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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第三部
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第92話 『栞 (1)』

新学期初日の朝の教室。

“俺女”絡みの話題が、ようやく終わった直後……といっても多少の余韻は残っていたりもするのだが。


夏休み気分を引きずる生徒たちは、もう間もなくホームルームが始まろうかという時間にもかかわらず、相変らず騒がしい。

“りん”は、今日初めて顔を合わせた沙紀と東子に話しかけた。


「……で、沙紀と東子は、今どこに行ってたんだ?」


普段なら、“りん”が教室に入ってくる時には、もう席についていることが多い二人である。

今日に限って、席を外していたのはどうしてなのか……そんな疑問を、“りん”はふと感じたのだ。


「……ちょっとね。女子バスケ部の顧問に呼ばれたから職員室に行ってたのよ」


沙紀が、いかにもめんどくさそうに答える。

3年生が引退した夏休みを境に、各部とも新体制に移行していったわけだが、沙紀と東子の所属する女子バスケ部では、なんと沙紀が新キャプテンという冒険心溢れる体制になっていた。

キャプテンって思ったより雑用が多くてうんざりだわ……と、新学期早々愚痴をこぼす沙紀を見て、“りん”は一人苦笑した。


「そしたらねぇ……いたの~♪」


「いたって……何が?」


「転校生だよっ♪ て・ん・こ・う・せ・い!」


東子のアニメ声は、多少の騒音があっても、非常によく通る。

それが例え、この騒がしい教室の中であっても……だ。

その証拠に、“りん”を取り囲んでいた女子たちはもちろんのコト、その輪の外にいた男子生徒たちまでが驚きの声を上げていた。


「マジでっ?」


「ホントだよっ! 職員室にいたモン♪」


「男の子? 女の子?」


「かわいい女の子だったよ〜♪」


そんな東子の発言に、男子たちからは、「おお~♪」とか、「やった!」とか……100%お約束なリアクションが返ってきた。

それに対して、女子たちの間からは、「や〜ね〜男子は……」といった、これまたお約束なリアクションである。


ただでさえ、夏休み明けで浮ついた空気の中、“転校生”というビッグイベントに、教室の雰囲気は完全に浮き足立った。

ホームルーム開始を示すチャイムが鳴り、担任の種田直樹が教室に入ってきても、この弛緩した雰囲気はなかなか引き締まらない。

しかし……教師としての意地がある種田は、不敵にもニヤリと笑いながら、奥の手を使った。


「あ〜、さっきからお待ちかねの転校生が、入って来れないで困っている訳だが……」


こう言えば間違いなく反応するはず……その目論見は見事に的中した。

ピタリと静まった教室。

ニヤリ……と、ご満悦の表情を浮かべた種田は、少し気取った感じで、廊下に向かって声をかけた。


「いいぞ。入って来なさい」


固唾を呑んだような緊迫感とともに、クラス全員の目が一斉に入口戸に注がれる。

そんな中、戸がガラリと開き、少しはにかんだ表情の女子生徒が入ってきた。


かなり長いと思われる髪の毛が、一本の三つ編みに綺麗に編み上げられ、銀縁のメガネが、やけに理知的なイメージに拍車をかけている。

そして、真新しいセーラー服を纏った端麗な容姿に、男女問わずため息に似たどよめきが上がった。


「初めまして。園田そのだしおりと言います。よろしくお願いします」


そう言って、深々とお辞儀をする栞。

凛とした淀みのない声で、途中つっかえることなく流暢なあいさつをした栞に、これまた教室内に感嘆のため息が上がる。

その立ち居振る舞いといい、ピンッと伸びた背筋といい、まるで日本舞踊でもやっていそうな佇まいだ。


「それじゃ、園田の席は……一番後ろの空いてる席に座ってくれ」


「はい!」


明るい笑顔とともに、はっきりとした返事をして、栞は“りん”と沙紀の席の間の通路を通って着席した。

その空いている席は……一学期までは彩が座っていた席である。


偶然にも、彩と栞……両者とも“三つ編み”をして、“メガネ”をかけている。

だが、不思議なことに、特徴がかぶるにもかかわらず、受ける印象は正反対だった。


片や、おとなしく引っ込み思案な彩。

片や、明るい笑顔で人当たりの良さそうな栞。


栞が、そんな印象どおりの娘であることは、始業式が終わった後の待機時間に明らかになった。

いつの間にか、栞の周りに人が集まり、瞬く間に、上野や成田らと仲良くなってしまったのである。


「うわ~……あっという間に人気者だね。栞ちゃん……」


“りん”の左隣に座る東子が、後方の、栞を中心にした人垣を振り返りながら目を丸くした。

沙紀もまた、同様に振り返りながら……両肩をすくめる。


「そうね。さっきちょっとだけ話したけど、確かに話しやすいし気立てもいいし……」


「そうそう。一体何を食べたらあんな風になれるんだろうね~っ?」


(……食い物は関係ないぞ……多分)


ボケなのか本気なのかわからない東子の発言に、和宏は心の中で突っ込んだが、時折もれてくる会話を聞く限り、確かに話しやすい娘のようだ。


“りん”も、沙紀と東子に倣って振り返ると、相変らず栞との会話が弾んでいる様子の上野の背中が見えた。

もともと上野も、人付き合いが良い上に、他人を構いたい……良く言えば“面倒見の良い”性格である。

そんな上野にとっては、転校してきたばかりの栞は格好の標的といえるだろう。


「ちょっと~! りん! コッチおいで~!」


(……?)


栞の目の前に大きく陣取っていた上野が、いつものダメ声を響かせながら、突然“りん”の方を振り向いて手招きした。

妙にニコニコしている上野の表情は、まるで何かを企んでいるようにも見えたが、名指しで呼ばれたからには無視するわけにもいかない。

“りん”は怪訝な表情を浮かべながら、恐る恐る上野と栞の元に近づいていった。


「な、なに……?」


「ホラ、栞は野球好きなんだって! りんとハナシ合うんじゃないかと思って」


(……野球好き?)


栞は、微笑みかけながら、目の前の“りん”に携帯電話を差し出した。

その携帯に取り付けられたストラップは、とてもカワイイとは言い難いヒゲ面のフィギュア。

だが、和宏にとっては……見覚えのある顔だった。


「……ソルティードッグズの海藤!?」


「うわぁっ! 一目でわかるなんてさすがです♪」


栞は、“りん”に向かって、心底嬉しそうな笑顔を見せた。


“ソルティードッグズ”は、長い歴史を誇るプロ野球球団である。

ただし、近年はBクラスに甘んずることが多く、リーグのお荷物球団と呼ばれていた。


そのソルティードッグズの不動の四番バッター“海藤”。

イケメンとは程遠いヒゲ面のため、女性ファンは少ないと言われているが、朴訥で口数が少ないながら男気溢れる海藤には圧倒的に男性ファンが多かった。(もちろん和宏もその一人)


「わたしも野球が大好きなんです……ヨロシクお願いしますね、りんさん♪」


と、栞が“りん”にニッコリと微笑みかける。


りんさん……?


妙な呼び方であるが、間違っているわけでもない。

とりあえず、「こちらこそヨロシク……」と言おうとした“りん”の機先を制するように、その背後から沙紀と東子が茶々を入れた。


「大丈夫よ。りんは極度の野球バカだから」


「そうそう。野球を取ったら何も残らないくらいっ♪」


(どんだけぇっ!?)


相変らずミもフタもない……まるで“野球以外に何のとりえもない馬鹿”扱いだ。


「でも、栞も物好きだね~。こんなヒゲおじさんのストラップなんてさ」


遠慮なく海藤を“ヒゲおじさん”呼ばわりする上野。

その妙にはまるフレーズに、“りん”はクスクスと笑った。


「確かに……海藤が好きなんて変わってるね。女の子なのに……」


「そうですか? 萱坂さんは、誰か贔屓の選手はいますか?」


「いや……俺も海藤ファンだけど……」


「……」


一拍おいて、栞がププッと吹き出した。


「……りんさんって面白いですね♪ それじゃお互い様じゃないですか~」


女の子が海藤ファンなんてヘンだと言いながら、自分も海藤ファンと言い放つ“りん”。

栞にとっては、“ナイスボケ”以外の何物でもなかった。


さらに笑いこける栞……かなりツボにはまったらしい。

笑いが収まる頃には、メガネの奥の瞳に涙さえ浮かんでいた。


「……あ~笑っちゃいました……。でも、りんさんは何で海藤ファンなんですか? 私が言うのもなんですが、海藤は外見は全然イケてないですよ?」


「ん~……男気があるっていうか……、ちゃんと“ソルティードッグズ”を優勝に導いてからフリーエージェント移籍した律儀さっていうか……」


「……?」


突然、栞の瞳が疑問の色に染まり、首を傾げた。

この瞬間、和宏は全く気付いていなかったが、実は致命的なミスを口走ってしまっていたのだ。


「あの……“ソルティードッグズ”は、ここ20年優勝してませんよね……?」


「……え?」


「……それに、海藤選手は“ソルティードッグズ”に入団してから、一度も移籍したことないはずですけど……?」


「……」


和宏の(雑な)頭の中で、次第に状況が整理されていく。

つまり、“和宏”の世界の海藤と、今の“りん”の世界の海藤は……違うのである。


“和宏”の世界の海藤は、3年連続三冠王を獲得すると同時に、所属する“ソルティードッグズ”をペナントレース優勝に導いている。

そして、『“ソルティードッグズ”を優勝させるまでは絶対に移籍しない』とファンに公言していた海藤は、めでたく米大リーグの“ホワイトベアーズ”に移籍していったのだ。


“りん”の世界の海藤は、三冠王を獲った次の年にケガで一年を棒に振り、今年も“ソルティードッグズ”に所属してペナントレースを戦っている最中だ。

その“ソルティードッグズ”は、海藤が入団して以来、一度も優勝を経験していない。


これらは、最初にのどかと話をした時(第10話参照)に確認済みのはずだった。

和宏は、そのことを思い出して、顔色を変えた。


(……ヤベェ……!)


この状況は……すでにリカバリー不可能だ。

少なくとも、“勘違い”とか“言い違い”というような言い訳は通りそうにもない。


“りん”を見る栞の目つきが、不思議なモノを見ているかのようになっている。

間違った理由を、何でもいいからデッチ上げて、なんらかの弁解でもしない限り、この場は切り抜けるのはムリそうだ。

しかし……デッチ上げる理由が全く思いつかない。


“りん”のわきの下を、一筋の冷や汗が流れ落ちていく。

どうしよう……と、和宏の頭がパニックになりかけたところで、担任の種田が教室に入ってきた。


(た、助かったっ……!)


周りのみんなが、ガタガタと自分の席に戻っていく中、“りん”も自分の席に逃げるようにして戻ることに成功した。

かなりドサクサ紛れではあるが、危機の回避に成功した……和宏は、そう思っていた。


だが……そうは問屋が卸さない。


“りん”が口走った妙な間違い。

そして、間違いに気付いた瞬間に見せた異常なほどの動揺。

それらは、もともと好奇心旺盛な栞を刺激するに充分過ぎるほどの材料だった。


(なんか……怪しいですね……)


担任の種田が、教壇で何かをしゃべり始めたが、もはや栞の耳には届いていない。

栞の視線は、二列前に着席している“りん”の後姿に釘付けになっていた。



―――TO BE CONTINUED

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