第59話 『笑顔の行方 (2)』
3人がプールサイドに到着する頃には、すでにクラスの全員が集合していた。
「ほらぁ……。りんがモタモタしてるからよ……」
沙紀が小声で“りん”を咎める。
だってしょうがないじゃん……という思いはもちろんあるのだが、とりあえず“りん”は「ゴメン……」と素直に謝った。
沙紀にしろ東子にしろ、早くに着替え終わっていたのに、“りん”に付き合ってくれたのは事実だからだ。
3人は、目立たぬように、こっそりと女子の列に混じることに成功した。
とりあえず人ごみの中に紛れた安心感で胸を撫で下ろしたものの、女子の人数が妙に少ない。
いつも体育はお休みの高木さんを始め、他にも数人が見学に回ったためである。
(……うぉお! そうかっ! 見学すりゃよかったんじゃんっ!)
“りん”は、今さらながら……気付いた。
別に、こんな恥ずかしい思いをしなくても良かったのだ。
体の具合が悪いとか、最悪の場合は“生理で……”とでも言えば、どうにでもなった話。
だが、今となっては……もう遅い。
“りん”は、深い深いため息をついた。
仕方なしに、プールの水面を眺める。
鳳鳴高校のプールはさして深くないようなので、カナヅチの“りん”でも水遊びくらいなら可能なはずだ。
そう思い直していると、対面のプールサイドにわいわいガヤガヤしている男子の何人かと目が合ってしまった。
(……!?)
それに気付くと同時に、彼らは慌てて目をそらす。
おそらく、こっちを見ていたのだろう……と、和宏は思い当たった。
和宏も、本来は思春期の健康的な男子である。
プールの時に、女子の水着姿をチラチラ見るくらいのことはしたことがあったので、あの男子たちの気持ちはよくわかる……が、見られる方になると話が違う。
水着姿でいることで、すでに恥ずかしい思いをしているというのに、それを凝視された日には恥ずかしいなんてもんじゃない。
もう一度、チラリと男子の方を見ると、今度は大村と目が合った。
(……!)
なぜか、恥ずかしさが倍増したような感覚に戸惑う“りん”だが、当の大村は、すぐ恥ずかしそうに俯いてしまっていた。
(あうう……恥ずかしいのはコッチなんだけどな……)
“りん”は、顔を赤くして下を向いた。
やがて、体育教師の“山本浩志”が現れ、男子の方の授業が先に始まった。
準備体操……男子のオクターブの低い声の掛け声が、プールサイドに静かに響く。
一方、女子の方はというと、体育教師の袴田が担当のはずだが、まだ現れない。
どうしたんだろう? ……という声が女子たちから聞こえ始めた時、なぜか保健室のよしこ先生がプールサイドに現れた。
「は~い、みなさん! 袴田先生は急用で来れなくなったので、授業は中止ですよ!」
「え~!?」という女子の不満げな声が一斉にあがる。
よしこ先生は、「予想どおり」という笑みとともに頷いた。
「じゃあ、準備体操をしてね。後は自由時間でいいわよ」
よしこ先生の神の声に、不満げな声が一転、歓声に変わる。
みな、めいめいに準備体操を済ませて泳ぎ始める中、“カナヅチ”の“りん”は、なかなか水の中に入れずにいた。
このまま入らずにやりすごそうか……そんな邪な考えが頭に浮かんだ途端に、当たり前のように沙紀と東子に見つかってしまった。
「さ、泳ぐわよ……りん」
「ちょ……ムリ。泳げないし。カナヅチだし」
「大丈夫~♪ それは知ってるから~♪」
(……なにが大丈夫なんだ?)
そんな“りん”の疑問をもろともせず、沙紀と東子が“りん”を両脇から抱えるようにしてプールギリギリまで連れ出す。
「いい、りん? 人間の身体ってのは水に浮かぶように出来ているのよ?」
絶対にそれは迷信だ……和宏は思う。
もちろんそんなことはないのだが、沙紀の口から聞くと、この上なく胡散臭く感じるし、なにより沙紀も東子も妙にニコニコしているのが怪しい。
沙紀と東子の、“りん”の両腕を掴む力がさらにこもった。
“ある意思”が込められていることに気付いた“りん”の身体が硬直する。
(プールに突き落とす気だ……!)
和宏は、そう確信した。
沙紀が不敵にニヤリと笑う。
「獅子は、かわいい我が子を千尋の谷に突き落とすっていうしね」
(獅子じゃねーしっ! お前の子でもねーしっ!)
……ちなみに言うなら、ここは千尋の谷でもない。
「大丈夫……あなたなら出来るわ」
いつぞやの妙に上手なセイラさんのモノマネ(第5話参照)を、脈略もなく披露する東子。
しかし、その言葉に何の根拠もないのは明らかだ。
「行くわよっ!」
「せーのっ!」
こういうことばかりは異常に息がピッタリの沙紀と東子が、“りん”の両腕をプールの方向に思いっきり引っ張った。
次の瞬間……“りん”の身体は空を翔んだ。
「おわっ!」
なぜか長く感じる滞空時間。
空中に浮いている“りん”は、両腕に残る感触を不思議に思いながら……左右を見やる。
右隣には、イタズラっぽく笑う沙紀が“りん”の右腕を抱えるように。
左隣には、同じくイタズラっぽく笑う東子が“りん”の左腕を抱えるように。
そんな二人と、空中で目が合った。
空を翔んでいるのは、“りん”だけでなく、沙紀と東子も……。
「……一緒かっ!」
3人の入水と同時に、ものすごい水しぶきがあがる。
そして、真っ先に水中から顔を出した東子が、楽しそうに声を張り上げた。
「あははっ♪ 今の『一緒かっ!』はナイスツッコミ〜♪」
続いて、顔を出した沙紀が、水中から“りん”を引っ張りあげる。
「さぁさぁ! 特訓開始よっ! りん!」
この青空の下、プールに響き渡るみんなの笑い声。
飛び散る水しぶきに、太陽の光が反射してキラキラ光る。
水の中でガボガボともがきながらも、「これはこれで悪くないな……」と、和宏は思った。
そんな“りん”たちの様子を眺める生徒が一人……。
教室棟の二階……2年E組の教室。
自習のため、少々ざわついた雰囲気の中、窓際の席ののどかが、窓の外のプール……“りん”たちの様子を眺めていた。
(……相変わらず楽しそうだなぁ)
シャーペンを持った右手で頬杖をつきながら、クスクス笑う。
プールで無邪気にはしゃぐ“りん”たちが、のどかにとっては無性に微笑ましく、眩しく感じられたからだ。
ちょうどその時、どこからともなくデジカメのシャッター音が聞こえた。
怪訝に思ったのどかが周りを見渡すと、いつも騒がしい男子グループ辺りからのようだ。
その中心人物の山崎が、授業時間中にもかかわらず、デジカメを手に持って騒ぎ立てている。
記念に……などと言いながら、あたり構わずシャッターを切りまくる山崎の姿に、笑う者あり、嫌がって顔を隠す者ありだ。
(ヤレヤレ……。何やってんだか……)
のどかは、苦笑いしながら、余所見をやめて教科書に目を落とした。
この時撮られた写真は、まさに偶然の産物。
ところが、この写真が後日、あるきっかけにより表舞台に登場してくることになる。
ただし、それはまだ先の話だ……。
≪オマケ ~緊急座談会 その9~≫
沙紀「ねぇ……普通は高校じゃ水泳の授業ってないんじゃない?」
作者「ほえっ!」
沙紀「大体、思春期の男女が水着で授業って……ありえないでしょ?」
作者「……う~ん。言われてみれば……確かに」
沙紀「……でしょ?」
作者「でも、わたしの高校ではあったような……イヤ、中学校の時のコトと勘違いしてるのかな?」
沙紀「かな? ……って私に言われても困るわよ」
作者「まぁいいじゃないですか。読者さんからは特にそんなご指摘もないことだし……わはは♪」
沙紀「いいのかなぁ……('')」
以上、高校時代は遥か昔……の作者が、いつもどおりちゃらんぽらんなところを見せ付けて終わる。