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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第一部(改訂中)
5/177

第4話 『沙紀と東子 (1)』 改訂版

「ぜぇ……ぜぇ……はぁ……はぁ……」


絶え絶えの息と異常に重い足取り。

老い先短い老婆のような動きの女子高生が、今にも校門をくぐろうとしている。

いうまでもなく萱坂りん……つまりは和宏だ。


これは、完全に和宏の計算違いが招いた悲劇であった。


自宅を出たのが午前八時ちょっと前。

学校までの距離は約一キロ。

そして、タイムリミットは八時十分。


A子さんが時間内に学校まで辿り着くには、時速何キロで走らなくてはいけないでしょうか?

まるで小学生のテストのような問題が出来上がりそうなシチュエーション。

和宏は、自身の経験から『走れば五分で到着する』という目算を立てていた。


(なのに……まさか十分もかかるとは)


校門まで辿り着いた時刻は、タイムリミットちょうどの八時十分。

計算違いも甚だしいところであった。


理由は、ひとえに“りんの体力不足”である。

毎日走りこみをしている“瀬乃江和宏”は、一キロ三分を切る自信があったが、念のため余裕を持って一キロ五分と見積もった。

ところが“りんの身体”は、五百メートルも走らないうちから限界の様相を見せ始め、学校に着く頃にはもう力尽きていた。


途中で何度もあきらめようとしたし、最後は、走っているというよりも、歩きと大して変わらないスピードだった。

それでも、最後まで走りとおしたのは、和宏の根性の賜物だった。

その代償は、決して安いものではなかったが。

吹き出る汗を拭う気力もなく、犬のようにベロを出しながら、和宏はそう思った。


結果、ギリギリで遅刻せずに済んだ和宏は、何とか時間内に教室に滑り込むことが出来た。

鳳鳴ほうめい高校の教室棟二階の一番はじっこ。

“二年A組”が、りんの教室である


(ぐく……。に、二年かよ……)


重い身体を引きずって辿り着いた教室前。

その出入り口に設置された“二年A組”というプレートを見て、和宏は納得のいかない思いに包まれていた。

“瀬乃江和宏”は、この春から“新三年生”だったからだ。

しかも、数え切れないほどの追試や補習を受けさせられた挙句、やっとのことで進級にこぎつけたのだ。

『このままでは進級させんぞ』という悪魔のような教師たちの脅し文句を乗り越えた……そんな辛い経験が、今カンペキにリセットされてしまっている。

納得しろ……というのがムリな話だった。


教室の中は、いつもどおりの喧騒に満ちていた。

すでに、ほぼクラスメイト全員が登校してきており、八時二十分から始まる朝のホームルームまでの時間、めいめいがおしゃべりを楽しんでいる。

クラスの人数三十三人のうち、女子の人数はちょうど三割に当たる十一人。

当然のことながら、教室の中は女子のセーラー服のえんじ色よりも男子の学生服の黒の方が圧倒的に多かった。


「オハヨー、りん!」


教室のあちこちから、和宏に向かって飛んで来る声。

可愛らしい元気な声だったり、あまり女子高生らしくないダミ声だったり。

だが、それだけで“萱坂りん”が女子の中でも人気者の地位を占めていることがわかる。


“りんの席”は、前から四列目の右から二列目。

“りんの記憶”で予習を済ませていた和宏は、迷いなくその席に着いた。


「おはよ、りん。遅かったじゃない」


当たり前のように声をかけてきた、右隣に座る生徒。

さっぱりとしたショートカットで、少々切れ長の瞳は、宝塚女優のような凛々しさを持ち合わせている。

スラリとした細身の体型で、身長は約百七十センチくらい。りんよりも十センチほど高い身長だ。

女子離れした長身であるが、えんじ色のセーラー服を着ていることからわかるとおり、その生徒もまた女子である。

和宏は、その顔を見ながら、例によって“りんの記憶”を手繰った。


名前は“篠原しのはら沙紀さき”。

この四月からクラスが一緒になり、席が隣という縁で“りん”と友達になった……。


「どうしたの?」


懸命に記憶を手繰る和宏を遮るように、沙紀は首を傾げながら和宏の顔を見つめていた。

その怪訝な目つきに、和宏は必要以上にドギマギするしかなかった。


「え、ええ! な、何が?」


しどろもどろという言葉がピッタリの様子で動揺する和宏は、挙動不審者そのものだった。

沙紀の怪訝な目つきが、なお一層厳しい視線へと進化していく。


(ヤ、ヤベェ……。“りんの記憶”を確認しながらだと即答できねぇ……)


確かに“りんの記憶”を手繰れば、大概のことは対処できる。

問題は“記憶を手繰ってから答えを得るまで幾らかのタイムラグが存在する”ということだ。

そのせいで、まともな会話が成り立ちそうにもない。

案の定、沙紀は訝しげに眉をひそめ始めていた。


「『何が?』じゃないわよ。おはよって言ってるじゃない」


「あ、ああはは……お、おはよ」


こんな袋小路に追い詰められた状態では、上手く誤魔化す術すら見当たりそうもない。

動揺を隠しながら、ヘラヘラとした愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。

なおも首を傾げたままの沙紀であったが、その反対側から、今度はアニメのキャラクターのような声が和宏に向けられた。


「ねぇねぇ。何でそんなに汗かいてるのっ?」


反射的に声のした方に視線を向けると、その特徴的な声の主は、左隣の席に座る女子生徒だった。

彼女を見た誰もが得るであろう第一印象は“タレ目”。

セミロングの髪を二つに分けたおさげ……という髪型や、沙紀よりも二十センチは低い身長と相まって、ホンワカとした天然系の可愛らしい女の子というイメージだ。

“りんの記憶”によれば、名前は“阿部あべ東子とうこ”。


「もしもーし?」


その東子は、固まってしまったように動かない和宏の眼前で、意識の有無を確認するかのように手を振った。

やはり、例のタイムラグのせいで、ごく普通の会話のキャッチボールすら困難。

悪いことに、何事にも“りんの記憶”を手繰らなくては状況把握もままならない事態が、この混乱に拍車をかけている。

和宏の頭はパニック寸前だった。


「う、うん。ちょっと……は、走ってきたから」


「なんで走ってくるワケ? アンタの家、私の家より近いでしょうが」


りんの家と学校との距離は約一キロだが、沙紀の家と学校との距離は三キロ以上はある。

沙紀の疑問ももっともだったが、東子は『閃いたっ♪』とでもいう様に人差し指を立てた。


「わかったっ!」


アニメから抜け出してきたキャラがしゃべっているような東子の声はことのほかよく通る。

和宏の頭にはキンキン響き、沙紀は思わず顔をしかめていた。


「相変らず声でかいわね……東子アンタ


だが、ポジティブシンキングな東子は、一向に気にすることなく、人差し指を和宏に突きつけながら言い放った。


「さては……寝坊でしょっ?」


正解を言い当てたことを確信したかのような東子の得意げな表情には、“お主もワルよのう”的な笑みが混じっている。

もちろん、実際は決して寝坊したからではなかったが、和宏としては事情を明かすわけにはいかないため、“とりあえずお茶を濁す”以外の選択肢は存在しなかった。


「いやその……まぁ、そんなところ……かな」


「やっぱり~。家が近いと結構ルーズになっちゃうもんね。沙紀も中学校の時は……」


「コラコラ! 私の中学校時代は関係ないでしょうが!」


沙紀が、顔を真っ赤にしながら、東子の台詞を遮るように机をバンバンと叩いた。

どうやら沙紀も、中学校時代は家と学校の距離が近くて遅刻も多かったようだ。


「大体なんでこんな話になるのよ! 全部りんのせいよ!」


(俺のせいかよっ!?)


どう考えても東子のせいでは……と和宏は思ったが、残念ながら口に出す勇気はなかった。

和宏は、迂闊なことをしゃべらぬように口を噤みながら二人の顔を見た。

沙紀と東子……なんとも個性の強い“りんの友人”であった。


「まぁ……それで今朝のりんの反応の鈍さの理由もわかったわ」


「え……?」


「朝っぱらから走ったりするから、頭まで酸素が回ってないのよ。きっと」


「そうそう。アタシもそうだと思ったの~」


沙紀と東子は、おなかに手を当てて、可笑しそうにゲラゲラと笑いこけた。

えらい言われようだな……と思いながら、キョトンとする和宏。

その顔を見て、二人はなおも笑い続けていた。


やがて、担任の種田たねだ直樹なおきが「遅れてスマンスマン」と言いながら、教室に入ってきた。

それを合図に静けさが戻る教室。

起立っ! ……という日直のキビキビとした号令。

皆、ガタガタという音とともに立ち上がり、和宏もまた隣の東子や沙紀と同じように立ち上がった。

その時だった。まるで貧血のように身体から力が抜けるような感覚が和宏を包み込んだのは。


グニャリと歪む視界。

雲の上を歩いているような浮遊感。

よくある立ちくらみとは違う、意識が途切れそうになる程の確かな変調。


だが、それらはほんの一瞬のこと。

日直の号令によって着席する時には、いつの間にか感覚は元に戻っていた。


(なんだったんだ? 今のは……)


そう頭を傾げてしまう程、さっきの発作のような症状は嘘のように収まった。

和宏の表情が、疑問の色に染まっていく。

今まで経験したことのない症状だったからだ。


(ひょっとして、本当に頭に酸素がいってないとか……?)


まさかな……と思いながら、和宏は苦笑した。



――TO BE CONTINUED

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