第31話 『Baseball Queen (2)』
グラウンドに到着すると、まだ野球部の姿はほとんどなく、ユニフォームを着た1年らしき人影が3人ほど、グラウンドの隅にたむろしているだけだった。
野球部室から、グラブとキャッチャーミットと軟式ボールを取ってきてくれた大村は、キャッチャーミットを自分ではめ、グラブとボールを“りん”に手渡す。
「そ、それじゃ、ラクに行こう!」
大村なりに、優しい笑顔を見せたつもりだったが、なぜかその表情はぎこちない。
女子と会話をする経験が少ないためか、“りん”との会話に、緊張しているのがよくわかる。
早速、“りん”は、手渡されたグラブを左手にはめてみた。
よく手入れがされた、ピッチャー用のグラブ。
野球部で、大切に扱われているのがよく伝わってくる。
ボールは硬式ではなく軟式のA球だったが、中学校までは軟式でやっていたので、和宏にとっては特に問題はない。
(……うぅ……久々だなぁ……)
グラブをはめた感触。
ボールを握る感触。
グラウンドの土の匂い。
感慨深い思いを込めて、“りん”は、少しずつ後ずさりしていく大村に向かってボールを放った。
そして、そのボールが、コントロールよく大村の胸元にビシッと決まる。
それだけで、男子たちからは、「おお~」というどよめきと拍手が沸き起こった。
さらに、大村からのゆるい返球を、難なくグラブでキャッチする“りん”を見て、再び沸きあがる男子たち。
沙紀の「へぇ、やるじゃない」という表情、東子の「スゴイスゴイ!」という表情がはっきりと見て取れる。
(……いいコントロールをしているな)
大村は、寸分違わず胸元に投げ込まれる“りん”のタマに感心しながら、昔やっていたというのは本当だろう、と確信していた。
それほど、“りん”のキャッチボール姿はサマになっている。
20球ほど続けたところで、「そろそろかな……」と呟きながら、大村はキャッチャーミットを構えて座った。
「さぁ! 思いどおり投げてきて!」
場の雰囲気が、ピンと張り詰める。
さっきまで、やいのやいの騒いでいた男子たちも、沙紀と東子も、セットポジションに入った“りん”に注目した。
「ふーっ」と息を吐く“りん”。
そして、ミットを構える大村を見据えながら、大きくテールバックモーションをとった。
(……っ! アンダースロー!?)
振りかぶった腕がしなり、かなり地面に近い位置からリリースされたボールが、独特の軌道を描いて、大村のミットに収まる。
ほぼ、ど真ん中……ストライク、だ。
男子たちが、さっきよりも騒がしい歓声を上げ、沙紀と東子も「すご~い!!」という声を上げる。
その声に力を得たかのように、“りん”はピッチングフォームを微調整しながら、球数を増やしていく。
球速は決して速くないが、大村の構えたミットにきっちりと収まるコントロールは賞賛に値した。
腕を振り抜く度に揺れるポニーテール。
投げ終わった後、風にたなびくえんじ色のスカート。
そのスカートがフワリと浮く度に、わずかばかり露出する白い太もも。
殺風景なグラウンドで披露されているそれらは、相当に刺激が強かったらしく、いつの間にか、遅れてきた野球部員や帰り際の生徒たちなどが、グラウンドの周りに人垣を作っていた。
「なんだ? あの人だかり?」
「なんか、女子が制服のままでピッチング練習してるらしいぜ!」
「なに? そのシュールなシチュエーション?」
生徒玄関を出てきた生徒たちが、そんな会話を繰り広げながら、人垣に加わっていく。
そんな状態であるから、その人だかりの人数は、急速に増えつつあった。
「失礼します」
礼をして、職員室から退室したのどかは、そのまま生徒用玄関に向かった。
少々時間が早いが、今日は、生徒会長としての用務もないので、早く帰っても問題はないだろう。
のどかは、生徒用玄関で靴を履き替えていると、外の方が何時になく騒がしいことに気付いた。
外に視線を移すと、グラウンドに人だかりが出来ているのが、ガラス越しに見える。
(……?)
普段ならば、ありえない光景に、のどかは首を傾げながら、その人垣に加わっていった。
だが、のどかの身長では、背伸びをしてもグラウンドを見ることが出来ない。
人垣の後ろをウロチョロして、ようやく見つけた人と人の間の隙間から、グラウンドの様子をのぞき見することに成功したのどかは、もともと大きい瞳をもっと大きくして驚いた。
(……和宏っ!)
見慣れた長いポニーテールを、右に左に揺らしながら、ピッチング練習に夢中になっている“りん”の姿。
夢中になりすぎて、この人だかりにすら気付いていないようだ。
(……スカートのままで……何やってんだか……)
“りん”を見るのどかの顔は、すでに呆れ顔だった。
1球投げるたびに、めくれ上がるスカート。
その度に、あちらこちらから男子生徒たちの歓声が上がる。
「あーー! 惜しいっ!」
「もぉちょいっ!!!」
“りん”のスカートは、校則どおりひざ下までの長さである。
多少激しい動きをしても、パンツが見えてしまうことはないだろうが、大多数の男子生徒にとって、刺激的な眺めであることには間違いなかった。
「……やれやれ」
のどかは、そう呟いて、ため息をついた。