5時間目 算数・座学 前
買い物に出かけていた者たちが戻ってきて、確保した宿屋の部屋で一番広い所にイサミたち一同は集まっていた。アイサたちだけではなく、フーリィとセイマも何かを買いに行っていたようだ。
部屋の左右の壁にベッドが四台ずつ並ぶ。奥の壁中央には窓が設けられていた。
皆の注目を集める形で元宰相エッジが窓の前に立つ。その隣にはルミナーラと、アイサもいた。
「改めて今後の行動を確認する」
えへんと咳ばらいをし、隣に立つルミナーラに顔を向けた。
ルミナーラは黙ったままこくりと一度肯いた。
受け取ったエッジもまた深く肯き、一同に視線を配りながら告げる。
「姫様に辛酸を舐めさせ、そして我らが先代の王の無念を雪ぐためにも……王都に乗り込み、カージョン国王を倒すのじゃ」
家臣たちが示し合わせたかのように返事をする。その迫力にセイマはびくりと肩を弾ませていた。
「……それだけではない」
ルミナーラが一歩前に出る。「我が父のみならず、母や連なる王家、それに……皆の家族のためにもだ」
一番小さな体をした彼女は、誰よりも凛としていた。
家臣たちは短く息を飲んだ。
「みんな……よくぞここまで辛く厳しい日々を共に耐えてくれた。礼を言う」
そして、ルミナーラは慈しむように微笑みを向ける。
それを受けて家臣たちは、瞼を重く閉じる者、潤ませた瞳に強い輝きを灯す者、またエッジのように堪らず涙を流す者……幼き姫の向こうに思いを巡らせた。
イサミとセイマ、そしてアイサは口を閉じ、その場の空気を眺めていた。
タウカン少尉や彼の部下たちは、姿勢を正し、見開いた目をルミナーラに向けていた。
エッジは老齢故に弛んだ瞼の奥から、タウカン少尉たちを一瞥する。
「お主たちも覚悟はよいな?」
「もう後戻りはできないわよ」
と、続くのはアイサだった。「私たちの目的を知ったからには、地獄まで付き合ってもらうか、今ここで一足先に地獄に行くか選ぶしかないわよ」
タウカンは突如兜を脱ぎ、「あぁぁ~!」と乱暴に頭をかきむしる。部下たちも目を丸くして見守る中、露になった青みの強い黒髪がボサボサになった頃、「ふう」と一人満足げに息を吐き、
「……あぁ、わかってる。今更逃げ出すようでは兵士の名折れ……男爵家としての恥だ」
したたかな笑みを見せた。
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「――ぐべっ!」
ルインズの村に連行されたタウカンたちは、トリヒスに背中を押され、地面に派手に転んだ。手枷を嵌められている状態では満足に受け身も取れなかった。
また、三人の部下も、少尉と一本のロープで一繋ぎにされているから、タウカンが倒れると逆ドミノ倒しの如く、順に倒れていく。
最後に倒れた小太りの男が覆いかぶさり、一番下のタウカンは「うごおっ!」と自分が倒れた時より鈍く派手な悲鳴を上げた。
「だ、誰だよアイサ、この……兵士の人たちは」
イサミたちは駆け寄り、倒れたタウカン少尉たちから少し離れた所で立ち止まった。迂闊には近づけないと無意識に判断してのことだった。それでも十分、兵士たちの、痛みに歪めた表情やうめき声までもが十分に聞こえてくる。
「昨日の……」
フーリィが呟く。その隣でエッジが鎧を射貫かんばかりに睨んでいた。
アイサが答えた。
「昨日この村に来てわめいていた兵士たちよ。で、なんかウロウロしてたから私とトリヒスさんで捕まえたってわけ」
「つ、捕まえたんですか?」
セイマが目をパチパチと瞬かせた。
「えぇ。イサミくん、ボコボコにしたいって言ってたから」
アイサが言った。
兵士たちはぎろりと目玉を動かし、イサミを睨む。
「いい!? 言ってねえよ!」
「でも今にも飛び掛かろうとしてたじゃない」
「そ、そりゃあ……フーリィさんたちが危ない目に遭ってたから……」
「ま、私たちの為に?」
フーリィは大げさに照れた様子を見せた。ばしりとイサミの二の腕を叩く。「やだよ、こんなおばさん喜ばせたってなぁんにもなりゃしないさね」
「い、いや別にそういう意味じゃないっすけど……!」
イサミの中で昨日のことが思い出される。小屋の中にいたが、あの殴打するような音を聞き、怒ったのも事実。
しかし、時間が経過している上に、すでに捕縛された者を見て、気持ちが引いてしまったのもまた事実だった。
「もうアイサやトリヒスさんにやられたんだろ? もういいだろ」
特に傷などは見られないが、少なくとも捕縛されているので降参はしているのだからと、イサミは興味を失ったように見せるため、手で払う様な身振りをみせる。
「そう? 姫さまもそれでいいかしら?」
とアイサが向けた目線を、タウカンたちは追いかけた。
そこにはルミナーラがいた。静かな表情で彼女も肯く。
「や、やはりルミナーラ……様、だったか……」
タウカンが唸るように言った。頬には泥がたっぷりとついていて、悪くはない顔立ちが台無しだった。
「あ、アイサさん、わざわざ教えなくても……」
「この人たち、知ってたわよ。何故だか知らないけど」
その言葉に一同騒めく。情報が漏れていたことに不安を感じたのだろう。しかし、ルミナーラだけは、ただ静かに倒れた兵士たちを眺めていた。
「このまま帰せば、」
とアイサの隣にいたトリヒスが一歩前に出た。「王国に姫様の存在を知られてしまいます」
「うむ、確かに……」
エッジが顎の無精ひげをさする。「しからば、生かしてはおけぬな」
「うい!? ままま、待ってくれ!」
タウカンがみっともなく叫ぶ。
しかし、エッジのそばにいた家臣の一人はすぐにも剣を抜いた。
「待ってくださる?」
と庇ったのはアイサだった。「それで済むならわざわざここに連れてこないわ」
「どういうことだよ?」
イサミが首を傾げた。
「この人たちは大人しく投降してくれたわ。なのでせっかくだから協力してもらいましょうって意味よ」
「「へ……?」」
イサミとセイマがあんぐりと口を開く。
しかし、エッジたちは唸った。
「確かに、王国に顔が効くものがおれば役に立つこともあるだろうが……」
「ま、任せてくれ!」
タウカンは下敷きになったまま、必死に訴えた。「オレぁあんたたちに協力する! 噓は言わねえ」
「ううむ……いかがされますかな、姫様」
「私は反対ですよ。裏切り者は、すぐまた裏切るもんさ」
フーリィはつんとそっぽを向いた。
「……命が助かりたいがばかりに言ったことではないのか?」
ルミナーラが歩み寄りながら尋ねる。
「そ、そりゃあ……それがないと言えば嘘になりますがね」
タウカンとルミナーラは目を合わせた。「ですが、お力になれるのであれば、このタウカン以下四名、死に物狂いで働きますぜ」
「……いいだろう」
ルミナーラはあっさりと認めた。
「姫様!? よろしいのですか?」
当然、エッジたちは目を丸くし、その小さき背中に注目する。タウカンもまた、自分で言っておきながら、口をあんぐりとさせていた。
ルミナーラは振り返ることもなく、こくりとうなずく。
「戦力は一人でも多い方がいい。ただし、何かおかしな様子を見せた時は容赦はしない」
幼い顔からにじみ出る殺気に、タウカンたちはごくりと唾を飲んだ。
「わ、わかりました……」
「それに、」
ルミナーラは微笑を浮かべる。「アイサ、なにか考えがあるのだろう」
「ええ。――あなたたち、協力してくれるかしら?」
「も、もちろんでございまさぁ。へへへ……」
精一杯の愛想笑いをアイサに向けるタウカンだったが、そこで背中に乗った部下たちから「少尉殿、少尉殿」と潜めた声で呼びかけられた。
――いいんですか、少尉殿?
――こ、こいつら王都に攻め入ろうってんっすよ?
――そ、そんなことになったらおいらたちもう反逆罪でおしまいぬぅ!
――これは……賭けだ。
――賭け?
――ヴァーカ、さっき捕まってやる前に話しただろ。いいか、仮にこのまま王都に無事逃げきれたとしてだな、お前たち、王様やイノス様になんと報告する?
――うっ……それは……。
――報酬がないどころか、格下げされて一生ヒラの兵士でこき使われるか下手すりゃお払い箱……そんなうだつの上がらない人生に成り下がっちまうぞ。だが、ここでルミナーラに手を貸しておけば、やつが王権を取り戻した日には、それなりの地位に取り立ててもらえるだろ?
――で、でも、もし失敗したらどうするっす?
――……そん時ぁ田舎で麦でも育てるか……。
「……もういいかしら?」
アイサが四人の尻を見降ろしながら言った。「随分と楽しそうにコソコソお話してるみたいだけど」
「どぅわい!?」
驚いているタウカンだったが、アイサとトリヒスはそばに立っていたのだから、何も突然現れたわけではない。
「い、いやあ別に。ルミナーラ様の為に頑張ろうぜって気合を入れてたんだよ。なぁ?」
と言われ、三人の部下はぎこちない返事をする。
それを眺めていたルミナーラは、イサミのそばへ向かうと、彼の二の腕をツンとついた。
「ん? なんだ?」
「イサミ、ついて来てくれるか」
とイサミの返事を待つこともなく、ルミナーラは倒れたタウカンたちのそばに向かう。
エッジたち臣下の者がついていこうとするが、「エッジたちはそこで待っていて欲しい」とルミナーラは手で制す。
一同が固唾を飲んでその小さい背中を見守る中、ルミナーラをイサミと恐る恐るセイマも追いかける。
一方、タウカンたちは何が起こるのかと目をぱちくりとしばたかせることしかできなかった。彼らのそばにルミナーラがたどり着くと、彼女はトリヒスに向かって言う。
「トリヒス、悪いがお主も外れてほしい」
「はっ。かしこまりました」
「あ、あのお……へへ……何か?」
人ばらいの後、倒れたタウカンたちはイサミに起こされ、その場に正座している。
タウカンたち四人の兵士の前にはルミナーラとイサミ、アイサ、そしてセイマだけだった。
エッジたちの不安そうな視線を背中に感じながらも、イサミは一先ずルミナーラが何をしようとしているのか見定めようと考え、何も言葉を挟まなかった。
「一つだけ確認しておきたいのだ」
ルミナーラは、タウカンたち一人一人と順番に目線を合わせながら、ゆっくりと尋ねた。
「レイトが、そちらに行ったのではないか?」
ヘラヘラとしていたタウカンたちの表情が硬くなる。
背筋が伸び、目を点にして、部下たちはタウカンへとその点を動かすが、一番端の小太りの兵士だけは違った。
驚いたように口を縦に開き、
「え~? な、なんで知ってるんだぬぅ!? あれもそっちの作戦だった――うぶっ!」
手枷がはめられているので咄嗟に口は押えられないから、隣に座っていた背の小さな兵士が、その太った腹に頭突きを見舞って言葉の続きを止めた。
「あ、アハハハ! れ、レイト? さぁ、誰のことやら」
誤魔化すにはあまりにも遅すぎた。
「本当のことを話してくれればよい。ただし、私以外の、エッジたちには聞かせないでほしい」
力のこもった眼差しでタウカンを見降ろすルミナーラ。
その様子に、タウカンは取り繕うことをぴたりと止めた。
「……本気ですかな?」
「うむ。それに……」
ルミナーラは一度俯き、頭を左右に振ると、再びタウカンを見降ろす。
「大方の予想はついておる。お主たちがこうしてここに現れている以上な」
「……わかりましたよ。ですが、この者たちはいいんですかい?」
タウカンは顎でイサミたちを指した。
「あぁ。彼らは王国とは直接関係のない旅の者たちだ。わけあって協力してもらっている」
そう言われて、タウカンは内心安堵の息を漏らした。これだけの気力を吐く連中が、今後も王国に残るとなれば、自身の進退も危ういものだと懸念していたのである。
「……ルミナーラ様の仰る通り、レイトという奴は、昨夜我らの宿舎にまでやってきました。そして……その、ルミナーラ様や、あんたたち手配書の連中がいること、そんで、王都に攻め込もうとしているって情報を簡単に話しましたよ」
「そうか……」
「え、そ、それでそのレイトさんはどうなったんですか?」
セイマが訊ねた。
「セイマ」
とアイサが短く窘める。
「……今頃は王都に連行されてるだろうな」
タウカンが空を見上げて答えた。
「そ、そうなんですか……。でも、どうして……そんなことを……」
「知らねーよ。ただ……王都に残した家族の生活の為に、金がいるみたいでさぁね」
タウカンが大げさなため息を吐きながら答えた。
「お、お金……そ、そんなことのために……!?」
セイマが口から言葉をこぼす。
静まった空気をからかうように小鳥が飛んで行った。
「……わかった」
ルミナーラが淡々と言った。「……昨日までのことは水に流す。お主たちも力を貸してくれ。悪いようにはしない」
「ルミナーラ……」
イサミがぽつりとその名を呟く。
ルミナーラはイサミたちに初めて笑ってみせた。が、
「先程エッジも申した通りだ。今の王国に通じることができる人材は貴重だ。……みんな、今の話はエッジたちには秘密にしておいてくれ」
とても弱々しいものだった。
「手枷を解いてやろう。それからお主たち、名を教えてもらおうか」
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