5時間目 算数・座学 中
「ところで――」
宿屋の窓から見えるキョゥーカの町並みは、傾き始めた陽に照らされ少しずつ黄味がかっていた。
「何か方法は考えてるのよね? 討ち入りするのに真正面からのこのこと訪ねるなんてことはないんでしょ?」
アイサが尋ねると、エッジはにたりと髭の中の口角を吊り上げる。
「あの城にわしが何年仕えたと思っておる? その構造は熟知しておる。庭のようなもんじゃ」
トリヒスにペンを持つように指示したエッジは、大まかな王都の、そして王城の地図をそらんじる。もちろんトリヒス自身も仕えていたお城の構造を知らないはずもなく、テーブルの上に広げられた紙には、見る見るうちに簡素な図面と、そして地図が出来上がっていく。
王都を囲う円形の壁、そしてその内側にある城もまた、円形の城壁に囲われているということらしい。
「二重丸ってことか」
イサミが言った。
「少しニュアンスが違うわね」
とアイサが視線を向けたのはトリヒスの手元に置かれた紙だ。
「外側の円と内側の円は北側の一点で接しているわ。数学の問題みたいね」
「へー、数学ってそんなのも習ってくんだな」
二人がそうこう言っている間に地図は完成したようだ。
「できる限り人目につかぬように城まで行くことはできるじゃろう。城から抜け出す隠し通路を使えば逆に侵入することもまた容易い」
エッジの髭を撫でる姿はどこか満足げだった。
「しかしエッジ様。通路はあの時……脱出の際に使っており、やつらに知られている可能性が高いです」
「抜け道が一つなわけなかろう。お主らも知らぬ通路はまだまだあるわい」
トリヒスの反論に、得意げに鼻を鳴らすエッジ。そんな老翁を問い詰めるのはアイサだった。
「城に侵入した後はどうするつもりなの?」
「う、うむ。忍び込むはやはり夜がよかろう。王の寝室に向かって一直線じゃが……一番近い侵入経路でも、敵に見つからずに進むことはできぬじゃろう。夜闇に紛れてできる限り見つからぬように突撃するしかない」
「そう簡単に行かせてくれたら、護衛や兵士は要らないわよね」
と、アイサが言うのを、タウカン少尉たちは白い目で見ていた。
――シセリー殿をあんな目に遭わせておいてよく言うぜ……。
「いくらかは手合わせせねばなるまい……」
エッジはちらりとルミナーラを見る。
「……できれば、王以外の命は奪いたくはない」
ルミナーラが答える。
アイサは鼻で小さなため息を吐いた。
「……わかったわ。その点については私に考えがあるの」
「本当か?」
「ええ。でも……そこまで急ぐ必要があるのかしら?」
腕を組んだアイサは、人差し指で己の肘をとんとんと叩く。「相手が手薄になるチャンスを狙うとか、もう少し策を練るべきなんじゃない?」
「実は……王都で不穏な風が吹いておるというのじゃ」
エッジは口を歪めながら続ける。
「国外に派遣されていた兵団たちが一部国内に戻されておってな。何を考えておるのか……」
「もしかしたら不穏分子の一掃作戦にでるかもしれません。諸外国の紛争鎮圧に助力するための出兵の為と募兵したのは表向きで……」
エッジとトリヒスは沈痛な面持ちで唸る。
「実際はそのための兵力を集めていたということか? うぅむ……。タウカン少尉、お主は何か知らぬのか?」
エッジはタウカンたちを促した。タウカンはにへらにへらと半笑いを浮かべる。
「ていうかあんたたちの情報網想像以上に広いんだな。確かにそういった動きをお上の連中がやってるみたいだけど、末端のオレたちにはな~んにもわかんねぇよ」
タウカンの隣で部下たちも深く首を縦に振る。
「ただ引き返してるだけなんじゃないですか?」
セイマが訊ねた。
しかし、エッジは左右に首を振った。
「海を越えたばかりでそれは不自然じゃろう。兵糧が無駄になるだけじゃ。何も狙いがなければな」
「もうすぐ建国祭があることも関係あるかもしれません」
「先代王である父を追放し、その地位を確固たるものにした現王のことだ。何かよからぬ企みでもあるのかもしれんと、考えるのが自然だろう」
ルミナーラが口を結ぶ。
密かに片眉を上げて怪訝になるのはタウカンだった。
――先代の王様を追放……?
「なるほどね。それじゃあとりあえず、」
アイサが口を挟んだ。「王を倒すけど、他の兵士たちとはできる限り戦わないということね?」
「あっ」
とルミナーラが声を漏らした。「それともう一つ……できれば姉上を助けたい」
「結構注文多いのね」
「アイサさん!」
アイサのぶっきらぼうな物言いに、セイマがたまらずキッと睨んだ。
「姉上? ルミナーラの?」
イサミの問いかけにエッジが肯く。
「そして現王のお妃様でもあるのじゃ」
「うお、お姫様ってやつかよ!」
「いやイサミさん、ルミナーラさんもそうですから……」
「事前に密かに連絡を取って逃げ出しておくことはできないの?」
「今はご体調を崩され、お城の中でその……ご静養されておる。ご自分で動かれることもできないじゃろう」
奥歯に物が挟まったようなエッジの物言いに、妙な沈黙が訪れた。
「……そう。」
と一拍置いてからアイサが「それなら、タウカン少尉、」と彼につま先を向ける。
「へ?」
「良かったわね。お仕事よ」
宿場町の外れの丘からは、町を一望できる。
それほど良い眺めではない。色とりどりの人工の光が、人工的に整備されているわけではないからだ。
光源の多くは夜を照らすかがり火で、単色単調。時折光の粒が動くのは、人の営みゆえだろうか。
それでも、そこには風情があったのか、イサミは一人、しばらくの間黙って眺めていた。
「――あ、こんなところにいたんですね」
後ろから聞こえてきたのはセイマの声だった。イサミが振り返ると、彼女もまた振り返っており、「アイサさーん、ここでしたー」
その後ろからアイサがゆっくりとやってきた。彼女たちの方面にはまた、原野が広がっており、余計な光はなく星々の輝きが空と山の影をどこまでも青く染めていた。
「二人とも……どうしたんだよ?」
イサミが声をかけると、セイマがむっと口をへの字にする。
「どうしたんだって……姿が見えないから心配で探してたんですよ」
「お姫様が探してたわよ。私のイサミが消えたって」
アイサが風のように涼しく言った。
「そんなわけねえだろ」
イサミは鼻で笑った。
「確かに『私の』とは言ってませんでしたけど、心配はされてましたよ」
「マジか」
「何してたのよ」
「いや、なんか落ち着かなくてさ」
イサミは苦笑を浮かべた。
「明日の朝にはみんなそれぞれに王都に向かって出発して……そして数日後には王を倒す……んだよな」
「そうですよ? 私も頑張ります!」
セイマは鼻息荒く言った。「最初はちょっと恥ずかしいとか考えてましたけど、アイサさんにも期待してもらってますし!」
「ええ。セイマの力がないと作戦が締まらないわ」
「二人とも案外ノッてるよな」
どこか他人事のような、皮肉めいた薄笑いを浮かべてイサミが言う。
セイマはきょとんと口を縦に開いた。
「どうしたんです? 今更、改まって」
「倒すってことは……殺すってことだよな」
イサミは降ろしていた腕の先で拳を握る。
「まぁ、あの人たちはそれが目的だものね。敵討ちだから」
アイサが言った。解いた長い髪が夜風に揺れていた。
「あぁ……。別にその気持ちに水差したいわけじゃないんだけどな。価値観も違うわけだし……。だけど…………その…………」
「嫌なら変わる?」
俯いて濁す様な言葉を並べるだけで、はっきりとしないイサミの鼻先を、アイサの短い言葉が弾いて、彼ははっと顔を上げた。
隣にやってきていたアイサは夜風の様に涼しすぎる表情だった。
「残念だけど、あなたが誰かと変ったとしても、あの人たちの意思は……王様を討つという目的は変わらないわ」
「まぁ、そうだよな……」
「変わるのは、あなたの気持ちと未来だけ。それが良い結果を生むのか、悪い顛末を辿るのかは不明ね」
無遠慮に踏み込んでくるアイサに、イサミはそれでも何も言い返せず、ただ歯を食いしばることしかできない。上下の歯がこすれ、軋む音が頭の中で響いていた。
「そして、王は相当な力の持ち主。今いる人たちの中で敵う人がいないかもしれない……だからこそ、あなたたちにお姫様はお願いしてきたんじゃなくて?」
「そうですよ。イサミさんも応えたじゃないですか」
俺だって、誰かの役に立てるならと……。
「……そうだな。そうだった」
「…………。まぁでも、いいんじゃない? 悩んでも」
「え……」
急に舵を切ったアイサの言葉に、イサミは声を漏らしてしまった。
「ただ言われるがまま、流されるままに誰かの命を奪うなんて獣以下だわ。己の欲の為だけに戦うなら獣、自分で考えて何かの為に戦うことができるから人間なのよ。いざとなったら私が変わるから、ぎりぎりまで悩みなさい」
「……アイサは、どうして戦えるんだ?」
「戦わないと、この世界ではやられるもの。王権制度である以上、余程のことがない限り、王国軍が相手なら向こうは手段を選ばない。ならこちらも選べないでしょ?」
「えっと……つまり、やられる前にやれってことですか?」
セイマが訊ねた。アイサは肯く。
「ええ。それに、覚悟したからよ。それが私たちがここにいる理由だとね。形はどうあれ、私は今こうしてここで一度終わったはずの生を続けられていることに不満はないもの。でも、ただ言いなりにはなるつもりもないけどね」
アイサは空を見上げた。
「それに、……必ずしも王を倒さないといけないとは限らないわよ」
「「へ!?」」
今度はセイマも驚きの声を漏らす。
「理事長が私たちに託したのは、奪われた理事長の力を取り戻すこと……。王の命まで保障する必要もないけど、奪う必要もまたないわ」
「そっか……確かにそうですよね」
セイマが手のひらを打つ。「私たちの目的に王の命は関係ありませんもんね。ルミナーラさんたちはそっちが目的ですけど。なんだかみなさんの空気に圧されて、そのことすっかり忘れてました」
「どっちにしろ二つ返事では返してくれないでしょうから、それなりにおもてなしする必要はあるでしょうけどね」
「まぁ……そうだな」
「難しく考えすぎないで、一先ずあなたは無事にお姫さまを王都までご案内するのよ。お姫様の力になりたいんでしょ?」
「なんか言い方が引っかかるけど…………よし!」
イサミは自分の頬をぱちんと叩いた。あまりに急なことでセイマも目を丸くする。
「とにかく、やるっきゃねえな!」
「暑苦しいわね」
「アイサ、セイマ……その…………もう死ぬなよ」
イサミは至って真剣な眼差しを向けていた。
「なんですかその言葉……」
しかし、セイマは力が抜けたとかくりと首を折った。
「ふっ。確かに、私たちはそう言った方が相応しいかもしれないわね」
「アイサさんが笑った!?」
「失礼ね。私も笑うわよ」
「つーか今のは鼻で笑っただけだろ」
「一緒でしょ」
「全然違うっての」
「私見てみたいです、アイサさんの笑顔」
「俺も俺も。そうだ、全部終わったら笑顔を見せてくれよ」
「嫌よ。なんで私がそんなこと。それになんか死亡フラグっぽいし」
「えーいいじゃないですか。こうパァーッとね」
「バカバカしいわね」
とアイサは踵を返した。ためらうことなく来た道を引き返していく。
「あ、ちょっと待って下さいよアイサさん」
セイマが小走りに後を追う。
二人の背中を見て、イサミは一人微笑を浮かべて、追いかけるのだった。




