第35話 『Baseball Queen (6)』
“りん”にランニングホームランを打たれたのが、よほど悔しかったのか、御厨はA組の2番、3番、そして4番の大村までを、三者三振に打ち取った。
特に、同じ野球部のチームメイトである大村には、変化球まで織り交ぜた変幻自在の全力投球だった。
スコアは、1回表を終了して1-0である。
攻守交替で、マウンドに上がった和宏は、両手を上げて伸びを1回。
小高いマウンドの上の雰囲気は、先週のピッチング練習の時とは、また趣きが違う。
(やっぱり“ここ”はいいな……格別だ)
ひととおり感慨にふけった和宏が、大村に促されて投球練習を開始すると、途端にE組のベンチからどよめきらしきものが聞こえ始めた。
「なんだ? さっきの女、ピッチャーかよ?」
レフトを守っていた2年生レギュラーの山崎は、“りん”の投球練習を見て、明らかに驚いた口ぶりだった。
「しかも、アンダースローじゃん」
御厨もまた、山崎と同様に驚いた口ぶり。
(速いな……女にしちゃ、な)
それが、“りん”の球に対して抱いた、山崎の第一印象だった。
ただ、逆に言えば、男である自分にとっては大した球ではない、ということでもある。
「なるほどな……経験者ってことか。ただの女の打球じゃなかったしな。確か……萱坂って言ったっけ?」
前進守備だったとは言え、女に頭上を抜かれたのが悔しかったらしい山崎は、あの打球の鋭さに納得した。
それは、御厨も同様だった。
「……確か“萱坂りん”だったかな。一杯喰わされたよ。あんなキレイにジャストミートされるとは思わなかったし。おまけにいいスイングしてたぜ?」
とはいえ、二人にも、他のメンバーにも、まだまだ余裕があった。
差は、たった1点である。
すぐにとり返せる……と、誰もがそう思っていた。
E組の1番バッターは、野球部の“広瀬光星”だ。
ちなみにE組は、1番から5番までを野球部で固めた、自慢の重量打線である。
和宏は、マウンド上から、大村のサインを覗き込む。
外角低め……しかも、ストライクゾーンギリギリのところ。
(キビシイな……)
いきなりタイトな要求をしてくる大村に苦笑する。
しかし、それは逆に、大村が“りん”のコントロールを信用している証拠でもある。
大村のサインに頷いた和宏は、流れるようなフォームのアンダースローから第1球を放った。
アウトコース低め一杯……大村のサインどおりのストライク。
A組の応援席からは歓声が、E組の応援席からは「ほぉ……」という感心したようなため息が上がる。
続いて、2球目も同じコースでストライク。
広瀬は、早くも追い込まれる形になってしまった。
(やけにコントロールがいいな……)
広瀬が最初に抱いた感想がそれだった。
ストライクゾーンぎりぎりをキッチリついてくる……それも広瀬の苦手なコースである。
(大村の仕業か……)
広瀬は、「チッ」と舌打ちをしながら、キャッチャーの大村の方を振り返った。
キャッチャーマスク越しに目が合った瞬間、大村は不敵にもニヤリと笑う。
大村は、野球部のチームメイトの苦手なコースを、全て知っている。
その大村がリードしているのだから、そう簡単に絶好球は来ないだろう。
3球目もまた、さっきと同じアウトコース低めだが、今度は球一つ分ストライクゾーンを外れている。
広瀬は、自信を持って見送ったが、審判役の袴田の判定は「ストライク!」だった。
歓声が沸き上がるA組応援席。
広瀬は、納得いかないながらも、トボトボとベンチに引き上げると、待っていたように山崎が苦言を呈する。
「バーカ。2ストライクなんだから、クサイとこはカットしろよ」
「だってさ、明らかにボールだぜ?」
「審判は袴田だぞ? 本職の審判じゃないんだから判定もバラバラになるさ」
袴田は体育教師とはいえ、普段から野球の審判をしているわけではない。
審判としては素人同然なのだから、ストライクゾーンの取り方など、ばらついて当然である。
かなり真っ当な山崎の指摘に、広瀬はグゥの音も出なかった。
続く2番、3番も、大村の好リードと“りん”の非凡なコントロールの前に凡打を打たされ、なんとE組の野球部員たちが三者凡退になってしまった。
「いいわよ~! り~ん!」
「すご~い!!」
A組の応援席からは、凄まじいばかりの女子の声援だ。
和宏は、軽く手を振りながらベンチに戻り、代わって、E組の御厨と山崎らが、少し不機嫌そうに守備位置に散っていく。
「チェッ。なんか雲行き怪しいぜ……」
山崎は、誰にも聞こえない独り言を呟いた。