「この辺りはルインズ地区と同じ、先の争乱の際は邪神官たちの拠点に使われていた。魔素が充満していて、それに臓腑と脳を……犯されてしまったのだ」
それは、牧歌的な異世界だと思われていたこの世界の、裏側だった。
しばらく走り、人の気配がようやく途絶えた辺りで、脇道に身を隠し息を整える。
激しく呼吸をすることが魔素を体内に取り込んでしまうのではないかという不安はあったが、物理的に呼吸を止めることはできなかった。
「ルインズの村は、あれでも浄化活動が行われていた方だ。魔素はその浄化に長い年月を必要とするのだが、魔術を用いてその期間を狭めていた」
「魔素が生まれる原因でもある魔術を使って清めるって、皮肉な話だな」
「私も詳しくはわからないが、そう聞いたことがある」
ルミナーラは胸に手を抑えながら、続けた。「魔術は、素養のないものが使えば、体内に溜まった魔素が暴発する。石を使わない場合はな」
「石…………あ、ミラーロが落としてたやつか」
イサミは手首に付けた数珠を確認する。今は赤い珠になってしまったが、かつてミラーロが杖に飾っていた紅い宝石を思い出した。
「魔術師たちでも、複数の要素を操るのは体に負担がかかる。魔晶石は、長い年月、地下にて特定の属性を持つ魔素が押し固められてできたものだ。それがあればある程度は誰でも魔術を使えるし、魔素が体内に蓄積されることもない」
「魔素が蓄積されると……あぁなるってことか?」
「そうだ。エッジが言うには、邪神官と魔王を打ち倒したのち、彼の者たちが内に秘めし魔素が散ってしまい、このような地域が生まれてしまった……ということだ」
イサミは息を整え終えたが、体の小さいルミナーラはまだ呼吸が乱れている。幼い胸板を上下させてながらも話を続けた。
「魔術を操れるかどうか、こればかりは血筋による。何のとりえもなかった者が、その才覚を露にすればたちまち王国の正規軍にも抜擢されたり、貴族階級に取り入れられることもある」
「へぇー。魔術使えるだけでか。でもそれって、逆に魔術使えないなら追放されるってことにはならねぇの?」
「私もそこまでは知らぬが、可能性はあるだろうな。もちろん、他の才能があるなら別に魔術を扱えなくともよいとは思うが」
「ふーん。つーことは、それらを統べる王家ってのは特別すげえ魔術師っていうか、立派な血筋なんだろうな」
「……いや、」
ようやく呼吸も落ち着いたルミナーラが額の汗を拭って言った。
「王家の血筋の者は、魔術が使えないのだ」
「は? 使えない?」
その時、大通りの方から聞こえてくる足音が騒々しくなってきた。
ここまで逃げてこられたのは、追いかけてくる町の者たちが、それこそ亡者の様に頼りない足取りだったことが大きい。
ただ、今二人の耳に届いてくる足音は、明らかに通常の、それも整ったものだった。
落ち着いた呼吸を今度は止めた。
――どこに行った!?
――北の方かもしれん。
――早くしろ! 騒ぎになる前に見つけ出せ!
怒号のようなものだったが、明確に意思疎通を図る言葉が飛び交い、人影が建物と建物の間を過ぎ去っていく。
イサミとルミナーラは目を合わせると、黙って路地裏を奥へと進むのだった。
お読みくださいまして、ありがとうございます!




