表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺、りん  作者: じぇにゅいん
第二部
75/177

第73話 『First Love (11)』

(……はぁ……)


これで何度目のため息だろう?

そんなことを思いながら、彩は頬杖をついて窓の外を眺めていた。

伏せ気味の長いまつ毛は、不安に押しつぶされそうな憂いの表情をより一層引き立てる。


15時まであとわずかだ。

その時間になれば新幹線が動き出し、彩は否応なく見知らぬ地へ運ばれていくことになる。


二人掛けの指定席の窓側に彩、通路側に彩の母親が座り、その一つ前の座席に彩の父親……という座席配置。

ただし、時折、彩の耳に入ってくるかすかなイビキが示すとおり、父は早くも熟睡しており、母は母で真剣な表情で文庫本を読みふけっていた。


(……はぁ……)


何度でも出てくるため息は、その都度憂鬱な気持ちを増幅させていく。

しかし、ホームを忙しげに動き回る人々は、そんな彩の気持ちなどお構いなしだ。

まるで自分だけが別世界にいるような……そんな錯覚すら呼び起こさせる光景。


だが、突如視界に飛び込んできた、見慣れたえんじ色のセーラー服を着た女の子の姿が、彩を現実に引き戻した。

ホームを必死に駆けていくその姿に、ハッと息を呑む。


(えっ!)


彩は、反射的に立ち上がった。

となりで本を読んでいた母親が、ビックリした顔で彩を見ている。


「どうしたの? 彩?」


「……今、お友だちを見かけたから……ちょっと会って来る!」


「ちょっと彩! もうすぐ発車するわよ!」


彩は、返事をせずに、車内通路を駆け出していた。


えんじ色のセーラー服と、もう一つの特徴。

風にたなびく長いポニーテール。


きっとりんちゃんに違いない……そう思いながら、彩はホームに降り立ち“りん”を探す。

走って遠ざかっていく“りん”の後姿を見つけ、思わず大声を上げた。


「りんちゃん!」


(……っ! 彩ちゃん!)


声に気付き、振り返ると、彩が大きく手を振っている。

“りん”は、いつの間にか彩の乗っていた車両を通り過ぎていたのだ。


(もう乗ってたのかっ!)


これから新幹線に乗ろうとしている人ばかりを見て、彩を探していた“りん”は意表を突かれた。

とはいえ、すでに発車を目前に控えて停車中なのだから、もう乗り込んでいたとしてもなんら不思議はない。


大慌てで引き返し、彩の目の前まで戻った“りん”の額には、ここまで走ってきた証の汗が滲んでいた。


「はぁ……はぁ。あ、彩ちゃん……」


言葉を紡ぐことすらままならない。

車を降りてからここまで、ずっと全力疾走だったのだから、むしろ当然であろう。


「ど、どうしたの? りんちゃん。こんなところまで……」


“りん”は、すでにA組のみんなと一緒に見送りを済ませている。

それなのに、再びここに現れたのだから、彩が疑問がるのは当たり前だった。


「……どうしても……渡したいものがあってさ……」


「……渡したいもの?」


“りん”は、スカートのポケットから、ごそごそとソレを取り出し、手の平に乗せて彩の前に差し出す。


「野球の……ボール?」


彩は、そのボールを手に取ってマジマジと眺めた。

だが、何の変哲もない、薄汚れた軟式のA球にしか見えない。


「この間の球技大会の時のウィニングボールだよ」


あの球技大会で、E組との試合の最後のバッターを三振に打ち取った時のボールである。


ウィニングボールとは、その試合の最後を飾ったボールのこと。

球技大会終了後に、大村が「記念に」と“りん”にプレゼントしてくれたのだ。


以来、和宏は、楽しかった球技大会の思い出として、部屋に飾っていたが、今回はそれを持ち出してきた……というわけだ。


「でも……そんな大切なもの……」


「はは……。確かにあの試合はすごく楽しくて印象深かったし、そのウィニングボールだから記念は記念なんだけど……」


「……けど?」


「大切なものだからこそ……彩ちゃんに持っててほしいとも思うんだ」


「……っ」


“大切なものだからこそ”。

それは、“りん”の彩に対する気持ちの現れと言っても良い。


遊園地で遊んだあの日、彩は“りん”に迷惑がられたと誤解したままだったはずだ。

その誤解を解くために……それは違うんだという気持ちを伝えるために……和宏は、大切な何かを贈りたかった。

それが、世界で“りん”しか持っていないモノ……このウィニングボールだったのだ。


だが、彩の表情は驚いたまま……固まってしまったかのように動かない。

やはり、こんなボールなんかじゃダメだったか……という不安が湧き上がると同時に、心臓がドキドキと鼓動を激しくする。


「気に……入らないかな?」


不安げな表情を浮かべた“りん”に、彩は大げさなほどのかぶりを振った。


「……ううん。そんなことないの。ただ……本当に私なんかもらっちゃっていいのかなって……」


「も、もちろん!」


“りん”は、安堵の表情とともに、グーにした右手の親指を立ててみせた。

そんな“りん”を見て、ようやく彩は嬉しそうな表情を浮かべた。


「……ありがとう。りんちゃん……」


このボールを、彩が受け取ってくれるかどうか。

そして、このボールを貰って、喜んでくれるかどうかは、和宏にとってもちょっとした賭けだった。

だが、少なくとも困った様子は感じられない。

家までボールを取りに戻った甲斐があった……と、“りん”は胸を撫で下ろした。


気まずい雰囲気で遊園地を後にしたあの日から、お互い残ったままだったわだかまり。

しかし、今ではもうスッキリと消えてなくなったかのように……空気が軽い。


間もなく発車時刻である15時。

発車を知らせる電子ベルがけたたましく鳴り、彩は慌てて乗車口に乗り込んだ。

電子ベルが鳴り止むと、後はドアが閉まるのを待つだけ。

わずかな時間ではあるが……奇妙な静けさが二人を包む。


「本当に……本当にこのボール、りんちゃんだと思って大切にするから」


彩は、“りん”に貰ったボールを、大事そうに両手で包み込んだ。

きっと一生大切にしてくれるだろう……そう確信させるほど大事そうにボールを胸元で抱え込みながら、だ。

そんないじらしい彩の姿に、“りん”は優しく笑いかけた。


「はは……。じゃあ……向こうに行っても、もう一人なんかじゃないね」


「……?」


一瞬……キョトンとする彩。

しかし、“りん”は彩の手に握られたボールを指差しながら……イタズラっぽく笑った。


―――“俺”がついてるから




異国の地で一人きりになるのが心細いと言った彩。

しかし、“りん”の台詞が雄弁に語る。


このボールを持っている限り……いつも“りん”がそばにいる。

どこに行ったとしても、決して一人なんかじゃないんだ……と。


その想いは確かに彩の心まで届き……彩の顔を満面の笑みに染めていく。

キラキラと輝くようなその笑顔は、今まで彩が見せたどんな笑顔よりも眩しかった。


「……やっぱりりんちゃんが“俺”って言うと……カッコいいよ」


面と向かって「カッコいい」と言われた“りん”の顔が、ボッと燃えたように真っ赤になった。

よく考えたら、調子に乗って恥ずかしい台詞を吐いてしまったぞ……そう思うと、ただでさえ真っ赤な顔がますます赤く染まっていく。

湯気を立てそうなほど真っ赤になった“りん”の顔を見て、また笑う彩の瞳に……不意に涙が溢れる。


「……本当にカッコいいよ……りんちゃんは……」


そして……二人を遮るようにドアが閉まった。

ドアのガラスの向こう側に行ってしまった彩の瞳は、まだ濡れたまま。

しかし、静かに、ゆっくりと動き始めた新幹線は、警笛とともに彩を連れ去っていく。


それを追いかけるように“りん”は走る。


彩の視界に入り続けるために。

彩に最後の声援を贈るために。


「彩ちゃんっ! 頑張れっ!」


“りん”は、走りながら、何度も何度も彩に手を振った。

彩もまた、ドアの向こうで“りん”に手を振るが、加速し続ける新幹線は、あっという間に“りん”を置いてきぼりにして、轟音とともに遠ざかっていく。


遠ざかる一方の新幹線を追いかけ、ホームの端まで辿り着いた“りん”は、ついに立ち止まり、天を仰いだ。


肩で息を弾ませながら感じる全身の疲労感が、今は何故か心地良い。

おそらく、全てをやり尽くした充実感があるからだろう。


火照った頬とまだ汗の滲む額を、夏風が優しく撫でては通り過ぎていく。

彩を乗せた新幹線の赤いテールランプは、もう遥かかなただ。

だが、“りん”は、いつまでもそれを見つめ続けた。



―――TO BE CONTINUED

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ