第36話 『Baseball Queen (7)』
幸いにも、球技大会日和とも言うべき晴天。
昨日の1年生の球技大会では、途中で小雨がぱらつき、肌寒く感じるほどの天気だったので、それに比べると今日は恵まれているといっていいだろう。
ただし、よく晴れている分……暑い。
マウンド上の和宏は、額に滲んできた汗を、ジャージの袖で拭った。
2回裏、E組の攻撃。
バッターは、野球部唯一の2年生レギュラーである4番山崎。
2ストライク2ボール。
この2ストライクは、いずれも痛烈な打球がファールになったものだ。
和宏は、一旦プレートを外し、ロージンで掌の汗を始末する。
同時に、天を仰いで、「フーッ」と大きく息を吐き出した。
(さすがに威圧感あるな……)
正直言って、ストライクを投げるのが怖かった。
どこに投げても打たれそうな気がする。
“男”の時のような、力のある球が投げられればいいのだが、“りん”の身体ではムリだ。
どんなに速球を投げようとしても、しょせんは時速100キロ程度のスローなボール。
球のキレとコントロールだけで勝負しているが、いくらコースを突いても、うまく打たれればそれまでである。
しかし、ピッチャーというのは因果なもので、例えバッターが怖くても投げなくてはならない。
和宏は、意を決して、大村のサインを覗き込んだ。
そのマウンド上の“りん”の動きを、山崎は、じっと観察していた……というか、観察し続けていた。
それも、バッターボックスに立ってからずっと……だ。
ロージンを拾う仕草。
マウンドを足でならす仕草。
キャッチャーのサインを覗き込む仕草。
これらを総じて“マウンド捌き”と言うが、“りん”のそれは流麗だった。
ただ、風に揺れる長いポニーテールと、女性らしい華奢な体つきだけが、その流麗なマウンド捌きに似つかわしくなかった。
(……まるで、どこぞの野球部のエース級のマウンド捌きだな……)
しかし、いかにマウンド捌きがこなれていようと、実際の球にはさして威力がない。
そのコントロールの良さを頼りに、バッターの苦手なコースを突いてくるだけだ。
それはそれで、やっかいなことではあるが、山崎の結論はたった一つ。
(……打てないはずはない)
大村のサインに、“りん”が力強く頷く。
例によって、流れるようなフォームのアンダースローから放たれたボールが、ベース手前でククッと右打席の山崎から逃げるように変化した。
(な!? カーブッ!?)
虚を突かれた山崎は、完全に体勢を崩された。
しかし、ストライクコースである以上、スイングを止めることも出来ない。
強引にバットを合わせた結果、「コキン」という情けない打球音とともに、力なく上がった打球が、ファーストの後方……ライト前にポトリと落ちた。
シングルヒット。
とはいえ、こんな当たりで納得できる山崎ではない。
(……カーブもあったのか……何者なんだよ、あの女)
一塁上の山崎は、マウンドを足でならす“りん”を見つめながら、心の中で呟いていた。
タイムを取った大村が、マウント上でビックリ顔の“りん”に駆け寄る。
その大村も、“りん”と同様に驚きの表情を浮かべていた。
「いやぁ……打ち取ったと思ったんだけど……」
「う~ん、スゴイね。初めてカーブを見せたのにね」
カーブ温存策……これが“秘策その2”である。
とりあえず、ストレートのみでいってみて、効果的な場面でカーブを使って虚を突く。
まさか、女子がカーブを投げてくるとは思わないだろうから、いざという時の有用な武器になると睨んでのことだ。
その思惑が見事に当たり、山崎が体勢を崩したところを見て、二人とも「打ち取った!」と確信したのだが、そこからライト前に運ばれてしまった。
伊達に、2年生レギュラーではない……ということだろう。
「とりあえず後続を抑えよう。カーブを持っていることがばれちゃったから、これからはカーブを交えてリードするよ」
「了解」
大村が、ドスドスという感じで、ホームベースに戻っていく。
その間、和宏は盛んに右手首を動かしていた。
(……なんか……ヘンな感じ?)
右手首に感じる、いささかの違和感。
しかし、マスクをがぶり直した大村が座るとともに、袴田の「プレイ!」という再開の合図がかかり、一旦それを忘れる。
一塁側のA組応援席からは、「りん~! がんばれ~!」という、沙紀たちの声援が聞こえてきた。
和宏は、応援席の声援に答えるついでに、一塁上の山崎をチラリと見る。
(……次こそは打ち取ってやるからな)
元来は、男らしい真っ向勝負が好きな和宏。
今さらながら、胸の内にフツフツと燃えるものを感じていた。