第47話 『Lover Operation (3)』
強く肩を抱かれた“りん”は、思わず肩をすくめた。
そして、驚きの表情を浮かべながら、山崎を軽く見上げる。
身長は、“りん”より15センチも高い177センチ。
スポーツマンらしく日焼けした顔と坊主頭。
意志の強そうな、キリリとつりあがった眉毛と、眼光鋭い瞳。
およそ、イケメンと言って差し支えない学生服姿の男がそこにいた。
その山崎と、セーラー服姿の“りん”は、まさに美男美女の組み合わせ……お似合いのカップルに見える。
今度は、紗耶香の方が動揺する番だった。
「な……う、嘘ですっ……そんな!」
「……嘘じゃないわ。本当よ」
状況を理解した沙紀が、さりげなく援護射撃を開始した。
とはいえ、ついさっきまでは、大村を“カレシ”と言い、今になって、実は山崎の方が“カレシ”だと言うのは、誰が聞いたって無節操というものだ。
紗耶香は、沙紀と山崎に対して、交互に猜疑の目を向ける。
そして、意を決したように、“りん”を見据えた。
「りん姉さま……。本当にカレシなら、キス……出来ますか?」
先ほどから、ひっきりなしに“りん”の身体を包み込んでいく、少しひんやりした夕風。
しかし、和宏にとっては、それとは別の……衝撃波に近い向かい風が、全身をビュゴォーッと吹き抜けていったような気がした。
とんでもないコトを言い出した紗耶香。
ところが、沙紀は、それ以上にとんでもないコトを言ってくれた。
「……出来るに決まってるじゃない」
(出来るかぁっ!!! ボゲェッ!!!)
和宏が、ものスゴイ勢いで突っ込みを入れる。
例によって、心の中で。
(大体、山崎と初めて会ったのって一昨日だぞ。……早すぎるだろっ!!)
……いや、問題はソコではないはずだ。
目の前の予想外な展開に、和宏の(あまり質の良くない)思考回路が動作不良を起こしているとしか思えない。
だが、沙紀は、そんな和宏の心の中などおかまいなしに急かす。
「何やってるの。早くキスしちゃいなさい!」
もちろん、この台詞を口に出したワケではなく、妙に目力の込められたアイコンタクトによる意思伝達である。
だが、どういうわけか、それは常識を超えて、正確に和宏に伝わった。
さらに、沙紀は、「早くやらないとアイアンクローよ!」とばかりに、紗耶香に見えぬよう、右手をワキワキさせる。
(……実は、オマエの方が性質悪いんじゃね?)
かなりマジで呟く“りん”。
とはいえ、他にこの場を乗り切る方策が思いつくかというと、それも思い浮かばない。
これだけ風が冷たくなってきたというのに、“りん”の額には冷や汗が滲んでいた。
「“カレシ”だなんて嘘に決まっている」……そんな瞳で“りん”を見つめる紗耶香。
その特徴あるツインテールが、風に揺らめく。
(……ひょっとして、俺……追い詰められてる?)
沙紀と紗耶香によって、すでに外堀を埋められてしまった感じだ。
2人してグルじゃないだろうな……あらぬ疑いまで生じてきそうになる。
まだ、肩を抱かれたままであることに気付き、“りん”が、山崎の顔をチラリと窺うと、タイミングの悪いことに、山崎と目が合ってしまった。
そして、山崎は、白い歯を見せて笑いながら、「俺なら別にいいぞ」と、ワケのわからないことをほざく。
(コイツは~~!)
沙紀と紗耶香に加えて、山崎まで……。
いや、おそらく東子も、「キスしちゃえ~♪」みたいな感じで、あのタレ目を細めて、ニヤニヤしながら、こっちを見ているに違いない。
これでは、まるで、沙紀、東子、山崎、紗耶香の4人が、「キ~ス! キ~ス! キ~ス!」と、はやし立てている構図に等しいではないか。
“りん”は、金縛りにあったかのように、動けなくなってしまった。
「ホラ。ほっぺにキスくらいできるでしょ?」
固まっている“りん”に、業を煮やした沙紀が再びアイコンタクトを仕掛ける。
(あ、なんだ。ほっぺでよかったのか……)
ホッとすると同時に、肩の力が抜ける。
実は、山崎のほっぺにキスするだけでも十分にアレなのだが、この異常な話の流れに和宏の感覚が麻痺してしまっているようだ。
“りん”は、覚悟を決めて、山崎の方を向いた。
だが、身長が違うので、そのままではとても届かない。
両手を山崎の肩に乗せて、思い切り背伸びをすれば、なんとか届きそうだ。
場の雰囲気の緊張感が増した。
“りん”は、フルフル震えながら、口をひょっとこのようにして、山崎のほっぺに近づけていく。
おそらく、沙紀や東子に凝視されている……そう思うと、異常に恥ずかしい。
すぐ目の前に迫った山崎の横顔。
その距離は、もう10センチと離れていない。
突然、山崎が、チラリとこちらを見た。
合ってしまった視線が、“りん”の顔を真っ赤に燃え上がらせてしまった。
「あ、あの……目、瞑ってくれない?」
「あ、ああ」
“りん”の懇願するような小声の台詞に、山崎は、ぎこちない返事とともに、横を向きなおして目を瞑った。
準備は全て整った……とばかりに、“りん”もまた、きつく目をギュッと瞑る。
沙紀と東子が、固唾を呑んで、その瞬間を見守っている。
そして、“りん”のくちびるが、山崎のほっぺに接触する直前……この緊迫感を切り裂くような大声が上がった。
「やめてくださいっ! りん姉さまっ!!」
“りん”、山崎、沙紀、おそらく生徒用玄関のカゲに潜んでこちらを窺っているはずの東子も……誰もがあっけに取られながら、紗耶香を注視する。
今にも泣き出しそうな紗耶香が、“りん”を見つめていた。
「……もう……やめてください……りん姉さまが男とキスするくらいなら、私……身を引きますから……」
それは、消え入りそうな声だった。
下唇を噛んで、瞳を潤ませながらの懇願に、和宏の思考が一時停止する。
(……え~~と、身を……引く???)
“身を引く”という言葉の意味が、和宏の頭の中に浸透するまで、少々時間を要したが、ようやく導き出された答えを、素直に信じるまでには至らなかった。
念のため……“りん”は、恐る恐る紗耶香に尋ねた。
「そ、それはつまり……もう、つきまとわない……ってこと?」
「……はい」
「キスしなくてもいい……ってこと?」
「……はい」
ようやく飲み込めた事態に、“りん”と沙紀、東子の表情が、パ~っと明るくなる。
途中どうなることかと思ったが、結果的に作戦大成功だ。
「……私、お先に失礼します……」
ひどく落ち込んだ感じで、俯きながら小走りで駆け出す紗耶香。
そして、“りん”の前で一旦立ち止まって、視線を“りん”に向けた。
「今後は……陰ながらお慕いいたします……りん姉さま」
紗耶香は、他の誰にも聞こえぬ程の小声で呟いて、また小走りで走り出していく。
その表情は、ムリをして作った笑顔であったが、それだけにいじらしく感じられた。
走り去っていく紗耶香を、ポケ~ッと眺める4人。
やがて、その姿が見えなくなり、周囲に静寂が戻った。




