第57話 『始まりの場所 (2)』
持ち球は12球。
9枚全てを打ち抜くには、ミスは3回しか許されない。
当たった場所によっては1球で2枚打ち抜くことも可能だが、さすがにそれは狙ってやるのは、まず不可能だ。
残るパネルは2番と9番。
そして、残り2球。
1枚打ち抜くたびにギャーギャー騒いでいた女の子は、すでに固唾を呑んで見守っていた。
球数を重ねて身体がこなれてきたのか、“りん”のピッチングフォームがより流麗になっていく。
バンッ!
ついに2番を打ち抜いた。
あとは、残り1球で9番を残すのみだ。
和宏は、このストライク9を失敗するプロ野球選手をテレビで見て、「自分ならクリアできるのに」といつも思っていた。
あの小さいホームベースを相手に投げているのだから、それよりも大きいパネルなど楽勝のはずだった。
だが、やってみると、これが意外に難しい。
パネルの合計面積は、ストライクゾーンよりも広いが、それが9分割されているため、相当なコントロールが要求されること。
そして、9枚全てを打ち抜くまで、試合中並みの強靭な集中力が必要となること。
どうりでプロでも失敗するわけである。
だが、和宏の目の前にあるパネルは、残りあと1枚。
9番のパネルは、右バッターの内角低めにあたる。
そこは、あの山崎の苦手コース。
バッターボックスに立つ山崎と、ミットを構える大村をイメージしつつ、“りん”は、球技大会で対峙した時のように、内角低めの9番を狙いすました。
しかし、リリースの直前、この間の山崎の台詞が頭の中に響いた。
『萱坂って、意外と男っぽいしゃべり方すんのな』
集中力を乱した“りん”の負けだった。
ボールは、9番のわずか下にはずれ、奥の壁に当たって跳ね返った。
(~~~っ! 集中力が足りんっ!)
“りん”は、思わず天を仰ぐ。
邪魔しやがって~……と、山崎に対する八つ当たりとしか思えない台詞が、ノドまで出かかった。
「でも、すごいよ! あたしにもアンダースロー教えてっ!」
(……はぃっ!?)
「カーブはっ? カーブ投げれるっ?」
さっきまでの小憎らしさはドコへやら。
子どもらしい目の輝きで、カーブのお披露目のおねだりである。
「いいよ……見てな」
軽く、ひょいと投げたボールがククッと左方向に曲がる。
和宏が、唯一ちゃんとマスターした変化球だ。
「スッゲェ! 次シュートッ! シュートは出来るっ?」
すでに、目の前の女の子の目の輝きが尋常ではない。
“りん”は、そのキラキラした目に苦笑しつつ、覚えたてのシュートを放る。
今度は、右方向に曲がったボールが壁に当たり、コーンッという甲高い音を奏でた。
「うわぁっ! 次……スライダーは? スライダーッ!」
(ス、スライダー……)
一体ドコまで要求されるのか……。
放っておいたら、シンカー、フォーク、ナックル、スプリットフィンガーファストボール……果てしなく続きそうである。
ただ、スライダーなら、投げ方だけは知っている。
練習をしたことのない球種ではあるが、試してみるなら良い機会だ。
(確か、中指をしっかり縫い目に当てて……だったかな?)
“りん”は、ブツブツ呟きながら、大きく振りかぶる。
そして、アンダースローの一連の動作からリリースの瞬間……中指からボールを切るように。
“りん”の放った、スライダーのつもりで投げたボール。
それは、横滑りするように変化した。
予想したよりも、遥かに大きいスライド幅で。
(……っ!!)
ストライク9のパネルの外枠に当たって、ひっくり返り、ガタンと大きな音を発する。
女の子は、思わず肩をすくめたが、“りん”は、その大きな音よりも、予想以上に変化したスライダーに驚いていた。
スライダーは、手首の使い方でさまざまな変化を見せる球種である。
“りん”の手首の柔らかさとバネの強さ。
和宏は、興奮気味に呟いた。
(コントロールはまだまだだけど、コレをマスターすれば……っ!!)
「どうしたの? お姉ちゃん? ポカンとして……?」
女の子の台詞で我に返る。
それでも、高揚した気持ちは変わらない。
「……あのさ……キミ、名前なんて言うの?」
「ん……あたし? 小松原夏美」
「それじゃ夏美ちゃん……アンダースロー教えてあげるからさ、この場所、俺も使っていいかな?」
夏美は、一瞬だけ目をパチクリさせ、次の瞬間には眩しいほどに目を輝かせていた。
「ホントにっ!? アンダースロー教えてくれるのっ!? やった~!!」
あまりの嬉しさに、バンザイしながらピョンピョン飛び跳ねる夏美。
誰が見ても微笑ましくなる姿だが、ちゃんとわかってくれているのか……“りん”は少しだけ不安になった。
「あの……だから、使ってもいいよね? この場所……」
だが……杞憂。
夏美は、相変わらずピョンピョン飛び跳ねながら、「もっちろ~ん♪」と答えてくれた。
その返事に、“りん”もまた両手を上げて喜びを表現する。
誰にも気兼ねすることなく、思う存分投げられる場所。
これで、好きなだけ投げられる……そう思うと、“りん”の方こそピョンピョン飛び跳ねたい気分だ。
“りん”が女である以上、甲子園には決してつながらぬ道。
でも、その道に野球があれば、ほんの少しだけ幸せになれる。
今はただ、投げられるだけで嬉しい……和宏はそう思う。
“りん”は、夏美と一緒に目を輝かせた。
喧騒とは無縁の、閑静な住宅街の一角。
まるでグラウンドのように整地された不思議な空き地。
―――ここが、始まりの場所。
決してつながらぬはずだった甲子園への道が、この日を境に、数奇な形でつながり始める。
もちろん、そのことを今の和宏は知る由もない。
≪オマケ ~緊急座談会 その8~≫
りん「う~む。スライダーを会得して……結局俺の球種はこれで何種類なんだ?」
作者「整理してみましょうか? カーブ、シュート、スライダー……とりあえず三つですね」
りん「アンダースローだから、シンカーも覚えられそうだけどな」
作者「……まぁそうかもしれませんが、まずは今持っている球種をトコトン磨いてくださいよ」
りん「……確かに。だけど俺……もともと変化球投手じゃないんだけどな~」
作者「しょうがないでしょ。“りん”が速球投手になんてなれるわけないですし」
りん「そういや、“りん”はジョギング1キロで限界って……いくらなんでもありえなくね?」
作者「……ですね」
りん「……。イヤイヤイヤ。『ですね』じゃなくてっ!」
作者「書いてしまったものはしょうがないでしょう♪ 多少の設定のミスは気にしないでください(^^)」
りん(コイツ……マジか?)
以上、作者が開き直って終わる。