無題
「あいつうざいよね」友人だった人たちが笑いながら楽しげに私のことを行っていた。ウザかったのか。親しい人がグループに居て浮いているが一応中に入れてくれていたが
確かに、話も合わないし。
腑に落ちたので。うざいと言われないように距離を置こうと思った
うざいと思われていたとは、思っても見なかったが、悲しいというよりも納得行ったので。いじめられている。ハブにされているとわからない程度には距離を置くことにした
ちなみに。人との程よい距離の置き方なんぞわからないから。図書館でそれらしき本を借りられたので熟読した
ついでにバイトも始めようと思っていたのでいいタイミングだろう。そう思って翌日から距離をくことにした
笑顔で挨拶はすれども話には入らずに勉強をしたり趣味の読書をしたりして過ごす。時々話を振られて答える程度で仲間ではあるがさほどっていうスタンスのいちに落ち着くことにした
そちらのほうがあちらもうざいとは感じないだろうと。少々さびしいこともあったが、致し方がなし。一緒に居て好きなことができないなら一人で居たほうがいいだろうと自分で自分を慰めつつ
可愛そうだと思われたくないので、から元気を出して楽しく過ごしていく
バイトも初めて学校と家以外の環境に身をおいて色々と勉強することになったものいい経験になっている。
ズカズカと立ち入るのはだめな人もいれば、そっちのほうがいい人もいる。穏やかに微笑んで仕事をしている人もいれば。常に文句や愚痴を言っている人もいる
どちらが幸せに見えるかといえば、笑顔の方だし
近寄りたいと思うのは、笑顔の方である
本の方でも自分で自分の機嫌を取り程よく人と関わりちょうどいい距離を取り生活したほうが。幸せであると
人と合わせて疲れるなら離れて好きなようにするものありだし
一定数そのような人もいると。
私も親しい人でも一緒にいると疲れるタイプなので、ある程度一人で過ごしたほうがいいほうなんだろうと己を見つめて考える
自分でされたくないことはしないというのが、最低限のマナーだとしつけられているので
自分がされたくないようなことはせずに。笑顔で気持ちよく仕事をして楽しく仕事をし。愚痴をこぼさず問題点はどうのように改善したらいいのかと考え行動するようになった。それがバイト先では評価されるようになってちょっとうれしい
学校でも、さほどグループにかかわらず時々チームを組むときに入れてもらう程度の関わりで終始した。そちらのほうがお互いにいいだろうし
バイトもしているからなかなか一緒に遊べないというふうにしていれば、ハブられているとは思われないだろう
思われていても、からかってくる人はそう居ないだろうと思っていたが
「お前ハブられてんの」ゲラゲラと人を小馬鹿にして言ってくる人間が居た。まあ、よくそうやって人を小馬鹿にして楽しいんだろうか?とは思いつつ
「それがなにか。お互いに過ごしやすい距離がこれで。お互いにそれでいいとして関わっている中なんですけど。そこまで人にバカにされるようなことでもないと思いますし。そうやて人をバカにして楽しんでいるのはちょっと」下品ですよね
総口に出さずに言うと堂々としている私に怯んだようにしているが
「友達いないなって可愛そうじゃね、カッコ悪い」そう頑張って主張しているので
「そんな。幼稚園じゃありまいし。みんな仲良しこよしなんて無理でしょ。好きなアイドルだって千差万別。趣味だってそうですよ。その中で折り合いをつけて一緒に居てもいいかなっていう人と程よい距離をおいて接してくれる人たちはとても優しいと思いますし。それにかんしてバカにせずにそういうスタンスなのねって言う風に接してくれる人ほど大人だと思いますが」間違っていますかね?何か問題でもあるのだろうか?そう普通に思っていますが?と対応すると
なんとも言えない顔をして逃げていった
何がしたかったのでしょうか?と一応友人枠に入れている人に聞けば
さあ?と少々引いた風に答えられたので、まあ、私には理解できない考え方もあるということで。と流した。
それからも一応友達枠に入れてくれている友人たちとは程よく距離をおいて楽しく学校生活をしている
お互いにお互いがちょうどいい環境になるように距離を置くのは悪くないと思っているし。普通にそうやっているので、この人そういう人なんだと思われるようになってからかいを受けることも無くなった
というか
普通に幼稚園じゃないし。そういう風に行った私の言葉に納得した人もいる。付かず離れずでいいと思う人も一定数いると気がついた人もいた
逆にべったりが親友っている人もいるし
まあ、そこは個人差という風に落ち着いたクラスになった。
ベッタリなのがいい人はベッタリなのがいい人と付き合えばいいし。サラリと付き合いたい人はサラリと付き合う
学級単位で頑張ることは頑張るが。同協力するかは、ここの能力次第であり。団結がないかといえばそうではないがという風に変わっていった
過ごしやすいことはいいことである
常に笑って楽しげに授業を受けて
一人で楽しいことをして時々グループに入れてもらって楽しむ。そのくらいが私にはちょうどいいとわかった頃には2年生に進級する頃になった
進級のときに進学か就職かとのいう面談で就職を選んだのは特にやりたいこともなかったし働いたほうがいいような気がしただけである。何の道に進むかは考えることとして。就職として選択したのだが
それに関してはサラリと流されて
「ハブられているって聞いたが。それって君の対応が悪いからじゃないのかな」とまあ、的はずれなことを行ってくる先生だなと思いながら
「ハブられてはいませんよ。お互いにお互いがちょうどいい距離感が、現状で。お互いに納得して離れていたり一緒に活動したりしているので。特に問題もないですが。先生から見てなにか問題でしょうか?」それにちょっと驚いた顔をしてから
「問題はないが」という
この人ずっと一緒で仲良しこよしが友人関係という感じの派閥の人か納得してしまった私は悪くないので
「もともと人と一生になにかするっていうことが気づかれするタイプでして、ある程度自由に好きなことをして好きなように過ごせたほうがいいんですよ。ギャンギャンと楽しげに騒がしくしている人と一緒にいると疲れて動けなくなるので。程よく傍観できる距離が理想で。先生的には理解できないでしょうが。グループとしては一応仲間ですが、特に仲が良いとい理由でもなく。悪くもなくっていう感じのスタンスが一番いいんです。そうやってお互いに言い距離感で接して問題がないのならば、それでいいと思いますが」そう言うとちょっと理解できないという顔をしながら
「いじめられているわけではないというのは理解できた」と言われて進路相談は終了した
先生は理解できないと言う表情を終始していたが。そういう人間もいるのだということを頭の隅においておけばいいだろう
みんな仲良く笑い合って楽しげに会話しているのは、いいなって少し寂しく感じることもあるけど。その中で楽しくないのに楽しって笑っているつもりはないし。自分で好きなことをして満足して時々それを共有できる人がいればいいな〜って寂しく思うくらいでちょうどいい
自分自身でちゃんと自分の機嫌を取り。ちゃんと自分の方針を決めてきっちり立っていられるようになったら。その寂しいも一緒に歩んでいけるようになるんだろうと思いつつ。
今はまだちょっと寂しいなって思いつつ前を向いて歩いていくしかない