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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第二部
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第85話 『Season in the Sea (7)』

夏休みの、とある晴れた日。

青い空と青い海に囲まれた白い砂浜にて。


まさか、こんなところでクラスメイトと会うとは、“りん”たちも、大村も……お互いに思っていなかっただろう。

だが、女の子が『お兄ちゃんっ!』と叫んだ先にいるのは……紛れもなく大村である。


女の子の叫び声に驚いたのか、男が振り上げた右こぶしが、振り上げられたままピタリと止まった。

そのスキに、女の子は大村のところまで一目散に逃げていく。


脱出成功……とりあえずこれで一安心のはずである。


自分の元まで辿り着いた女の子に、優しく微笑みかける大村。

普段から優しい兄なんだろうな……ということが一目瞭然な笑顔だ。


そして、その女の子と、二、三の言葉を交わした途端に、大村の顔色が変わった。

二人の間に交わされた会話は、“りん”たちまで聞こえるはずもなかったが、おそらく女の子が大村にコトの経緯を説明したに違いあるまい。


たった今、男に殴られそうになったことを。

“りん”が男に言い寄られていたことを。


大村は、一歩一歩を踏みしめるように、男の方へ近づき始めた。

その表情は……固く、強張ったまま。


(……まさか、いきなり殴りつける気じゃ……!?)


和宏が、そう直感してしまうほど、大村は怒気を孕んでいる様に見えた。

だが、もしそうなら、なにがなんでも止めなくてはならない。

仮にも野球部員がケンカ沙汰など……ヘタをすれば野球部が出場停止になってしまう。


しかし……それは全くの杞憂だった。

大村は、さっき女の子を殴ろうとした男の目の前に立ち止まり……いきなり頭を深々と下げた。


「すいません。妹が焼きそばを足に落としてしまったそうで」


だが、頭を下げながらも、大村からは有無を言わせぬほどの威圧感が発せられている。


(……っ)


“りん”たち三人は、目の前の意外な展開に呆気に取られた。

確かに、総合的に見れば、男に非があるのは明らかであるが、女の子が、男の足に焼きそばを落としてしまったのもまた事実だ。

お互いに落ち度があるのならば、まず自分の側の落ち度を先に認める……大村が頭を下げたのはそういうことであろう。


そして、その行動は大正解……“りん”たちはそう確信した。

実際に、目の前の男は、いきなり頭を下げた大村に戸惑い、ケンカになりそうな雰囲気など、どこかに吹き飛んでしまったからだ。


(大村クン、かっけぇぇぇ~!)


迷いなく頭を下げた大村の男らしさ……これが全く持ってハンパなかった。

いかに焼きそばを落としてしまったとはいえ、ほとんど逆恨みで妹を殴ろうとした男に、迷いなく頭を下げるなど、普通出来るだろうか。

しかし、生真面目で実直で一本気な大村の性格からいって、ある意味“大村らしい”とも言えるかもしれない。


深々と下げていた頭を、ゆっくりと上げる大村。

これで文句はないだろう? ……といわんばかりの鋭い視線を、目の前の男たちにぶつけた。


男たちが、ビビッているのは明らかだった。

ひ弱な三人の男ごとき、一蹴してしまいそうな筋肉質な体つきに、だ。


上半身裸で、海パンをはいた大村の姿を、これほど間近で見たのは初めてだったが、“りん”はその身体つきに唖然とした。


浅黒く日焼けした、予想以上に筋肉質な身体。

ちょっとぽっちゃりした小太り体型かと思っていたら……とんでもない話だ。


そんな大村の身体つきにビビッた男たちは、ビクつきながら、何も言わずに後ずさりしていく。

167センチの大村よりも背の高い男たちだったにもかかわらず、だ。

その情けない姿が、唐突に呼び起こされた和宏の記憶と……ダブる。


(……思い出したっ! コイツら、以前のどかにやっつけられた連中(第19話~第20話参照)だっ!)


やはり、どこかで会ったことがある……と思ったのは間違いなかったようだ。

確かに、この海水浴場とあの男装をして遊んだ街とはそう離れてはいないとはいえ、またもや“りん”にちょっかいを出してくるとは……なんという偶然であろうか。

その時とは“りん”の髪型が変わっている(当時はストレート……今はポニーテール)せいか、男たちの方は“りん”に気付かなかったようだが。


逃げていった男たちが視界から消え……ようやく戻ってきた柔らかい空気。

同時に、“りん”たちの表情には、いつもの笑顔が戻り始めた。

まるで、さっきまでの緊迫感が嘘だったかのように。


「サンキュー……大村クン。助かったよ」


「ホントね~。ナイスタイミングだったわ」


「そうそう。一時はどうなることかと思ったモン!」


口々に礼を言う“りん”、沙紀、東子。

礼を言われた大村の方はというと、大方の予想どおり、顔を赤くして大いに照れていた。


「イ、イヤ……でも俺何もしなかったけど……」


「はは。あいつら、大村クンの迫力に気圧されて逃げたんだよ」


“りん”が、笑いながら、大村の厚い胸板を指差す。

弾けるような笑顔の“りん”に、大村はますます照れた顔だ。


「その娘……大村くんの妹っ?」


東子が、いつの間にか大村の後ろに隠れるようにして立っている女の子を見た。

ちなみに、大村に妹がいるという話は、“りん”たち三人にとっては初耳である。


「そうだよ。もう小六にもなるのに人見知りがすごくてね」


「名前はなんていうのかしら?」


女の子に名前を尋ねる沙紀の口調が、何故かいつもより優しかった。

多分、表情に固さを残したままの女の子に、沙紀なりの配慮をしたつもりであろう。

しかし、『人見知りが激しい』という大村の言葉どおり、女の子の表情は相変らず固かった。


「……大村おおむらしのぶ……です」


蚊の泣くような細い声で答える忍。

果たして、もともと声が小さいのか、それとも沙紀を怖がっているからなのか……真相は不明である。

だが、その顔は、よくよく見ると、目や鼻などのパーツに大村との共通点が見られた。


「それじゃあ、忍ちゃん。焼きそば一つダメになっちゃったから、コレあげるよ」


“りん”は、発泡スチロールの箱の中から、残っていた最後の焼きそばを忍に差し出した。

努めて笑顔を見せる“りん”だったが、それでもなかなか表情を崩さない忍。

おそらく、自分のせいで迷惑をかけてしまった……という思いがあるのだろう。


「か、萱坂さん……いいよ。忍の不注意なんだから」


大村は慌てた感じで手の平を“りん”に向けた。

相変らず大村は遠慮深い。

予想どおりのリアクションに、“りん”は笑った。


「いいんだよ。おかげで助かったんだから。お礼ということで」


忍が焼きそばを落っことしたおかげで、大村が来てくれたのだ。

そう考えると、確かに忍のおかげで助かったと言えるだろう。


「りんの言うとおりね。お礼よ……お礼」


「そうそう。りんってば冴えてるじゃないっ♪ 今日に限って」


「イヤ、『今日に限って』は余計だし」


そんなやり取りに、“りん”たちも大村も、声を出して笑った。

和んだ空気に安心したのか、すっと表情の固かった忍が、ようやくほんのりとした笑顔を見せる。


「……ありがとう……」


はにかみながら、焼きそばの入ったパックを受け取った忍。

“りん”は、おもむろに右手を上げた。


「やった~っ! 300食完売っ!!!」


これで、正真正銘の“売り切れ”である。

めでたく目標達成と相成った“りん”は、沙紀や東子と喜びのハイタッチを交わした。


その微笑ましい様子を見ていた大村は、忍を労わるように優しく言った。


「じゃあ、先にお母さんたちのところに戻ってな」


「うん」


忍は、テケテケと走り出し……途中で振り返ってバイバイをした。

最初と比べると、大きな変化といえるかもしれない。

“りん”たちも、手を振り返すと、忍は安心したように走り去っていった。


「ご、ごめんね……あんまりしゃべらないヤツで」


何故か恐縮する大村。

とはいえ、兄妹仲が良好そうなのは充分に見て取れた。


「はは……。いいじゃん。かわいいと思うよ」


……。


しかし、何故か会話が続かない。

その理由は、“りん”を目の前にした大村の緊張……である。


この場にいる誰もが、この不自然な沈黙にピンと来た。


大村は、“りん”を意識しているに違いない……と。


沙紀も……東子も……そう思った。

気付いていないのは……もう一方の当事者である“りん”だけだ。


突然、思い出したように……わざとらしい声を上げる沙紀と東子。


「あ……アタシたちシャワー浴びてくるねっ♪」


「そ、そうね……。じゃ、りん……あとよろしく!」


そう言って、二人は不自然なほどぎこちなく場を走り去っていく。

さっきまで、あんなに賑やかだった浜辺に、“りん”と大村だけが……取り残された。



―――TO BE CONTINUED

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