今度こそ…タイムマシンにお願い
「そんなわけで僕と別れるのは絶対君のためにならないんだ」
私の目の前にいる太郎くんはそんなことを言う。面倒くさいな。
「そうそう、それは僕が保証する。こんな有望株を君はみすみすと」
私の前にはもう一人太郎くんがいて口を挟んだ。大きなお世話だ。
なぜ私の前に理系の大学院生で自称『未来の大発明家』である太郎くんが二人もいるのか。
それは彼の未来の発明によるものらしい。
本日私が彼を呼び出した理由は彼との恋人関係を清算するためである。
何しろ太郎くんは馬鹿なのだ。そりゃ研究室では誰にも理解できない程の難しい理論に取り組んでいるらしいし、大学の先生方の間でも天才の呼び声が高いというが、私からしたら馬鹿はやっぱり馬鹿だ。
デートは基本ゲームセンターへ行き、食事はファストフードかファミレス、話題は最近のロボット工学やら宇宙の始まりについてやらでまったく盛り上がらない。この間珍しくお台場へデートに誘われたと思ったら、日本科学未来館で一日中ASIMOを眺めていてそこから動かなかった。
そして何よりウンザリしたのは何処へ行くにも研究用の白衣を着ていることだ。どうやら中にはジャージとか酷いときにはパジャマを着ているらしい。
最初は『大学始まって以来の大天才』という彼のキャッチコピーと将来性に惹かれて交際を承諾したものの、あっという間に愛想が尽きた。本日はサヨナラを言うために大学の学食に呼び出したのだ。
恋人との別れの舞台にはふさわしくないかもしれないが、相手は馬鹿の太郎くんなのだ。ムードや周囲の眼など関係ない。本日も研究室にこもっていて何やら作業中で手が離せない…などとメールが来たため、じゃあ学食でいいわよということになった。
そして更にまったく理解出来ないのだが、やってきたのは二人の太郎くんだった。
「どういうことだい、華ちゃん。なぜ急に別れ話なんて」
私が切り出す前に太郎くんその1が言う。
「なぜ知っているのかと不思議だろうが、僕はすでに君との別れを経験しているのだ」
太郎くんその2が付け加えた。全然わからない。
「ややこしいわ。もうウンザリと思って別れようと思った太郎くんが二人いて、ウンザリの二乗だわ。超ウンザリ」
周囲の学生達も二人の太郎くんに眼を丸くしている。
「そうやって君は今日僕と別れようとする。僕にとっては3年前のつらい記憶だ」
太郎くんが眼を潤ませている。
「3年前?」
「そう。僕は今から3年後にタイムマシンを完成させる太郎フューチャーだ。グスン」
太郎くんフューチャーが泣き声で言った。
「つまり僕はこれから3年後にタイムマシンという大発明をすることになるんだ、華ちゃん」
太郎くんナウは私の眼を真っ直ぐに見た。
「そんなわけで僕と別れるのは絶対君のためにはならないんだ」
「そうそう、それは僕が保証する。こんな有望株を君はみすみすと」
「やっぱり無理。どう考えてもウザいわ」
太郎くんのフューチャーとナウが揃って眼を丸くする。
「ど、どういうこと」「こ、こんなに頑張ったのに」
私は太郎くんと少しだけくたびれた太郎くん(多分フューチャーの方)を交互に眺めた。
相変わらず揃って小汚い白衣を着ている。頼んだコーヒーには砂糖の小袋を3袋入れ、甘ったるくして飲んでいる。横には食べかけのドーナツ、二人の口の端には同じように大量の砂糖がくっついていた。
これとつきあうのは交際じゃなくて保育だわ。とても面倒見れない。
「あなた達、もう少しだけ自分の姿が見えるようになるといいのだけれどね」
私はため息をついた。
「そんな…僕はふられてから君を見返そうとして必死に研究を」
「そうだ。今君に見捨てられたら僕には研究しか残らない」
二人の太郎くんが魂の叫びを…って。ん?
「ねえ、待って」
「華ちゃんの気持ちを変えてみせようと頑張ったのに」
「そうそう、華ちゃんに振られたら僕はもう研究室にこもりっきりだ」
…ということは。
「じゃあ、振られないとタイムマシンは完成しないんじゃないの?」
私は首を傾げた。
「そ、そう言えば」「た、確かに」
そういうところがつくづく馬鹿だと思うのね。
「どうしたらいいんだ、太郎ナウ。振られないと研究が進まないぞ」
「タイムマシンと華ちゃん…あちらを立てればこちらが立たず。どうする太郎フューチャー」
「華ちゃんを取ってマシンを捨てるか」
「マシンを作って華ちゃんを分解するか」
何言ってんだこいつら。バラバラにされてたまるかい。
「ま、そういうことで。太郎くんは人類の進歩のために研究を頑張りなさい。ではサラバだ」
私が席を立とうとすると、二人の太郎くんが泣き出した。
「華ちゃーん、好きなんだよ。マックス・プランクよりヴィルヘルム・コンラート・レントゲンよりも好きなんだ。オーイオイ」
「誰よりも誰よりも、アルベルト・アインシュタインよりもカール・フリードリヒ・ガウスよりもオットー・リリエンタールよりも大好きなんだ。行かないで、華ちゃん、ウエーン」
誰なのそいつら。
それにしても子供のように泣くのね。号泣だわ。こんなに純粋な『好き』ってのもなかなか無いかもね。
…ハッ、何かほだされようとしてないかしら、私。
「華ちゃん、君が側にいてくれるのなら研究なんてどうでもいいんだ。オイオイ」
「そうだ。これからすべてを投げ打って華ちゃんの研究をしたいんだ。ワーン」
それは御免被るわ。
何だかちょっと可愛くなってきちゃった。
こんなに誰かに必要とされることって、これからの人生であるのかしら。
私がこの人の面倒を見てあげないといけないのかもしれない。
「…これからデートには白衣を着てこない?」
「華ちゃんが言うならメンズクラブ読むよう」
それは古いわ。
「私の好きなものにも興味を持ってくれる?」
「もちろんだともぉ」
「華ちゃんのストーカーになるよう」
やめなさい。
「…もう一度チャンスをあげようかな、可愛い太郎くん」
私は太郎くんナウとフューチャー両方の額にキスをしてあげた。
「…あれ?」
すると太郎くんフューチャーの身体がスッと薄くなる。
「どうした、フューチャー!」
ナウが慌ててフューチャーの肩を掴もうとするが、その手は身体をすり抜けた。
「そうか。ここで華ちゃんに優しくされて、僕の研究は大幅に遅れることになるんだ。僕は消える…」
太郎くんフューチャーの声はもう微かにしか聞こえない。
「まあ、なんてこと」
私は何だか責任を感じる。
「気にしないで。タイムマシンなんかより華ちゃんとの幸せが大切だよ」
「フューチャー、未来で会おう」
太郎くんナウが泣きながら言った。
「泣くな。人は不確かな成功の予感より今この時の幸せの感触で生きていくのだ」
フューチャーは深いんだか浅いんだかよくわからない言葉を残して消えた。
「…まあ、いいわ。太郎くん、これからもよろしくね」
私は気を取り直して微笑んだ。
「うん、華ちゃん。ありがとう」
私との復縁やフューチャーとの別れで感情を乱し、涙と鼻水を垂らしっぱなしの太郎くんが顔をあげた。
私は再び母性本能をくすぐられてキュンとする。
(私がこの人を守ってあげないと)
「さあ、涙と鼻水を拭いて。ほら、顔をあげなさい」
私はハンカチで太郎くんの顔を拭いてあげる。グスングスンと鼻を啜りながらも照れくさそうに私を見つめる太郎くんは可愛いにも程がある。
(決めた。私がこの人の面倒をしっかり見て、研究を支えるわ)
私がそんな決意をしたその瞬間、学食の自動ドアが開いて汚れた白衣の中年男性が飛び込んできた。
「待った!待った、華ちゃん!」
誰?白衣の…えっ?まさか?そう言えば面影があるわ。
「僕は太郎モアフューチャー、55歳」
…でしょうね。ん?55歳?何それ。
「華ちゃんがそうやって甘やかしすぎるから、僕のタイムマシン研究はすっかり大幅に…30年ほど遅れてしまった。もっと何ていうか、優しすぎず厳しすぎず、バランス良く甘やかしたり突き放したり…そんな感じでお願いしたい」
知らんがな。
読んでいただきありがとうございました。
サディスティック・ミカ・バンドは大好きなバンドのひとつでした。歳がバレますけど…。
1月に髙橋幸広さんが逝去されたとき今年中にタイムマシンをタイトルに入れた短編を書こうと心に決めたのですが、もう11月です。今年は鮎川誠さんや坂本龍一さんなど若い頃に親しんだミュージシャンの方が沢山亡くなったような気がしています。YMOはもう細野さんだけなんですね…。嘘みたいです。