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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第二部
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第79話 『Season in the Sea (1)』

8月1日の夏祭りの日から、早くも一週間が過ぎた。

ギラギラした太陽が自己主張を繰り返す毎日は、まさに太陽の季節と呼ぶにふさわしいものがある。


そんな真夏の日差しが照りつける中、“りん”は、左手にグラブをはめ、右手には硬球を握り締め、セットポジションの構え。

その視線の先には、もはや見慣れたストライクナインのパネル。

そして、パネルの横には、ひょんなことから知り合った野球少女“夏美”が、固唾を呑んで“りん”を見守る。


“りん”の躍動感溢れるアンダースローから繰り出されたボールが、パネル手前で……大きく横滑りするようにスライドした。

今、“りん”がマスターしようと取り組んでいる新球種の“スライダー”。

ほぼ、“りん”の思惑通りに変化したスライダーは、見事にパネルの4番を撃ち抜いた。


「おわぉ! やった!」


夏美が、無邪気な歓喜の声を上げたが、その表情とは対照的に、“りん”の表情は冴えないまま。

ライトグレーの無地のTシャツと、学校指定のえんじ色のハーフパンツを身に纏った“りん”は、腕組みをしながら仁王立ちしていた。

両手を挙げ、ピョンピョンと飛び跳ねては嬉しさを表現する夏美だったが、“りん”の喜びの見えぬ表情に気付くと、飛び跳ねるのをやめ、探るような目つきを見せた。


「りん姉……? どうしたの?」


夏美と知り合ってから、もう2ヶ月になる。

その間、二人は毎日のようにここで野球の練習をして、それは夏休みに入ってからもほぼ毎日続いていた。


“りん”は、思う存分ピッチング練習をするために。

夏美は、“りん”にアンダースローを教えてもらうために。


“りん”と一緒にする野球の練習は、いつも男の子とばかり遊んでいる夏美にとって、新鮮で楽しいものだった。

和宏にとってもまた、必死でアンダースローの練習をする夏美の姿は、良い刺激であったといえる。

そうして二人でいる時間が長くなるにつれ、“りん”の呼び名は『お姉ちゃん』から『りんねえ』に変わっていた。


そんな夏美に、“りん”が難しい表情のまま答える。


「……うーん。5番を狙ったのに4番に行っちゃったからな」


“りん”の表情が冴えない理由は、なかなかスライダーのコントロールが定まらないこと……であった。

変化球は、しっかりとコントロールされてこそ武器になる。

速球のない投手……“りん”のようなタイプには、なおさらの話だ。


ちなみに、ストライクナインのパネルは、正方形を横3列・縦3列に9等分したものである。

左上のパネルを起点にして右下のパネルまで、順番に1番から9番まで番号が振られ、“5番”は、ど真ん中のパネルを、“4番”は、5番の左隣のパネルを指している。


「え~!? それくらいいいじゃんっ! あんなの打てるわけないし!」


「たはは……。ところが打つヤツは打つんだよなぁ……」


夏美の、小学生らしい楽観的な意見に、“りん”は山崎の顔を思い出しながら、苦笑いを浮かべた。

小学生のうちはともかく、高校生にもなれば、男女の体力差が顕著になる。

女子が、ピッチャーとして男子を抑えるというのは至難の業なのだ。


その時、夏美の足元に見える影が、かなり短くなっていることに“りん”は気付いた。

反射的に腕時計を見ると……すでに11時を過ぎている。


(……やべぇっ!)


“りん”の顔色が、軽く青ざめた。


「ごめん! 今日はこれでおしまい!」


「え~~!? ど~してさっ!!」


「今日は行かなくちゃいけないトコがあるんだ」


「行かなくちゃいけないトコ?」


思いっきり首を傾げる夏美。

その可愛らしい仕草に、“りん”は顔を綻ばせた。


「はは……。12時に友だちの家に行かなくちゃいけないんだ。あやうく忘れるトコだったよ」


「ズルイよ~っ! 次はオレの番なのにぃ!」


夏美が、いかにも不満げな声を上げた。

ちなみに、以前は“あたし”だった一人称が“オレ”に変わったのは、明らかに“りん”の影響である。


いつもならば、“りん”がひととおりピッチング練習をした次は夏美のピッチング練習……というのがパターンだった。

にもかかわらず、“りん”だけがピッチングをして、「今日はここまで」というのでは、夏美が怒るのもムリはない。

“りん”と一緒にするピッチング練習は、夏美にとっても毎日の楽しみの一つなのだ。


「だからゴメンってば。明日は夏美のピッチング練習を先にするからさ……」


「……ホントに?」


「ホントホント」


“りん”は、「時間がない」とばかりに、グラブを小脇に抱えて駆け出しながら……そう答えた。

夏美とて、もう小学4年生……聞き分けのない子どもではない。

“りん”の事情を汲んだのか、その表情は「仕方ないな……」というあきらめ顔だった。


「じゃ、明日! 約束だからね!」


「オッケー♪」


走り去りながら、笑顔で夏美に手を振る“りん”。

その後姿を見つめながら、夏美は頬っぺたをプクッと膨らませていた。




“りん”の言う“友だちの家”というのは“のどかの家”……つまり“のんちゃん堂”のことである。

そして、12時までに集まることになっているのは、沙紀と東子と“りん”の3人。

要は、いつものメンバーということだ。


何故、のんちゃん堂に集まることになったのか?

コトの発端としては、先日の夏祭りのあった日の翌日まで遡る。


沙紀の予言(第75話参照)どおり、腹痛でダウンした東子。

原因は、言うまでもなく“食べすぎ”だったのだが、その3日後、体調回復した東子は、沙紀と“りん”の度肝を抜く発言をした。


「快方祝いに、のんちゃん堂の焼きそば食べに行こっ♪」


……食い過ぎで腹こわしたのに、直ったらまた食い物デスカ?


そんな呆れを通り越して、もはや笑いしか出てこない。

さすが東子……お笑いセンスは抜群だ。


経緯はどうあれ、“のんちゃん堂に12時集合”と約束したからには遅刻厳禁である。

万が一、遅刻しようものなら、沙紀のアイアンクローを喰らうことになりかねないからだ。


というわけで、家に戻った“りん”は、大急ぎで着替え始めた。

ここで、“りん”がチョイスした服は、上はネイビーのTシャツ、下はベージュの七分丈パンツ。

比較的、中性的な雰囲気を持ったファッションといえるだろう。


“男”の時は、夏に着る服は、いつでもハーフパンツにTシャツと、ほぼ決まっていた。

暑さを凌ぐにはちょうど良い格好であり、出来ることなら、今もそうしたいと思う和宏だったが、あいにくと“りん”はハーフパンツを持っておらず、あるのはミニスカートばかり。

そこで、“私服時にスカートは禁止”というマイルール(?)を適用している和宏が、次善の策として引っ張り出したのが、この七分丈パンツだった。

裾は赤いリボンで絞れるようになっており、いささか可愛らしいデザインなのが珠にキズ(?)ではあったが。


ちなみに、この“私服時にスカートは禁止”というマイルールは、和宏にとって“はかなくてもよいスカート”をわざわざはくことは、ノリノリで女装するようなものなので、大いに抵抗がある……ということを示すものである。

さらに言うなら、制服のスカートは“はかなくてはいけないスカート”なので問題ない……という意味も込められている。

……なんともややこしい和宏のこだわりだ。


だが、いくら和宏が女の子っぽい服装を避けようとも、この七分丈パンツやTシャツから伸びる白くてほっそりとした手足や、今や“りん”のトレードマークでもある美しい漆黒の髪の毛が束ねられたポニーテールから醸し出される女性的な魅力は隠しようがない。


玄関を出る直前……備え付けの姿見の前に立つ“りん”。


(これでヨシっ……と)


全身を、ひととおりチェックして、おかしなところはないことを確認する。


もともと、玄関を出る前に全身チェックをする……などという習慣がなかった和宏。

本当の“和宏”の家は、父親と二人きりということもあり、玄関に姿見などなかったので、そんな習慣などつきようもなかったのだ。


しかし、今はこうして鏡で全身をチェックしている。

妙な習慣が身についたものだ……そう考えると、もはや苦笑するほかない。


玄関のドアを開け放つと、先ほどよりも強くなった日差しが“りん”を突き刺す。

強い太陽光に目を細めながら、“りん”は、のんちゃん堂目指して歩き始めた。



―――TO BE CONTINUED

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