5時間目 算数・座学 後
翌日、イサミたちはそれぞれの目的を携えて、それぞれの旅路を目指す。
エッジたち旧王家の家臣たちは潜んでいるかつての仲間たちを集めに各地へと向かう。すでに先行して向かっている家臣の下に向かい、態勢を盤石にするためでもあるらしい。
まだ日が昇る前に家臣たちを見送った。
「――じゃ、私たちは手紙出してくるから」
「たちって誰だよ?」
「あなたに決まってるでしょ。えっと……ミシャメリャ中尉」
「誰だよ!」
とイサミがツッコミを入れるが、ミシャメリャ中尉ことタウカン少尉は文句も言わずについて言った。
「……なーんか、タウカン少尉さんとか兵士の人って、やたらにアイサを怖がってねぇか? あいつってやっぱりそれくらい強いのかなぁ」
イサミのぼやきに、残された部下の兵士たちはびくりと体を弾ませた。
「そうですか? それよりもイサミさん、早く荷物整理しましょう。時間、あるようでないですよ」
町で手紙を届けるとタウカンとアイサが出かけている間は、イサミたちは荷物の準備や所用を済ませていた。
そして、一人、また一人と順番に、ひっそりと宿屋と町を後にしていく。夜が近づく頃、宿場町から離れた林で落ち合うことに決めていた一同は無事に会し、夜闇に紛れてセイマは角笛を取り出したのだった――。
「――あれが聖獣様か……初めて見た」
聖獣グライフはセイマやアイサたちを乗せて空に舞うと、空気に溶け込むようにその姿を消してしまった。
その雄大な存在に見惚れているルミナーラの姿に、年相応の無邪気さを感じたイサミはくすぐったくなったように小さく笑っていた。
「アイサのやつ、目を瞑ってたけど、何か考え事か?」
「案外、高い所が怖いのかもしれぬ」
「あいつに怖いものってあるのか……? ハハハ……って、それはともかく、俺たちも行くか」
気付けばイサミとルミナーラは二人だけになってしまった。
イサミは足元に降ろしていたリュックを背負う。ルミナーラも同じように背負った。ここまでの道中も、エッジや家臣が代わりに背負うと申し出てはきたのだが、彼女はそれをいつも断っていた。
イサミもまた、念のために申し出てみたが、案の定断られた。
「……すまない、イサミ」
「へ?」
一歩踏み出そうとしていたイサミは片足を上げたところで止まってしまった。
「なんだよ急に?」
イサミは足をゆっくりと降ろし、彼女へと体を向ける。
「成り行きとはいえ、このようなことに巻き込んでしまい……すまない」
言葉ぶりは大人びているが、そのしょんぼりとした姿に、胸が締め付けられる思いだった。
俯いた彼女のつむじに見入る様に集中してしまう。
この世に生を受けて以来、十年にも満つるか否かの少女は、その細く小さな体に見合わぬ、何十倍もの大きな期待を背負って、それでも真っすぐに立っていた。
「あかり……」
「へ?」
「あ、いや。ははは……。ルミナーラ、怖くなったか?」
「……!?」
ルミナーラは、はじけたように瞳を開き、そしてゆっくりと瞼を閉じた。
「……うむ、そうかもしれない。みないつも以上に頼もしく、勇ましく旅立って行った。その背中を見送っていたら、いつもそばにいてくれたジイたちともう一度会えるのだろうかと思えて、少し不安で……怖くなった」
初めて会った時から、毅然とした態度だった。王家という血筋を知ってからは、その誇り高き姿に敬意すら持っていたイサミだった。
しかし、数えきれない涙を、もしかしたら他人には見えない涙を流してきた果てに、彼女がこうして今立っているのかと思うと、イサミは自分のことが酷く情けなく感じた。
「そうか……まぁそうだよな。俺だってそうだった」
――いざとなったら怖気づいて、自分が手を汚すことから逃げていた。
覚悟が、できていなかった。
何が人助けだ……ゴミ拾いするのとはわけが違うんだ。
人の命を――人生を背負うんだぞ……!
それに……アイサの言う通り、やらなきゃ、やられるんだ。
イサミの脳裏に浮かぶのは、ミラーロを倒した後に出会った正体不明のマントの男のことだった。
あの時は咄嗟に構えて、拳を受け止めたように思えたが、後で、自分は手加減をされていたと分かってしまった。
次に出会った時には、どうなるのだろうか、自分は勝てるのだろうか、戦えるのか……。そんな漠然とした不安がずっと付きまとっていた。
「でも……もう大丈夫だ」
イサミは額をむき出しにするために前髪を留めている赤いヘアピンを触りながら、笑ってみせた。
「大丈夫。俺に、任せろ!」
「うむ……すまない」
「そういう時は礼を言うんだよ。ありがとうってな」
その一言に、顔に影を落としていたルミナーラは、はっと息を飲んで、イサミを見上げる。
「そうか、そうだった……ありがとう、イサミ」
それでも彼女の笑顔は、勇ましいままだった。
イサミはほっとしたのか、また別の意味か、肩を下げた。
「そうだイサミ、」
ルミナーラは背負ったリュックを降ろすと中の荷物を探り始めた。ちなみに、この宿場町に来てから彼女たちは身なりを整えた。ルインズの村にいた頃のみすぼらしい姿のままではかえって目立ってしまうから、町中のそこら辺を歩いている民衆と同じ衣服に着替えていた。イサミとアイサもタウカンから勧められたが、力を引き出す都合上着替えられなかったのでやんわりと断った。
「……あった」
ルミナーラが取り出したのは腕輪だった。
幅が広く銀色の筒状をしたそれは、古めかしさもあったが、奥底から放つ気品があった。いわゆるリング状の腕輪というよりもガントレットに近い。
意匠はあまり凝っておらず簡素だったが、タウカンたちの鎧に施された物とはまた違う紋章のようなものが描かれていた。
「イサミ、これを受け取ってくれ」
手のひらに乗せているがルミナーラの小さな両手には余るものだった。
「いいの? でもなにこれ?」
「王家の証の一つだ。本当は他にも宝玉や剣などあったのだが、あの時は逃げ出すのに必死で持ち出せなかった」
「えぇ!? そんな大事なもん、貰えねぇよ」
ルミナーラがあまりにあっさりと言うので返ってイサミは躊躇する。
「よい。私にはまだ大きすぎる。それにお父様が仰っていた。『王家の真の証とは心である』と。私の胸の中に、証はある……!」
遠い目で腕輪を見つめる彼女の顔は、寂しさが見えたが口元は柔らかく笑んでいた。
つい見惚れたようにイサミはぽかりと口を開けていた。
「この腕輪は持つ者を聖なる力で守ると言われている。……と思う」
「あ、曖昧なんだな」
「し、仕方ないだろう。私もまだ小さかった頃に聞かされただけだから」
珍しくルミナーラが照れたので、イサミはくすりと笑った。
「でもなおさらいいのかよ? ここから更に危険な旅になるってのに。お守りでもあるんだろ?」
「よいのだ。私のことは皆が……、イサミが、守ってくれるのだろう?」
ルミナーラが、ただ微笑んだ。
初めて見たその笑顔に、イサミは自分の胸の奥が否応にも昂るのが分かったのだった。
「あぁ……。絶対、守ってみせる」
もう彼の心の中には、迷いはない――そう相手に信じさせる力の込められた返事だった。
拝啓
国王陛下におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
さぞ日々腸の煮えくり返る思いで過ごされていることと存じます。
そんな陛下のことを思うと、私どもも胸が張り裂けそうでございます。
この手紙が届いてから十の夜を数える頃、せめてものお慰みにでも……と、陛下にお会いし余興を披露させていただきたく、馳せ参じます。
他の方がいらっしゃると恥ずかしいので、できれば国王様とだけお会いしたく存じます。
ご安心ください。こちらの方で皆様方にはお引き取り願うように手筈を整えておきますので、国王様のお手を取らせることはございません。
それ以前に、国王陛下以外の皆様が空気を読んで、この手紙が届いてからしばらくの間は王城より席を外してくださることを切に願います。
異界の使徒より、愛を込めて。
敬具
「――国王様……」
震えた字で書かれた手紙を終始淡々と読み進めたイノス宰相は、玉座の前に道を作る様に両脇に居並ぶ武官文官へ動揺を見せないようにするためか、表情筋を動かさずに言った。
届いた手紙は二通。一通はイノスが、もう一通は国王自らがその手に握りしめていた。
その国王の手に握られた手紙が、くしゃりと音を立てて歪む。
ただでさえその内容に辟易したり、怒りを覚えたりした臣下たちは、王の無言の圧力に、背筋を正す。粉々に引き裂かれた手紙の中身を確認することは能わず。だが、その気配から察するに同じ内容だったのだろう。怖れ多く尋ねることなど誰一人できなかった。
率先して王の意を汲んだように、玉座のそば、壇上にいたイノスが臣下たちに手をかざす。
「城門を閉じよ。それから、今より城壁より外側の者が王都に侵入することを許すな」
『はっ!』
管轄の大臣や将が声を重ねて、我先にと謁見の間を去って行く。
そんな彼らについていくかのように、玉座を立った王は、わき目もふらず自身も部屋を出て行こうとする。
「国王、どちらへ?」
尋ねられるのは側近のイノスだけだった。
「聖域に行く。儀式を早めるぞ」
王は振り返ることもなく、そう答えるのだった。
いつも読んで下さってる皆さま、本当にありがとうございます。




