第41話 『余波 (1)』
(う〜。イテテテ……)
腕を動かすだけで痛い。
歩くだけで痛い。
強烈な筋肉痛のせいで、全身がまんべんなく痛い。
昨日の球技大会が終わってから一晩明けた。
結果的に、A組は、野球とバレーで優勝、サッカーでは準優勝という優秀な成績をあげることが出来たワケだが、その野球チーム優勝の立役者である“りん”が、筋肉痛に苦しみながら登校していた。
念のため、早めに家を出たのだが、この分では、いつ学校に到着するのかわからない……そう思った矢先だった。
「おはよー」
朝のあいさつと共に、和宏の背中を「バンッ!」と叩く怪力女が約一名。
……沙紀である。
“りん”は、沙紀の会心一撃により、地面にベチャッと潰れざるを得なかった。
「……失礼ね。まるで私が怪力女みたいじゃない」
(……自覚無しかよっ!?)
和宏は、例によって心の中で突っ込んだ。
口に出せば10倍返し間違いなし……だからだ。
「さっ、こんな所で寝てると一般人の迷惑だよっ♪」
可愛らしいアニメ声が、とてつもなく酷い台詞を吐いた。
(ここは、俺の身を案ずるべきではないのかっ?)
東子は、優しいことを言う時もあるのだが、結構酷いことを言い放つことも多い。
沙紀に比べると、ちょっと掴みにくい性格だ。
とりあえず、沙紀と東子が差し出してくれた手を掴んで、起き上がる。
筋肉痛が、絶え間なく腕や足や尻を刺激し、そのおかげで普通に歩くことすらムリだった。
ヨレヨレと歩く“りん”の姿を見て、沙紀と東子が笑い声を上げる。
「りん……まるでおばあちゃんみたいだわよ?」
「おまけにガニ股になってるし」
「股関節も痛いんだよ〜」
和宏は和宏で、ガニ股のまま弱音を吐く。
スカートから伸びる足がガニ股になっているというのも、かなりみっともないものがあるが、今日の場合は緊急事態だからしょうがない。
「まぁ、アレだけ頑張ったんだから仕方ないだろうけどね」
沙紀と東子は、“りん”を真ん中にして、並んで歩き出した。
“りん”の歩くスピードに合わせてゆっくりと。
普段は、結構酷いことをされているが、やっぱり3人は仲がいいということなのだろう。
学校が近づくに従って、通学する生徒の人数が多くなる。
ゆっくりと歩く“りん”らを追い越していく生徒たち。
(?……なんでみんなこっちを見ていくんだ?)
追い越していく生徒の全員が、追い抜きざま、“りん”を見ていくことに和宏は気付いた。
だが、よく考えたら、「こんな変な歩き方してたら、誰だって見るか」ということに思い至る。
「みんなこっち見てくね〜」
「ま、しょうがないわよ」
(そうだな。確かにしょうがないか……)
ようやく辿り着いた学校。
早く家を出たおかげで、なんとか遅刻は免れたようだ。
それにしても、今日は、なんとたくさんの人が、“りん”にあいさつをしていったことか。
成田さんや北村さんを始めとする同じクラスの女子たちはもちろんのこと、大村や新谷、工藤らの野球メンバーを始めとする男子たちも、さらにはE組の山崎までが、「お早う!」と、“りん”に声をかけていったのだ。
時間は、8時10分を回った。
もう教室に入っておいたほうがよい時間である。
痛む体を軋ませながら、“りん”が下駄箱を開けると、中から封筒らしきものがパサパサと落ちてきた。
「……ん?」
何気なく拾おうとするが、例の筋肉痛がそれを阻む。
落ちた封筒を目ざとく見つけた沙紀が、“りん”の代わりにそれらを拾い上げた。
「なにこれ」
沙紀は、当たり前のように封筒を一つ一つマジマジと見る。
そこに、“りん”のプライバシーは皆無だ。
全部で6通。
見終わった沙紀は、「……あらまぁこれは……」と呟きながら、何故か途端にニヤニヤし始めた。
「はい、りん。モテモテでいいわね♪」
沙紀が、ニヤケ顔で、封筒を“りん”に差し出す。
しかし、右手で受け取ろうとした“りん”よりも、東子の奪取の方がわずかに早かった。
「どれどれ。アタシにも見せてねっ♪」
沙紀から手紙を受け取ろうとした“りん”の右手は、宙に浮いたまま。
やはりプライバシーは皆無だ。
「うわぉ、ホントだ! ……りんってばモテモテ~♪」
「もう、コラッ! 返せっ!」
“りん”が、東子からひったくるように封筒を取り返す。
「いやん! りん、ドロボー!」
(俺のだっ! 俺のっ!)
東子の反論に耳を貸さずに、封筒を見る“りん”。
ハートマークのシールで封がされた封筒だ。
(……まさか、ラブレター!?)
この世に生まれ出てから18年。
下駄箱にラブレターなんていうマンガチックな出来事に巡りあったことなどなかった。
(神様……俺、アナタのこと信じてましたっ!!!)
和宏は、限りなく嘘くさい感謝の台詞を心の中で呟きながら、感涙に咽ぶ。
「ついに俺もカノジョ持ちか……」などという、妄想の中の未来予想図が、今確かに動き始めた……はずだった。
(………………待てよ?)
となりには、妙にニヤニヤしている沙紀と東子。
自分の身体を見下ろせば、えんじ色のセーラー服を着ている女子高生“りん”。(ガニ股)
(……その“俺”にラブレターってことは……相手は“男”!?)
とまぁ……必然的にそうなる。
まさに、これ以上ないほどのヌカ喜びだ。
(男からラブレターって……どないせぇっちゅうねん)
思わず大阪弁で毒づきながら、ラブレターを名残惜しそうに見返した和宏は、ふとあることに気付いた。
妙に可愛らしい宛名の文字。
妙に乙女チックなカラフルな封筒。
(……いや、まさか……差出人は女の子!?)
「ファンレター……ってヤツね」
沙紀が、タネ明かしをするかのように言った。
「……ファンレター?」
「そっ。女の子が女の子に憧れるってことあるでしょ? アレよアレ」
今の沙紀の説明で、腑に落ちたような落ちないような。
(よくわからんが、女が女に憧れるって、よくあることなのか??)
「しょうがないよね~。アレだけ目立っちゃね~」
東子が、茶化すように言った。
もちろん、昨日の球技大会のコトを言っているのだろう。
確かに、これ以上ないほど目立ったはずだ。
なにせ、全校生徒の注目を浴びたようなものだからだ。
(……ひょっとして、今朝みんなにジロジロ見られてたのは……!?)
おそらく、そういうことに違いない。
この学校において……“りん”は、有名人になってしまったということだ。
思わぬところに発現した球技大会の余波。
この余波が、後にちょっとした厄介ごとを運んでくるとは、この時の和宏には想像もつかないことだった。