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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第二部
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第38話 『Baseball Queen (9)』

「ドンマイドンマイ!」


“りん”は、セカンドとファーストに声をかけるが、二人とも恐縮そうだ。

自分たちのエラーで、ノーアウト一塁三塁というピンチになってしまったのだからムリもない。


湧き出てくる汗。

弾む息。

少しばかりプルプルと震えの出てきた右手。


“りん”の身体の限界が近くなってきたことが、和宏自身はっきりと自覚できた。


(……やんなるな……。まだ3回だってのに……)


“男”の時は、その豊富なスタミナは自慢の一つだった。

例え真夏でも、9回を投げきって当たり前。

ところが、今はまだ3回途中だというのに、もう息が切れてきた。

しかし、スコアは1-0で1点リード……死んだってギブアップできる状況ではない。


左打席に、2番の野球部員“矢野やのいさむ”を迎えて、“りん”はセットアップポジションを取った。

大村は、外角低めにボールになるストレートを要求している。

限界が近い身としては、正直、ボール球は投げたくないのだが、キャッチャーのリードだから仕方がない。


サインに頷こうとした瞬間、大村は一塁にけん制するよう、控えめに一塁を指差した。

“りん”は、即座にプレートを外し、一塁に牽制球を放ると、ファースト工藤が、突然の牽制球にビックリしながらも後逸することなく掴み、一塁ランナーの広瀬にタッチする。


「アウト!」


主審の袴田が、一塁ランナーのアウトを宣告した。

1アウト取れたことに、とりあえずホッとする“りん”。


あと二人で切れば、4番の山崎までは回らない。

牽制アウトになった広瀬は、E組のベンチに戻るなり、山崎と御厨に小突かれていた。


通常、守備側としては、三塁にランナーがいる時は、一塁ランナーの盗塁を警戒することは少ない。

広瀬は、そういう理由から一塁ランナーである自分は警戒されていないと思い込み、二盗を決めるためにリードを取りすぎてしまったのだ。

そこを大村に見つかった……というワケだ。


大村の、隠れたファインプレーでもあり、もちろん“りん”の牽制が上手かったこともある。

だが、一番の要因は、広瀬の間抜けなボーンヘッド……山崎たちに小突かれたのも、当然と言えば当然であった。


ノーアウト一塁三塁が、ワンアウト三塁に変わった。

しかし、依然、ピンチは続いている。


左バッターボックスの矢野に対し、第1球を投じた“りん”。

大村のサイン通りに、外角低目を狙ったつもりだったが、この試合初めてのコントロールミスで、内角にボールが入ってしまった。


ヤバイッ!……という気持ちを露わにした“りん”の表情。


矢野は、得意とする内角球に対し、「待ってましたっ!」とばかりにフルスイングする。


痛烈なライナー性の打球。

しかし、それは偶然にもセカンド新谷の真正面だった。

ライナーから、身を隠すように差し出したグローブに、その打球がすっぽりと収まる。

セカンドライナー……ツーアウト。


捕った新谷自身が、「信じられない」という表情でビックリしている。

さっきの牽制といい、今回のライナーといい、ツキの流れがA組に来ているようだった。

得てして、勝負事ではこういうことがあるものだ。


「おいおい……冗談じゃねえぞ。ノーアウト一塁三塁から1点も取れないんじゃないだろうな」


三塁側ベンチに座る山崎は、苛立ちを隠さずにいた。

何せ、未だ無得点である上に、1点リードされている。

しかし、御厨は、楽観的な見方をしていた。


「でもさ、さっきのタマ、コントロールミスだろ。矢野の得意な内角に入ってきたし。ああいうコントロールミスが増えてくりゃ、1点差なんて、あってないようなもんさ」


「だといいけどな」


「それとも何か? スクイズでもさせりゃ良かったか?」


しかし、それは出来ない相談だ。

三塁ランナーののどかは、スクイズのサインなんか知らないし、第一、女相手にスクイズなんて、男のプライドが許さない。


「……いや。まぁ、俺たちでなんとかすりゃいい話だ」


山崎が言い終わるやいなや、「カキーン!」という甲高い金属音がグラウンドに響いた。

御厨と山崎は、3番バッター中曽根なかそねの打球の行方を目で追う。

その瞬間、マウンド上の“りん”が、尻餅をつき、同時に掲げられた左手のグラブの中には、確かに白球が掴まれているのが見えた。


「……次だな」


山崎は、グラブをはめながら呟いた。

その言葉の裏には、「この程度の球に抑えられてたまるか」というプライドが見え隠れする。




3番バッター中曽根の痛烈なピッチャー返しを見事キャッチした“りん”に、A組応援席から惜しげのない歓声が捧げられる。

大村が、笑顔でマウンドに駆け寄った。


「ナイスキャッチ! 萱坂さん!」


「へへ……」


照れ笑いをしながら、ゆっくりと立ち上がった“りん”は、砂の付いたジャージの尻の部分をはたきながらベンチに戻った。

ベンチにドンと腰を下ろして、肩で息をしている“りん”に、大村が心配そうに声をかける。


「……大丈夫?」


「ん……まだ大丈夫」


とは言うものの、大村の目には、あまり大丈夫そうには映らなかった。


「とりあえず、ベンチで休んでおきなよ。少し時間をかけて攻撃するから」


大村は、この回の先頭バッターである新谷に、アウトになってもいいから、時間を稼ぐように指示した。

時間稼ぎ戦法……ちょっとカッコ悪いかもしれないが、和宏にとっては、正直言ってありがたかった。

次のE組の先頭バッターの山崎と対決するために、少しでも体力を回復させたかったからだ。


最初の対決では、隠していたカーブを決め球に使ったにもかかわらず打ち取れなかったので、次こそは……という思いが当然ある。

そのためには、大村の言葉に甘えよう……和宏は、素直にそう思った。


一球ごとに打席を外しての素振り。

ツーストライクまでは手を出さない。

そして、その後は、出来る限りファールを狙う。


そんな時間稼ぎ戦法もあって、ついに試合時間が50分を超えた。

つまり、このイニングが最終回である。

次のE組の攻撃……4回裏が、この試合の最大の山場になりそうだ。


5番バッター工藤のピッチャーフライで、4回表のA組の攻撃が終了した。

4番として、ツーストライクに追い込まれた後、8球ほど粘った大村が、申し訳なさそうな表情で“りん”に話しかける。


「ゴメン……あまり休めなかったね」


チーム全体で、“りん”を休ませるために、時間稼ぎをしてくれた……和宏にとっては、それで十分だ。

大きくかぶりを振った“りん”が、大村を元気付けるように答えた。


「そんなことないよ。結構休めたから。サンキュー!」


“りん”は、嬉しそうな笑顔を見せ、少しだけ軽くなった足取りでマウンドに向かう。


大村は、一歩一歩歩くたびに揺れるポニーテールと、その後姿を眺めることしか出来なかった。

さっきの“りん”の笑顔に、心臓が高鳴った自分を感じながら。

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