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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第二部
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第80話 『Season in the Sea (2)』

歩く道すがら、至るところからセミの鳴き声が聞こえてくる。

“蝉時雨”とは、まさにこのことをいうのであろう。


そんな騒々しいセミの声を全身に浴びながら、歩くこと約30分。

約束の12時前に、“りん”は、ようやくのんちゃん堂に辿り着いた。


店には、例の妙に年季の入った暖簾が掲げられ、間違いなく営業中であることを示している。

あの香ばしいのんちゃん堂特製ソースの匂いが辺りに充満していることも、その裏づけだ。


(この匂いを嗅ぐだけで腹が減ってくるな……)


“りん”は、加速度を上げていく空腹感を感じながら、店に入った。


「いらっしゃいませ〜!……って、りんじゃないか」


元気な声を張り上げたのは、のんちゃん堂の看板娘……のどか。


相変わらずのクリクリとした、可愛らしくも大きな瞳。

クセッ毛模様の毛先が外ハネしたミディアムヘア。

そして、のんちゃん堂のユニフォーム(?)であるメイド風コスチューム。


中身は“男”のはず……しかし、外見上は全くそれを感じさせないのが、ちょっとばかり不思議でもある。


久しぶりに見たその姿は、夏休み前と全く変わっていない。

まだ夏休みに入って2週間ばかり……際立った変化などないのが当然である。

だが、そのあまりに変わっていない姿に、“りん”は思わず吹き出してしまった。


「……なんだい? 人の顔を見るなり笑い出して」


のどかが口を尖らせて、ちょっとムッとした表情を見せる。

しかし、もともとの童顔も手伝って、そんな表情すら可愛らしくもあった。


「ゴ、ゴメンゴメン。変わってない感じで安心しちゃって」


「……安心?」


よくわからない“りん”の説明に、首を傾げるのどかだったが、もう顔は綻んでいた。

やはり、のどかには笑顔の方がよく似合う……と、和宏は改めて思った。


「ところで……どうしたんだい? お昼ごはん?」


「ああ。沙紀と東子も来るはずなんだけど……まだ来てない?」


そう言いながら、“りん”は店内を見渡したが、数人の男性客がいるだけだ。

鉄板の前では、いつもどおり鉢巻をした大吾が、大げさなモーションでコテを振るっている。


「よぉ! りんちゃん! いらっしゃい!」


目ざとく“りん”の姿を見つけた大吾が、人懐っこい笑顔をりんに向けた。


「こんにちは」


「ゆっくりしてってね!」


まるで常連客のような扱いに、苦笑する“りん”。

もう完全に顔を覚えられてしまったようだ。


「沙紀と東子なら、二人ともまだ来てないよ。何時に約束したんだい?」


「え~……と、12時」


のどかと“りん”は、店内備え付けの時計を見上げた。

11時55分。


「まだ12時になってないし、もう少ししたら来るかもね」


のどかが、そう結論付けた瞬間……店の引き戸がガラガラと開いた。

もちろん、現れたのは沙紀と東子である。


沙紀が着ているのは、グレー地の飾り気の少ないシンプルなワンピース。

170センチの身長と、細めのスラリとした体型には、ピッタリの服装といえるだろう。


東子が着ているのは、薄手のピンク地のパーカーに、白のミニスカート。

沙紀とは対照的に背の低い東子には、ピンク色のかわいいデザインのパーカーと、同じように可愛らしいフリルのついたミニスカートがよく似合う。


私服姿の二人を見るのは、“りん”も初めてだったが、両者とも、それぞれ自分の特徴をよく捉えたファッションである。


「こんにちは~……って、おお! りん、早いねっ♪」


体調の回復した東子のアニメ声は、いつもよりも艶やかで、その口調も滑らかだった。

その後ろには、ニヤリと笑いながら、沙紀が右手をワキワキさせている。


「……まぁ、遅刻でもしたら、“コレ”を喰らわせるところだったけど」


(……やっぱりかっ!)


今さら説明不要かもしれないが、“コレ”というのは、沙紀の得意技のアイアンクローのことだ。

本気とも冗談ともわからない沙紀の物言いに、東子とのどかは笑い、“りん”は顔を引きつらせていた。


「あはは。沙紀は相変らずだね。まぁ座ってよ」


のどかに勧められるがままテーブル席に座った3人。

そして、5分も立たずに、大吾の職人芸のようなコテ捌きで焼き上げられた“のんちゃん焼きそば”がテーブルの上に並べられた。

ホワホワと立ち上る湯気と、焼きそばの上に乗せられたアツアツの目玉焼きが、おいしそうな見た目をさらに引き立てている。


「「「いっただっきま〜す!」」」


やはり、のんちゃん堂の焼きそばは美味い。

東子は、「おいひい(おいしい)!」を連発しながら、焼きそばを口に運んでいく。

やがて、全てを平らげた3人の表情は、なんとも満足げだった。


「いや~、嬉しいねぇ! ウチの焼きそばを、そんなにおいしそうに食べてもらえるとはね~」


他の客もいなくなり、手持ち無沙汰になった大吾が、“りん”たちに話しかけてきた。

相変らずの人懐っこい笑顔である。

“りん”たちが笑顔で応じると、大吾は突然思い出したように言った。


「そうだ! 嬢ちゃんたち。今年は海に行ったかい?」


……海?


お互いに顔を見合わせる3人。

ちなみに、“りん”は行ってもいないし、予定もない。


「今年は行ってないわね……。プールには何回か行ったけど」と、沙紀。


「アタシは……今年どころか高校に入ってから一回も行ってないかも?」と、東子。


そして、沙紀と東子が「りんは?」という目で“りん”に視線を向ける。


「……い、行ってないよ……もちろん」


大体からして、泳げない“りん”が、わざわざすすんで海水浴などに行くはずもない。

“りん”は、少しタジッとした感じで答えた。


3人の答えを聞いた大吾が、なぜか満足げに大きく頷く。

のどかも含め、“りん”たちが、大吾の真意を測りかねているところ、大吾は“ある提案”を持ちかけてきた。


のんちゃん堂(ウチ)がさ……あさって、海水浴場で出店できることになったんだよ。当然のどかも来るし……遊びがてらどうかなってね」


「……アレ? その話、この間オジャンになったって言わなかったかな?」


大吾の提案に、“りん”たちが答える間もなく、のどかが口を挟む。

どうやら、この“のんちゃん堂出張店計画”は、結構前から進められてきたようだ。

のんちゃん堂の移動販売店である“のんちゃん号”も、この計画のために準備されたものかもしれない。


「イヤ。例の海水浴場組合とは確かに揉めたんだけどな。最終的にはOKよ」


「ふーん……」


「ただなぁ……」


「……?」


「出店場所がな……ちょっと浜辺から離れたところにされちまったんだよな……」


声を潜めると同時に、苦虫を噛み潰したような表情になる大吾。

まるで、難航を極めた海水浴場組合との交渉の模様を思い出したかのような表情である。


「まぁ仕方ないんで、車で焼きそば作って、浜辺で売ろうかなって思うんだが……」


大吾が、いかにもバツの悪そうな笑みを浮かべながら、頭を掻いた。

その浜辺で売る役目、いわゆる“売り子”をやってくれないか……というのが大吾の言いたいことらしい。


“りん”としては、「お気楽な海水浴なら、行ってもいいかな」という気持ちもあったが、売り子となると……二の足を踏んでしまう。

しかし、お互い顔を見合わせつつ返ってきた沙紀と東子の返事は、意外なものだった。


「いいんじゃない? それくらいなら」


「そうそう。売り子ならバッチリ~♪」


無論、“りん”は売り子をする気などゼロだ。

浜辺で「いらっしゃいませ~!」なんて……恥ずかしくて出来るはずがない。

なのに、沙紀と東子があっさりとOKしたのは、“りん”にとっては、かなり意外だった。


「もちろん、りんも行くでしょ?」


「そうそう。面白そうだし……行こう行こうっ♪」


沙紀と東子は、無邪気な表情で“りん”を誘ってくる。

“売り子”というのは、ご免被りたいが、のどかや沙紀たちと海に遊びに行くというも、それなりに楽しそうだ。

後は、“売り子”については沙紀と東子がやる気マンマンのようだし、“りん”は浜辺でのんびりボール遊びでもしていれば良さそうである。


「……そうだな……。そういうことなら行ってみようか」


“りん”の同意の台詞に、沙紀と東子が「ヤッター!」とハイタッチを交わす。

なんでそんなに喜ぶんだか……という点が引っかかるところだが、ここまで喜んでくれるとさすがに嬉しい……と和宏は思った。

ところが、のどかは“りん”を見ながら、なぜか心配げな表情を浮かべていた。


「……でも、売り子なんて大丈夫かい?」


……?

意味がわからない。

売り子をするのは沙紀と東子のはずなのに。


のどかの意味不明な台詞に対し、心の中で反論する“りん”。

しかし、その怪訝な表情とは裏腹に、沙紀と東子はゴキゲンだった。


「大丈夫! 任せてくれていいわよ!」


「そうそう。やる時はやるもんねっ♪」


2人は、相変らず力強い台詞を吐いている。

そして、次の瞬間、沙紀の左手と東子の右手が……“りん”の肩を同時に叩いた。


「「ねぇ! りんっ!」」


……。


(ぅおおおおおおおおぉいっ!)


和宏は、心の中で叫び声のような突っ込みを入れたが、それが誰かに届くことは決してない。


一方ののどかは、「やっぱりね……」という表情を浮かべて苦笑いしていた。

どうやら、この事態を想定していたらしい……さすがのどかだ。


実は、沙紀と東子の清々しいまでの力強い台詞の数々は、全て『“りん”が売り子をすること』を前提にしていたに過ぎなかったのである。

もちろん、“りん”の意向とは無関係に。


(……そうか。そういうことだったのか……)


そう。和宏は忘れていたのだ。

沙紀と東子はこういうヤツラだったということを。



―――TO BE CONTINUED

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