第91話 『俺女』
ここからは“第3部”になります。
一応、恒例(?)のキャラ紹介です(^^)
【瀬乃江和宏《せのえかずひろ》】=もともと甲子園を目指す高三男子だったが、ある日突然“萱坂りん”になってしまった。流麗なアンダースローフォームを持つピッチャー。元に戻れるのはいつの日か……。(高二女子・A組)
【久保のどか《くぼのどか》】=和宏と同様に、ある日突然“女”になってしまっていた。かれこれもう4年前のことらしい。鳳鳴高校の生徒会長。美的センスゼロ。たまにドジッ娘属性全開。ちなみに自宅は焼きそば屋“のんちゃん堂”。父“大吾”とも仲良し。(高二女子・E組)
【篠原沙紀《しのはらさき》】=りんの親友。“りん”とは妙にウマが合う様子。ただし極度のいじめっ子気質のため、いつも“りん”が一方的にアイアンクローを喰らう展開多し。身長170センチの長身で、鳳鳴高校女子バスケ部キャプテン。(高二女子・A組)
【阿部東子《あべとうこ》】=りんの親友であり、沙紀の親友でもある。アニメの声優のような声とタレ目が特徴。沙紀と同じ女子バスケ部に所属しているものの、万年補欠状態。基本マイペースの変わり者タイプか。お笑い好き、カワイイ物好き。得意技は『セイラ・マスのモノマネ』『料理』『花火作り』……など。(高二女子・A組)
【大村純《おおむらじゅん》】=鳳鳴高校野球部の正キャッチャー。名前のとおりの純情派。小太り体型ながら筋肉質で、いわゆる“気は優しくて力持ち”と言えるだろう。密かに“りん”に好意を寄せているが、当の“りん”には全く気持ちが伝わっていない。(高二男子・A組)
【山崎卓《やまさきすぐる》】=鳳鳴高校野球部キャプテン。ポジションはサード(レフトからのコンバート)。なかなかのイケメンで、明るい性格の熱血漢。沙紀と東子とは、幼稚園の頃からずっと同じ学校に通う幼馴染。幼少の頃の呼び名は“タッくん”……(笑)。(高二男子・E組)
【小松原夏美《こまつばらなつみ》】=何故か専用の野球練習用の空き地を持ち、野球の練習に明け暮れる女の子。“りん”のアンダースローに憧れ、現在習得中。男の子のような口調で、“りん”のことを“りん姉”と呼ぶ。(小三女子)
「ハッ……ハッ……」
息が弾み、額からは一筋の汗が流れ落ちる。
行程約3キロに設定した朝のジョギングコース。
その起伏に富んだコースは、足腰に負荷をかけるには都合が良かった。
家の前まで辿りついた“りん”は、フ~ッと一息ついた後、クールダウンのためのストレッチメニューを消化していく。
ジョギングを始めた頃は、2キロも走り終えるとヘロヘロになっていたが、今はかなり余裕が出てきた。
毎日続けた成果か、確実に体力がついてきた……という感じだ。
「あらぁ~、おかえりぃ~。ゴハン出来てるわよぉ。シャワー浴びてらっしゃい」
額の汗を拭いながら、家の中に入った“りん”に、母親のことみが朝食の準備をしながら声をかけてきた。
朝のジョギングを始めてから、すでに4ヶ月目。
ジョギング⇒シャワー⇒朝食⇒登校……という流れが固定されているので、ことみも慣れたものである。
脱衣所にて、ジャージを脱ごうとした“りん”は、思い出したように足首に張り付いたマジックテープをベリベリと剥がした。
“パワーアンクル”と呼ばれる、足腰の強化のためのトレーニンググッズだ。
片方が500グラムの、市販されているものの中では非常に軽めのものだったが、この重さなら故障の原因にもならないし、“りん”の身体に与える負荷としてもちょうどいい。
下半身の強化は、ピッチャーにとって、絶対の命題である。
それなくしては、微細なコントロールも、極上なタマのキレもありえない。
これは、和宏が長年ピッチャーをしてきて重要視するようになったトレーニングテーマの一つであり、このパワーアンクルは下半身強化に向けた有力な手段の一つであった。
服を全て脱ぎ捨てた“りん”は、熱めのシャワーを全身に当てていく。
ただし、髪を濡らすと乾かすのに時間がかかるので、髪を上げてヘアピンで留めてから、だ。
そして、軽く汗を流し終わった後、鳳鳴高校の制服……えんじ色のサマーセーラーに袖を通してから、今やすっかり“りん”のトレードマークになった感のあるポニーテールを結う。
(……なんか、慣れちまったなぁ~……俺)
ヘアピンを止める動作といい、ポニーテールを結い方といい……妙にロングヘアの扱いに手馴れてしまった自分。
悲しいような……情けないような……、そんな気持ちを全開にして、和宏は心の中だけで苦笑した。
◇
「いってきま~す!」
ことみの出勤よりもタッチの差で早く家を出た“りん”は、透き通るような声を張り上げた。
時間は7時45分……楽勝で間に合う時間である。
“りん”は、鞄を片手に空を見上げると、昨日と同じ快晴の青空だった。
おそらく今日も暑くなるだろう。
だが、8月の暑さと9月の暑さは違う……と和宏は思う。
あくまでも印象だが、8月の暑さは“真夏の暑さ”。
そして、9月の暑さは“残暑”。
故に、和宏は、月が8月から9月に替わる時、夏が終わったことを実感する。
今日は、9月1日。
二学期の始まりの日だ。
鳳鳴高校2年A組……校舎教室棟の二階にその教室がある。
すでに大部分の生徒が登校を終え、教室の中や廊下で夏休み中の土産話に花を咲かせていた。
そんなざわついた教室に“りん”が足を踏み入れると、「待ってました♪」と言わんばかりに声をかけてくる女子のクラスメイトたち。
A組の女子は、わずか10名しかおらず、みな比較的仲が良かった。
「おはよ~、りん~!」
“りん”の透き通るような声とは対極に位置する、特徴的なダミ声。
その声の持ち主は、重量感バツグンのおばさん体型を誇る、ソフトボール同好会会長の“姉御”こと……“上野あかり”だ。
「おはよー」
“りん”は、あいさつを返しながら、上野の方に顔を向けると、軽く日焼けした肌の色が目に付いた。
どうやら、上野は上野で、充実した夏休みを送ったらしい。
そして、上野の隣には、一学期の終わり頃に仲良くなった、右足に傷跡を持つ“高木舞”。(第65話参照)
「おはよう! 元気してた?」
「ハハ……まぁね」
「ところでさ……」
あいさつもソコソコに、高木は唐突に声を潜めた。
「萱坂さん……“俺女”って本当?」
(はぃ~?)
新学期早々、話が妙な方向に逸れていく。
そもそも“俺女”とはなんなのか……“りん”は首を傾げた。
「ホラ、男の子みたいに自分のコトを“俺”って言う女の子のコト」
(……なるほどね……)
高木の説明を聞いて、ようやく納得……である。
しかし、一体どこでそんな話を仕入れてきたのだろうか?
上野や高木の前で、“俺”と口走ったことなどないはずなのだが……。
「……彩がねぇ……手紙で『りんちゃんが“俺”って言うの。すごくカッコいいの』って言ってたから♪」
高木は、妙によく彩の特徴を捉えたモノマネを交えて、その理由を明かした。
一学期が終わると同時に、両親の仕事の関係で渡米した“北村彩”。(第73話参照)
その彩の前で、『俺』と口を滑らせたことならば……確かに何度かあった。
(……彩ちゃんの仕業だったのか……)
高木は、彩とも仲がいい。
おそらく、“りん”が彩から手紙をもらったのと同様に、高木も手紙をもらったのだろう。
そして、その内容は……推して知るべし、だ。
「ああ~、なるほどね。萱坂さんは言葉遣いが男っぽいし、似合うかもね~」
近くで話を聞いていた、A組のザ・マイクハナサーズ(第61話参照)こと“成田優希”も、いきなり話に加わり、もはや収集がつかない様相を呈してきた。
「でも、そうするとますます下級生の娘たちにモテモテになっちゃうんじゃない?」
(……ますます? ……下級生?)
上野が、例のダミ声を利かせた不穏当発言に、“りん”がキョトンとした表情を見せる。
そんな“りん”を見て、高木や成田が、呆れたように吹き出した。
「え~!? まさか知らないの? 萱坂さん、1年生の女子に大人気じゃん?」
(……初耳ですが……?)
目をパチクリさせる“りん”に、ついに周りの女子たちまでが集まり始め、ついには、A組の10名の女子生徒のうち、実に8名が、“りん”を中心にしたひとかたまりになって、蜂の巣をつついたような騒ぎに発展していった。
女子はおしゃべりが好き……それを地でいっているような光景だ。
「実はウチの妹もね~、『カッコいい』って言ってたもん!」
「女子バレー部でも、そんな会話を聞いたことあるね~……確かに」
「あ、私は電車の中で『憧れちゃうぅ~』みたいな話をしてるのを聞いたことある!」
思った以上に、“りん”はあちこちで会話のネタにされているらしい。
間違いなく、あの球技大会(第40話参照)での強烈な印象のせいであろう。
「そういえば私、前にチラッと見たんだけど……1年生の女子と腕組んで歩いてたことあるよね?」
「ええっ! ナニそれっ!?」
「うわ~!! 衝撃の新事実っ!」
誰かが言い出した何気ない一言によって、場の雰囲気が一気に変わった。
それも……“りん”的にマズイ方向に。
(……あの時……見られてたのか……!)
『りん姉さま』が口癖の1年生……“村野紗耶香”。
球技大会直後、ほぼ一方的に紗耶香に付きまとわれた“りん”だったが、紗耶香本人には全く悪気がなかっただけに、対応には苦しんだ。
大村と山崎の助けを借りて、ようやく撃退(?)した……ある意味忌々しい事件である。(第43話~第48話参照)
「ホントなの? 萱坂さん!?」
「わ~! 萱坂さんってソッチ系!?」
“りん”の周りが、“蜂の巣をつついたような騒ぎ”とはこういうことだ! ……と言いたくなるような大騒ぎに包まれた。
ワーワーギャーギャーと……もはや、誰が何をしゃべっているのかすらわからない。
その騒ぎに、ついには他の男子たちまで「何事か……?」と注目し始めるに至った。
(ヤベェ……)
あの一件は、“りん”にとって、あまり思い出したくない(いろいろな意味で)黒歴史。
こんな大声で言いふらされては、たまったものではない。
「あーもぉ! 俺のコトはもういいからっ!」
たまりかねた“りん”の張り上げた声によって、いきなり場が静まり返った。
それは、まるで奇跡のように思えたが……それはほんの一瞬に過ぎなかった。
「「「うわぁ! カ~ッコイイ~♪」」」
「……へ?」
普段あまりしゃべる機会のないクラスメイトたちが見せる、「いいもの聞かせてもらっちゃった♪」的なニヤケ顔。
思わず目を丸くした“りん”の右肩に……上野の手がポンッと優しく乗せられる。
「確かに……りんが“俺”って言うとカッコイイわ……」
「……え? え?」
同様に、高木の手が“りん”の左肩に。
「うんうん……彩正解。もうこれからは俺女路線でいこうね……萱坂さん」
「……」
和宏は……今、ようやく気付いた。
つい無意識に“俺”と口走ってしまったことに。
だが、幸いなことに、妙に肯定的に受け入れられている様子だ。
(……良かったのだろうか……これで)
和宏が、そう心の中で思うと同時に、いきなり背後から、毎度聞き慣れた可愛らしいアニメ声が響いた。
「い~んじゃないっ?」
明るくて軽い口調……「オマエ、何も考えてないだろ?」と難癖を付けたくなるような東子の声。
そして、東子の隣にいるのは、もちろん……言わずと知れた沙紀だ。
「そうね。りんのコトだし、今さら驚きもしないわ」
腕組みをして頷く沙紀とニコニコ顔の東子は、そこにいるのが当然であるかのように“りん”の背後に突っ立っていた。
「……い、いつの間に……!?」
「いつの間にって……教室に戻ってきたら、妙に騒がしかったから覗いてみただけよ」
「そうそう。そしたら“りん”のことで大騒ぎだったってわけ~♪」
沙紀も東子も、“りん”が教室に入ってきた時にはいなかった。
おそらく、あの蜂の巣をつついたような騒ぎの最中に、教室に入ってきたに違いない。
なにはともあれ、これでA組の女子10名が全員この場に揃ったことになる。
(……まぁ、いいか。なんか全員からお墨付きを貰ったようなもんだし)
これからは『俺』と口を滑らせても、「りんだから」で済みそうだ。
苦笑しながら、“りん”は照れ隠しのようにポニーテールを触った。
いきなり“俺女”にさせられて、波乱の幕開けとなった新学期……と思いきや、実は本当の波乱はこれからなのであった。