第68話 『First Love (6)』
夕暮れの遊園地は、なぜか物悲しい。
楽しかった一日が終わろうとしていることを、視覚的に実感してしまうからだろう。
一緒にアイスを食べたり、ホラーハウスに入ったり、ボートに乗ったり……実によく楽しんだ二人。
まるで本当のデートのように。
園の出口に向かって歩く人波に乗ろうかという直前、彩が“りん”の腕を引っ張った。
「ね、最後にあれに乗ろうよ……りんちゃん!」
スペースランド名物巨大観覧車“コロナ”である。
一周するのに15分かかるというから、その巨大さは相当なものだ。
その巨大な観覧車を見上げる“りん”のシャツのソデを、彩は西の空を指差しながら引っ張った。
「見て。夕焼けがすごくキレイ。きっと一番高いところから見たら絶景だよ……」
彩の指差す先には、確かにめったにお目にかかれないほどの美しい夕焼け空があった。
この観覧車の頂上から見るそれは、どれだけ美しいであろうか……想像がつかない。
搭乗口に辿り着くと、タイミングが良かったのか、ほとんど待ち時間ナシで搭乗の順番が回ってきた。
“りん”と彩が向かい合って座り、係員が扉を閉めると、ゴンドラがゆっくりと高さを増していく。
窓の外を眺めながら、だんだんと小さくなっていく地表の建物を、ただ黙って見つめる彩の横顔に、寂しげなものが混じっていることを“りん”は見逃さなかった。
なぜ、今日はこんなに強引に誘ったんだろう?
なぜ、腕を組んだんだろう?
そして何より……なぜ“俺”なんだろう?
だが、それを聞くよりも先に、彩の方が言葉を発した。
「今日は……ほんとにありがとう、りんちゃん」
「……ん、いや……こ、こっちこそ楽しかったよ」
彩に機先を制されて、ちょっと口ごもる“りん”。
クスクスと笑いながら、彩は“りん”の顔を見つめる。
「……やっぱり優しいね、りんちゃんは」
「?」
「すごいんだよ……りんちゃんは。野球が上手で……。舞を元気にしてくれて……。私に出来ないことが何でも出来ちゃうスーパーマンなんだから」
あ、スーパーマンじゃなくてスーパーウーマンだよね……と言い直して、彩は笑った。
和宏は、褒めすぎだろ……と思ったが、決して冗談で言っているわけではなさそうだ。
「だからね……私、りんちゃんに強さを分けてほしくて……」
「……強さ?」
「りんちゃんは強いから。……羨ましいくらい」
“りん”は、少し驚きを持って、彩の顔を見返す。
彩が、“りん”に対して、『羨ましい』という感情を持っていることが意外だったからだ。
むしろ、和宏の方が勉強の出来る彩が羨ましい……と思うことすらあるというのに。
「……りんちゃん。笑わずに……聞いてくれる?」
「……う、うん……」
ちょっと居住まいを直した彩は“りん”を見据え、“りん”は彩の瞳に魅入られたように頷いた。
「……私ね……ホントに引っ込み思案なの。自分で自分がイヤになるくらい……」
確かに、彩の引っ込み思案なトコロについては、誰もが認めているところだ。
“りん”だって、彩が積極的に誰かに話しかけるところなど、ほとんど見たことがなかった。
「でも、りんちゃんみたいなスゴイ娘と仲良くなれたら……そうしたら、私も変われるかなって……」
……スゴイ娘?
改めて“りん”は目を丸くする。
何か性質の悪いフィルタによって、“りん”をあまりに美化しすぎているのではないだろうか。
俺はそんなに特別なことをしてきたわけではない……それが和宏の偽らざる気持ちである。
だが、彩から見た“りん”は違うようだ。
男子たちに交じって奮闘した球技大会。
力技ながら、親友である高木舞の心を開いてみせたこと。
彩が絶対出来ないことを難なくやり遂げた……そんな“りん”は、彩にとってあまりにも眩しかった。
「そうすれば、きっと……一人でもやっていけるんじゃないかって思ったの……」
「……一人?」
“りん”は、彩の違和感ある台詞に、ひょいと首を傾げた。
その仕草がおかしかったのか、彩は軽く笑って……目を伏せた。
「私……アメリカに行くの」
「……アメリ……カ?」
(アメリカって……旅行に行くとかじゃないよな……7泊8日くらいで)
そんなバカな考えが、一瞬だけ和宏の頭をよぎる。
無論、そんなハズはない。
「お父さんがニューヨークに転勤することになってね……いつ日本に戻れるかわからないから、家族みんなで移住することになったの」
「……い、いつ?」
「終業式の日……」
一学期の終業式といえば、もう来週である。
あまりに唐突な話に、口の中がカラカラに乾いて、うまく言葉が出てこない。
「でもね……私、不安でしょうがない……。誰も友達のいない外国で……一人でやっていく自信なんか……」
彩ちゃんなら大丈夫だよ……と、無責任な台詞でお茶を濁すのは容易い。
それで、この場は、なんとなく丸く収まるだろう。
だが、そんな一言で済ましていいはずがない……と和宏は思う。
彩の纏う真剣な雰囲気がそう言っている。
目に涙が浮かんでいることに気付いた彩は、「ゴメン……」といいながらハンカチで目元を拭った。
(……!)
その彩の姿が、異様なほどオレンジ色を帯びていることに和宏は気付いた。
おそらく、彩もまたゴンドラの中に差し込むオレンジ色に気付いたのだろう。
二人が、そのオレンジ色の源である方角を見やったのと、ゴンドラが天辺の最頂部に達したのは、ほぼ同時だった。
「スゴイ……!」
ゴンドラの窓から見た西の空。
鮮やかなオレンジ色の光を放つ夕陽に、彩が思わず感嘆の声を上げる。
オレンジ一色に染め上げられた眼下の街並みが、とてつもなく雄大だった。
そして、“りん”の目の前に座る彩の顔もまた、夕陽に照らされて……オレンジ色に染まっていた。
美しい夕陽を、嬉しそうな笑みを浮かべながら眺める彩の横顔。
その笑顔に……やはり大野美羽の面影がダブる。
今日、これで何度目だろうか。
彩の笑顔に、大野美羽の面影を重ねてしまったのは。
彼女のことを思い出すたびに、切ない思いが胸を刺す。
胸がキリキリと締め付けられるかのように……“りん”の表情が曇る。
「見て! すごくキレイだね……りんちゃ……っ!」
彩の視線が、窓の外から“りん”に向いた瞬間だった。
“りん”のその表情に、オレンジ色に染まった彩の顔から笑みが消え、和宏がそのことに気付いた時には……もう遅かった。
「……やっぱり……迷惑だった……?」
物憂げな“りん”の表情の意味を……彩はそう受け取った。
悲しみを隠すように、力ない笑みを浮かべながら。
「……違うよっ! 迷惑なんてそんな……」
「でも……りんちゃん、なんだか辛そうな顔してる……」
「……そ、それは……!」
“りん”は、思わず口ごもってしまった。
そんな“りん”を見て、彩は和宏の心の中を見透かしたように笑う。
「……それに、今日……何回もそんな顔してたし……」
「……っ」
見られていた……!
痛恨の思いが頭の中を駆け巡ると同時に、“りん”は言葉を失ってしまった。
『彩ちゃんの笑顔が、俺の初恋の相手の大野美羽の笑顔にそっくりだったから』
そんな説明など、出来るはずもないからだ。
だが、事情を知らない彩は、“りん”を見つめながら……精一杯の笑みを浮かべた。
「……えへへ。やっぱり……私の虫が良すぎたんだよね」
「……?」
「……りんちゃんと仲良くなれたら……私だってりんちゃんみたいなすごい人と仲良くなれるんだって……自分に自信がつくような気がしたの。そうしたら、きっと向こうに行ってもうまくやれるかも……なんて。私自身のことなのに、ムリヤリりんちゃんを頼っちゃった……」
笑いながらも……彩の細い両肩が、かすかに震えていた。
そして、両手は、ひざの上でギュッと握られたままだ。
「でも、そんなの……りんちゃんだって迷惑だよね……」
ジェットコースターに乗って……、コーヒーカップに乗って……。
そんな楽しかったはずの一日は、もうどこかに行ってしまったかのようだ。
「……ごめんね。りんちゃん……」
彩は、消え入りそうな声で呟くと、もう俯いたまま動かなかった。
そして、“りん”は何も言えずに……ただ下唇をかみ締める。
(……『りんちゃんは強いから』だって? 何が“強い”ってんだ? 美羽のことをいつまでも引きずって吹っ切れないでいるだけじゃねぇか……!)
いつも楽観的な和宏にしては珍しく頭の中を激しい自己嫌悪が埋め尽くしていく。
そして、俯いたままの彩を見て思った。
このままじゃいけない。
何か言葉をかけてあげなくちゃいけない。
そうわかっているのに、動揺しているせいで、かけるべき言葉が全く思いつかない。
黙り込んだ二人の織り成す、重く気まずい雰囲気。
そんな空気が充満するゴンドラが、ようやく一周を回り終え、元の場所に戻ってきた。
ゴンドラを降りた二人は、無言のまま。
帰りの人波に乗り、遊園地の外に出るまで……一言もしゃべることが出来なかった。
―――TO BE CONTINUED