第60話 『Song! Song! Song! (1)』
間もなく7月を迎えようとしている。
夏本番が近づいてきた。
その証拠に、空の青色が、日一日と色濃くなっていく。
6月から始まった衣替えも、ここにきて、ようやく全生徒が夏服を着用するようになった。
男子は何の変哲もない白のワイシャツ、女子はエリやソデにえんじ色のワンポイントを配した白のサマーセーラーだ。
そんなある日、A組の教室の昼休み。
“りん”と沙紀と東子……いつものにぎやかトリオが、あるゲームに興じていた。
それぞれが、パーにした右手を、甲を上にして差し出す。
一番下にある右手が東子。
真ん中が沙紀。
そして、一番上が“りん”。
3人とも、一言も発することなく固唾を呑む。
次の瞬間、一番下の東子の右手がピクリと動き、一番上の“りん”の右手をひっぱたくために唸りを上げたが……“りん”と沙紀の右手は、サッと引っ込められ、唸りを上げたはずの東子の右手がスカッと空を切った。
「東子遅いっ!」
「やる気あるワケ?」
“りん”と沙紀のダメ出し。
東子は、地団太を踏んで悔しがっていた。
「ふみゅー! アタシが遅いんじゃないもんっ! りんと沙紀が早すぎるんだもんっ!」
「わかったわかった……じゃあ、東子は真ん中でいいよ」
複数人数の右手を縦一直線に並べ、一番下の者がそれらの手を力の限り引っ叩く……というゲーム。
縦に並んだ手のうち、一番上の手が一番最初に狙われることになるため危険度が高く、一番下に近ければ近いほどタイムラグが生じる分、避けるのが容易くなるという仕組みだ。
実は、さっきから東子は、沙紀と“りん”に引っ叩かれてばかりだったので、ハンデ代わりに真ん中のポジションを譲り、“りん”の右手は、再び一番上に陣取ることになった。
次の順番は、上からりん、東子、沙紀。
3人がスタンバイした瞬間から、沙紀の右手が殺気を放ち始める。
手を引っ込め遅れれば、確実に沙紀のエジキになる……“りん”は、沙紀の右手の動きに、神経を集中させた。
そして、沙紀の右手が、これ以上ないほどの俊敏な動きで襲い掛かる。
“りん”は、驚異的な反射神経で、コレをギリギリ回避することに成功した……が、同時に「バチンッ!」という音と、東子の悲鳴が響いた。
「~~~っ!!!」
一番上の“りん”よりも、避けやすいはずの東子の右手が、沙紀の平手をまともに喰らってしまった。
見事な反応を見せた“りん”の右手とは対照的に、ピクリとも動くことの出来なかった東子の右手。
もはや、“りん”も沙紀も、苦笑いしか出てこなかった。
「……違うもん。りんと沙紀がバケモノじみてるだけだもん……」
その痛さに涙目になりながら、東子が搾り出したのは、精一杯の負け惜しみと悪態だ。
「あ~あ、わかったわかった」
“りん”と沙紀は、生温かい目で、東子の肩を優しくポンポンと叩いた。
バカにされている……と思ったのか、東子は、「ふみゅー……」と言いながら、口を尖らせていく。
そんなばかばかしい……イヤ、平穏な昼休みが終わろうとする頃、“りん”の背後から、おばさんくさいダミ声が聞こえた。
「ちょっといい?」
振り返ると……妙な存在感をアピールする、ちょっと横に広いおばさん体型。
ソフトボール同好会会長の上野だ。
「祝勝会のお誘いだよ」
「え? 祝勝会?」
「そう。こないだの球技大会の。ちょっと遅くなったけどね。親戚からカラオケボックスのタダ券を山ほどもらったからさ……この際ね」
上野は、そう言いながら、胸ポケットからタダ券の束を取り出した。
「へぇ~、すごいじゃない! ちょっと見せてよ」
一緒に話を聞いていた沙紀が、目を輝かせている。
何を確認しているのかは定かではないが、その束をペラペラ~ッとめくっていた。
「『エブリバディ・エコー』って、最近よく見かけるチェーン店よね。よくこんなに手に入ったわね」
「そういえば、2ヶ月くらい前、駅前に新規オープンしてたよねっ! オープン記念用のタダ券とかじゃないっ?」
東子は東子で、ニコニコ顔で、妙に情報通なところを見せ付ける。
現金なもので、さっきまでの不機嫌さは、もうどこかに行ってしまったようだ。
「ウチの親戚がさ、『エブリバディ・エコー』の地域ブロックの支社長みたいなことしてるらしくてさ……それでもらえたんだよね……どう? 行く?」
「う~ん……」
もちろん、カラオケがキライというわけではない。
ただ、男性ボーカルのロックばかり聞いている和宏に、果たして歌える曲があるのかどうか……だ。
“りん”の声で、男の歌を歌うのはムリがあるし、かといって、女性ボーカルの歌なんて、歌ったこともない。
“りん”は、腕組みをして考え込んでしまった。
「みんなも行くの?」
東子の問いに、上野が親指を立てて答える。
「もちろん! 女子は高木さんを除いて全員! 男子は……野球メンバーはみんな来るよ」
上野は、満面の笑みで答える。
さすがは、姉御……根回しが素早い。
誰もがそう思った。
「あとは……りんが来てくれれば万事OK!」
「は? ナニソレ?」
上野の気になる台詞に、“りん”は首を傾げる。
「……野球メンバーはさ……りんが来るなら行くってヤツが多くてさ……」
(……はぃ?)
“りん”が、目を白黒させると、上野は、バツの悪そうな苦笑いを浮かべながら頭をかいた。
沙紀と東子はというと、くくく……と笑いを堪えきれずにいる。
「なんていうか……りんはアイドルみたいなもんだからさ……ま、強制参加ということで♪」
上野の両手が、“りん”の両肩にガッシリと添えられる。
まるで、「オマエとオレの仲じゃないか」……とでも言わんばかりに。
有無を言わせぬ迫力を伴った満面の笑みを浮かべる上野に、“りん”は一言も発せなかった。
「じゃ、よろしく~♪」
上野は、それだけ言うと、右手を挙げて去っていく。
そして、振り返りながら、最後の伝達を忘れない。
「明日の6時……現地集合ね~♪」
「おっけぃ!」
「りょ~かいっ♪」
「……」
まだ話が終わっていないはずなのに、終わってしまったのは何故だろう?
呆然とする“りん”に、沙紀と東子が追い討ちをかける。
「ま、楽しくやりましょ……りん」
「そうそう。ちょっと人身御供にされたからって落ち込んじゃダメだよっ?」
(……泣きたくなるわっ!)
あの姉御に一杯喰わされた気分だったが、別に行くのがイヤというわけではないので……と、気を取り直す。
飲んで歌って騒いで、ということなら、あえて歌わなくても構わないだろうし、その場の雰囲気を楽しめばいいのだ。
ただ……一つだけ、上野の言ったコトが気になっていた。
参加メンバーは、『女子は高木さんを除いて全員!』。
確かに、高木さんは、一人だけサッカーメンバーだったし、球技大会当日も参加しなかったが、だからといって、女子はみんな来るのに、高木さんだけ来ないというのは違和感があった。
(……仲間ハズレ……とかじゃないよな……?)