第39話 『Baseball Queen (10)』
E組の4番、山崎がバッターボックスに入ろうかという場面で、A組の応援席が急に騒がしくなった。
「りん~! コッチは勝ったわよ~! ソッチも頑張れ~!」
一歩間違えば場違いと言わんばかりに響く沙紀の声。
どうやら、バレーの試合が終わって、女子がみんな戻ってきたらしい。
もちろん、東子や北村さんたちも一緒だ。
「勝ったら沙紀がパフェ奢るってぇ!」
「言ってないから~!」
東子のパフェ発言を、沙紀がすかさず否定する。
もはや、“りん”に対する声援なのか、漫才トークなのかわからない。
そんな沙紀と東子の掛け合いに、女子たちの間から笑い声が上がる。
(マッタク……アイツらときたら……)
この緊迫感溢れる場面でなにやってんだ……と、和宏は呆れた。
だが、心なしか、身体から余計な力が抜けたような気がする。
おそらく、気負いすぎて肩に力が入り過ぎていたに違いない。
沙紀と東子の脱力感溢れるトークが、それに気付かせてくれた……ということだろう。
ただし、それを見越してお笑いトークをしてくれた……ということは、多分ないと思う。
和宏は、空を見上げて苦笑した。
(でも……サンキュー……沙紀、東子)
心の中で礼を言った“りん”は、バッターボックスで構える山崎に視線を向けた。
受ける威圧感は、最初と変わらない。
だが、この山崎を討ち取れるかどうかで、この試合の行方が決まると言っても過言ではない状況だ。
山崎の苦手な内角低めに、ボールからストライクになるカーブ。
相変わらず厳しい大村の要求……だが、いいリードだ、と和宏は思った。
しかし、“りん”の球筋を見切っている山崎は、決して空振りしなかった。
ファールになったものの、火の出るような痛烈な当たりだ。
ストライクゾーンぎりぎりを突くコントロールが狂ったら、簡単に外野の頭をオーバーするに違いない。
大村は、内角低め一辺倒じゃなく、外角にボールになる見せ球を交えて、懸命にリードを見せる。
そのリードは、非常に理にかなったものであったが、きわどいコースは確実にカットし、明らかなボールには手を出さない山崎には通用しなかった。
2ストライク3ボール。
落ち着いて失投を待つ山崎。
困り果てた大村は、タイムをかけてマウンド上の“りん”の元に走った。
「……歩かせよう。その方がマシだよ」
ノーアウトのランナーを出してしまうのは痛いが、シングルヒットを打たれた……そう思えばいい。
ヘタに打たれて、ランニングホームランになるよりは遥かにマシだ……という大村の提案は、確かに正しいと思われた。
だが、“りん”の口から出た言葉は……違った。
「死んでもイヤだ」
「……っ!」
じゃあ、歩かせようか……大村は、“りん”のそんな返事を予想していた。
山崎の粘りの前に再び尽きようとしている“りん”の体力。
そして、ストレート、カーブ、アウトコース、インコース、高め、低め……全て山崎に補足され、もはや投げるべき球すらない。
戸惑う大村に、“りん”がボソッと呟いた。
「……え!?」
驚いた顔を見せる大村に、“りん”は精一杯の笑顔を見せる。
「ちゃんと……捕ってね」
そんな“りん”の笑顔には、もはや腹をくくってしまった気持ちが、アリアリと出ていた。
腹をくくったピッチャーには何を言ってもムダ……キャッチャーである大村は、それをよく知っている。
だからこそ、もはや大村の選択肢は、“頷く”しかなかった。
守備位置への戻り際、バッターボックス上の山崎が、大村に視線を向けずに言葉をかける。
「歩かせてくれるなよ?」
「……心配すんな」
マスクをかぶりながら言い放った大村の答えに、山崎は「勝負だな」と確信した。
“りん”が振りかぶると同時に、マウンドを吹きぬけた風が、ポニーテールをフワリと揺らす。
初回と変わらぬ流麗なフォームのアンダースロー。
しかし、放たれたボールは、ど真ん中より少し内角寄りへ……ストライクゾーンぎりぎりにはコントロールされていなかった。
山崎にとっては、待ちに待った失投である。
だが、フルスイングしようとした瞬間、失投と思った球が、内角にググッと変化した。
(……っ!)
山崎は、スイングを必死で止めた。
この内角への変化球……シュートは、ボール一つ分ストライクゾーンを外れていたからだ。
辛うじて見送ったボールが、大村のミットにバシンと収まる。
(フォアボールか……)
何が何でも外野の頭を越して、ランニングホームランを打つつもりだったのに……山崎は、煮え切らない結果に心の中で舌打ちをしながら、金属バットを放り投げた。
その瞬間だった。
「ストライクッ! バッターアウトッ!」
(―――っ!)
山崎は、一呼吸置いてコールされた判定結果に耳を疑う。
弾けるように振り返った山崎と、主審の袴田の視線がぶつかった。
袴田の、およそアンパイアらしくない自信なさげな表情に、山崎は小さく「あ……」と声を上げる。
(……袴田の判定が怪しいってコトは……初めからわかってたコトじゃねぇか)
初回、1番の広瀬が三振した時に、袴田の判定の怪しさを指摘したのは、他ならぬ山崎自身である。
まるで悪い冗談のような結末に、妙な笑いが込み上げてくる。
(くっくく……なんだそりゃ……)
山崎は、サバサバした顔でベンチに戻り、広瀬や矢野たちの視線も気にせずに、ベンチにドッカリと腰を掛ける。
(シュート……か)
バッターボックスには、5番の御厨が入っていた。
まだワンアウト……試合の行方はまだわからない。
にもかかわらず、山崎にとって、それはもうどうでもよかった。
袴田のミスジャッジにやられただけだ……だが、いくらそう思い込もうとしても、この敗北感を拭い去ることは出来ない。
(女にやられるなんてな……)
ベンチに座ったまま、ぼんやりとマウンド上の“りん”を眺める山崎。
相変わらず流れるようなフォームのアンダースローだ。
一朝一夕で身についたものではないと思う。
「……参ったな……」
山崎は、ボソリと呟いた。