第44話 『余波 (4)』
翌朝。
ここのところ、ずっと晴天だった空が、今日は曇っていた。
とはいえ、天気予報の降水確率は20%……おそらく傘は必要あるまい。
“りん”は、鞄を右手に持ったまま、両手を上げて軽く一伸び。
昨日と違って、身体が軽く感じるのは、筋肉痛がほぼ消えたからだろう。
それにしても……と和宏は思う。
たった4回を投げただけでコレでは、“りん”の身体はひ弱すぎる……と。
(少し、鍛えなくちゃな……)
腕を触ってみてもフニフニだ。
筋肉が全くと言っていいほどない。
(ジョギングと腕立て伏せから始めるか……)
そんなことを考えながら、学校への道のりを歩いていると、100メートルほど先に人影が立っているのが見えた。
目を細めて、よく見てみると……えんじ色のセーラー服に、緑色のスカーフ。
そして、立っている場所は、昨日の橋のたもと。
村野紗耶香……だ。
(う……まさか朝まで待ち伏せとは……)
だが、時すでに遅し。
紗耶香は、目ざとく“りん”を見つけると、昨日と同じように駆け寄ってきた。
「おはようございます。りん姉さま」
朝のあいさつとともにニッコリと微笑む紗耶香に、身構える“りん”。
(イカンイカン。ここでペースに巻き込まれないようにしないと)
「お、お早う……村野さん」
「!……そんなっ! ダメですよ、りん姉さまっ!」
「……な、何が!?」
「私のことは、ぜひ“紗耶香”とお呼びください!」
(ぅおぃ……)
妙な指摘に、“りん”は脱力感を露わにする。
「じ、じゃあ……紗耶香……ちゃん?」
「まぁ! 嬉しいですっ! りん姉さまに名前を呼んでもらえるなんて!」
「……あ……はは」
紗耶香のペースに巻き込まれるな……と誓ったのもつかの間、いきなり紗耶香のペースに巻き込まれてしまった。
そもそも、喜びの感情を真っ直ぐぶつけてくる無邪気な紗耶香を冷たくあしらうことなんて、和宏には出来ない相談なのだ。
これを“優しい”というのか、“優柔不断”というのかは……意見が分かれるところだろう。
並んで歩いているうちに、やはり密着してくる紗耶香。
また、昨日のように誤魔化さねば……と思うのだが、あいにく今日は、ドブ川にコイの姿が見当たらない。
「あ、あの……もうちょっと……離れない?」
和宏は、紗耶香を傷つけないように、笑顔で、かつ控えめな言い方をした……つもりだった。
しかし、それでも、紗耶香は、ショックを受けた様子を見せながら、下を向いて立ち止まってしまった。
「?……ど、どうしたの……?」
紗耶香の肩が震えている。
そして、その顔がゆっくりと上がると、紗耶香の表情は今にも泣き出しそうだった。
「……っ!」
「……りん姉さまは……私がキライですか……?」
消え入りそうな声。
泣き出しそうな顔。
そして、動揺を隠せない和宏。
上目遣いで、助けを求めるような瞳は、容赦なく和宏に罪悪感を植えつけていく。
「いや、あの……別に、その……キライというワケじゃなくて……」
その“りん”の台詞に、紗耶香の目が、突如キラキラと輝いた。
「キライじゃないんですねっ!……良かった……私、嬉しいですっ!」
そして、“りん”の左腕に抱きついた紗耶香。
さっきより、グーンと密着度が50%ほどUP!。
しかも、今度は、紗耶香の胸が、“りん”の腕に押し付けられていた。
(○▲◇※&%¥4980-#♂♀!!)
和宏はパニくった。
やわらかい胸の感触が、和宏の理性をものすごい勢いで侵食していく。
(あうう……やわらかいオッパイ……ってイカン! これも孔明の罠だっ!)
わずかに残された理性の叫び。
(……いいじゃん罠でも。楽しくやろうぜ♪)
急激に勢力を拡大させる悪魔のささやきは、実に爽やかだ。
和宏の頭の中を舞台にして、理性と悪魔が、激しくせめぎ合っていた。
だが、そんな戦いのことなど知らぬ生徒たちが、腕を組んで歩く“りん”と紗耶香を、イロモノを見るような目つきで一瞥していく。
(ううぅ……視線が痛ぇ……)
ジロジロ見られるのは昨日と同じとしても、明らかにその視線の種類が違う。
朝っぱらから、女同士で、腕を組んで登校しているのだから、当たり前だ。
しかし、となりを歩く紗耶香にとっては、そんな視線などどこ吹く風であった。
そんな“りん”と紗耶香から、20メートルほど後方。
前を窺う挙動不審な女子生徒が2名。
「アレ……りん、だよね?……沙紀見える?」
「うん。あのポニーテール……間違いないわね。となりの女の方が……アレはまさか……?」
登校途中で“りん”の姿を発見した沙紀と東子が、ヒソヒソと会話を交わしていた。
“りん”にピタリと寄り添うようにして歩く女子生徒を、食い入るように眺めながら。
東子は、あまり視力が良くなかったが、視力には自信がある沙紀の方は、完全にターゲットを捕捉済だった。
1年生を表す緑色のスカーフと、特徴のあるツインテールが、沙紀の記憶を呼び覚ましていく。
「……村野紗耶香!?」
「えっ!? ホントに……あの村野紗耶香?」
「私の“ワンダフルアイ”に間違いないわ」
ちなみに、沙紀の視力は“2.0”である。
それはそれとして、“ワンダフルアイ”というネーミングセンスはいただけない。
「ど……どうする?」
「……」
東子の問いに、考え込む沙紀。
いつの間にか、灰色だった空は、今にも雨が降り出しそうな鉛色になっていた。
そして、雨がポツリポツリと降り出したのは、ちょうど“りん”たちが学校に到着する頃だった。
生徒用玄関で靴を履き替えた“りん”たち。
1年生と2年生では、階が違うため、紗耶香は、階段の上り口で深々と礼をして、ようやく別れていった。
ずっと尾行を続けてきた沙紀と東子は、すかさず“りん”の背中に声をかける。
「おはよ、りん」
「おはよ~♪」
「わゎ! びっくりしたっ!」
突然、背後からの沙紀と東子の声に、飛び上がって驚く“りん”。
「……なんでそんなに驚くワケ?」
「え、いや、別に……」
「ま、いいわ。それより、なんで村野紗耶香と腕組んでたの?」
「!……み、見て……たの?」
「「一部始終ね」」
バツの悪そうな“りん”の顔に、何故かハモった沙紀と東子。
幸いにもクラスメイトや知っている生徒には見られなかった、と思っていた和宏だったが、沙紀と東子に見られていたとは誤算であった。
もちろん、紗耶香の胸の感触に気を取られてました……なんて、言えるワケがない。
いや、それより……なんで沙紀は彼女の名前を知っているんだろうか?
そんな和宏の頭の中に浮かんだ疑問に答えるように、東子が口を開いた。
「あの村野紗耶香は、アタシたちと同じ中学出身なの~」
「あ、それで知ってるのか」
階段下で、立ち話をしている3人の後ろを、登校してきた生徒が次々と通り過ぎていく。
その人数の多さが、今がちょうど登校のピークであることを示していた。
「私もあんな風につきまとわれたことがあるのよ……中学時代に1週間くらい」
「沙紀ってば、バスケしてる時だけはカッコいいからね~」
「東子……“だけ”は余計よ」
東子は、舌をペロッと出して、肩をすくめた。
そういう女の子的仕草がよく似合うのは、東子の特性だ。
「……んで、どうなったの?」
「……」
沙紀は答えず、ただ苦渋の表情を浮かべただけだった。
だが、それだけで大体の予想はつくというものだ。
(なるほど……今日のような痛い視線を1週間も浴び続けたってことか……)
その時の沙紀の様子を想像するだけで、不謹慎ながら笑いが込み上げてくる。
「……何がおかしいワケ?」
笑っていないつもりが、どうやら顔に出てしまっていたらしい。
沙紀の切れ長の瞳が、ギラリと凄みを増した。
「まぁまぁ。とにかく……そういうコなの……あの村野紗耶香ってコは!」
どこか平和な東子のアニメ声が、場の空気を少しばかり和ませたせいか、今にもアイアンクローを繰り出そうとしていた沙紀の右手が引っ込んだ。
東子は、人差し指を“りん”に向けながら、言葉を続ける。
「で、りんも困ってるんでしょ? 沙紀の時も大変だったんだからっ!」
「ん……まぁ」
「何よ。その気乗りしない返事わ。……まさか、りんの方も女の子好きなんじゃないでしょうね?」
沙紀の鋭いツッコミ。
少なくとも男の子好きじゃないことだけは確かなのだが……今のこの状況では、余計なことを言わないに越したことはない。
「ま、まさか……」
「ならね……いい手があるんだけどっ♪」
東子のタレ目が、いたずらっぽく笑っている。
この目は……絶対に何かをたくらんでいる目だ。
(……イヤな予感……)
「で? いい手って何よ……東子」
沙紀が、当然の疑問を口にすると、東子は、何故かいきなり小声になった。
「ん~~、それには協力者がいるんだよね~……りんは誰がいい?」
「……は? キョウリョクシャ?」
つられて小声になる“りん”。
その途端に、チャイムが鳴り始めた。
気がつくと、3人の周りには、もう……誰もいない。
「きゃ~! マズイ~! HRが始まっちゃうわよ!」
いつの間にやら、そんな時間になっていたようだ。
素っ頓狂な声を上げた沙紀を先頭にして、3人は廊下をパタパタと走っていった。
≪オマケ ~緊急座談会 その4~≫
りん「……?」
作者「……?」
りん「イヤイヤ、『……?』じゃなくて。何だよ? この中途半端な終わり方は?」
作者「え~……まぁ……次シリーズが解決編みたいなノリで一つ……(^^;」
りん「……ふ~ん……な~んか対処に困って急遽予定変更しました感がアリアリなんだけど?」
作者(ギクリ)
りん(やっぱりかっ!)
作者「で、でも、次シリーズでは、ついに協力者の正体が明らかに……」
りん「どうせ○○なんだろ?」
作者(ギクリ)
りん「んで、○○まで入り乱れて、○○が○○に○○するとか……じゃね?」
作者「うわ~ん……りんがいじめるよ~!」
りん「orz」
以上、作者が泣きを入れて終わる。