第23話 『Restart』
月曜日の朝。
のどかに教わったとおり、ポニーテールを結んだ和宏は、気持ちを引き締めて部屋を出る。
下に降りると、朝食の済んだことみが、仕事に出かける準備を繰り広げている最中だった。
「あらぁ、今日は早いのねぇ。」
「うん。ちょっとね。」
「さては・・・カレシと一緒に・・・。」
また、ことみ母さんの暴走が始まったので、和宏は、あえて話を合わせずに急いでいる振りをすることにした。
玄関で、座って革靴を履きながら、備え付けの鏡を覗き込む。
えんじ色のセーラー服に黄色いスカーフとポニーテール。
そして、心なしかキリリとした“りん”の顔。
正直なところ、沙紀とも東子とも、顔を合わせるのは非常に気が重いのだが、今後のことを考えるとそうも言っていられない。
避けては通れない道だ。
(まぁいいや。なんとかなるだろ。)
和宏の特殊スキルが、今再び発動された。
いつだって前向き・・・これが和宏のいいところだ。
和宏は、頬っぺたをパチンと叩いて、改めて気合を入れ直した。
「いってきますっ!」
ここ数日は晴天続きだ。
今日も、雲一つない青空が広がっている。
こんな月曜日もいいもんだ・・・和宏はそう思った。
学校が近づくにつれ、登校する生徒の数が増えてくる。
その生徒の群れの中には、並んで歩いている沙紀と東子もいた。
(・・・行くぞっ!)
和宏は、表情を引き締めて、もう一度気合を入れ直す。
そして、背後から沙紀と東子に近づき、努めて明るく声をかけた。
「おはよっ!」
驚いて振り向く沙紀と東子。
和宏は、素早い動きで沙紀の背後にぴったりくっつき、必殺の“ヒザカックン”を仕掛けた。
思いもかけない和宏の攻撃に、沙紀のヒザはカクンと折れてバランスを崩す。
ヒザカックン大成功だ。
そのスキに、和宏は二人を追い抜いていく。
そして、途中で振り返って、沙紀と東子に向かって叫んだ。
「早く行かないと遅刻するぞっ!」
それだけ叫んで、また走り出す和宏。
沙紀と東子は、キョトンと顔を見合わせた。
「・・・どうしたんだろ?」
「さぁ?・・・でも、なんか『吹っ切れたっ!』って感じ?」
東子は、その吹っ切れた様子の“りん”を目で追いながら、クスクス笑った。
「ふ~ん・・・。ま、何があったか知らないけど・・・いいんじゃない?」
沙紀は、嬉しいことでもあったかのように、ニンマリと笑う。
そして、身体をウズウズさせながら、「よ~し・・・」と呟いた。
「こらっ!りん!女子バスケ部次期キャプテンの私の脚力を舐めないでよね!」
沙紀は、威勢のいい台詞を吐きながら、先を走る和宏を追いかけ始めた。
和宏は、走りながらも、ちょくちょく振り返って、沙紀と東子の様子を伺っていたが、猛然と走り出した沙紀に目を丸くする。
(おわっ!沙紀はえぇ!)
豪語するだけあって、沙紀の足は速かった。
その差がどんどん詰まっていく。
「女子バスケ部万年補欠候補のアタシの脚力も舐めないでよね!」
東子も、沙紀のマネをするかのような台詞を吐きながらドタドタ走る。
その足は、明らかに和宏より遅かった。
(東子おせぇ!)
そう思った瞬間、沙紀の右手が、和宏の右肩をガッシリ掴んだ。
「つっかまえたっ!」
沙紀は、そのまま和宏の頭を抱え込み、ヘッドロックの態勢に入る。
その一連の動作は、妙に手馴れていた。
「イダダダダダダッ!!!」
情け容赦ない沙紀の責めに、悲鳴を上げつつ少し涙目になる和宏。
ようやく東子が追いついて、「まぁまぁ、とりあえずそれくらいで。」と合いの手を入れる。
ヘッドロックから解放された和宏は、右手で頭を押さえながら、ボソッと呟いた。
「沙紀・・・力強すぎ。」
「・・・私のアイアンクローも喰らいたいみたいね?」
右手をワキワキさせる沙紀の目が、冷たく光ったのを和宏は見逃さなかった。
「本気でやる気だ。」と、和宏は確信する。
「ゴメンさない。もお言いません。」
「よろしい。」
満足げに頷く沙紀。
和宏は、「コイツ、絶対いじめっ子だ。」と思った。
そんな二人のやり取りを聞きながら、東子はクスクス笑っていた。
「りん、髪型変えたねっ♪」
東子は、和宏の髪型に目ざとく気付いた。
そういえば・・・という感じで沙紀も遅まきながら、和宏の髪形に気付く。
「あっ、そういえばポニーテールね。」
(沙紀さん・・・。ヘッドロックの時に気付くべきではないでしょうか・・・。)
通学中の他の生徒が、三人を追い抜きざま「何やってんだコイツら。」的な好奇な視線を向けるが、それにも構わず立ち止まったままの3人。
沙紀と東子は、和宏の髪型を「へー」とか「ほー」とか言いながらしげしげと眺める。
見世物状態になっていることに気付いた和宏は、照れ隠しも含めて2人に聞いた。
「・・・似合うかな?」
「うん。全然似合ってるわね。」と、少しヘンな日本語で答える沙紀。
「そうそう。むしろ・・・そっちの方が“りん”らしいかも。」と、東子。
そんな沙紀と東子の答えに、和宏の顔が思わず綻ぶ。
そして、沙紀と東子もまた、“りん”の笑顔を見て、笑顔になる。
3人の間の空気が軽い・・・まるで、金曜日の気まずさが嘘のように。
「よし!じゃあ学校まで競争!・・・一番ドベは、今度パフェを奢るってことで!」
沙紀が、勝手にルールを決めて、勝手に走り出してしまった。
今度は、和宏が沙紀を追いかける番だ。
「よっしゃ!その勝負乗ったっ!」
「いや~ん!アタシの負け決定じゃないっ!」
和宏に続いて、東子も沙紀を追いかけて走り始める。
ドタドタと走る東子は、かなりの鈍足だ。
その不恰好な走り方に、立ち止まった沙紀と和宏は大声で笑った。
5月の空は、澄んだ青色。
今の和宏の目には、それは殊更青く美しく映った。
『きっとうまくやれるよ。』・・・昨日の、のどかの言葉に答えるかのように、和宏は呟く。
「そうだな・・・。うまく・・・やれそうだよ。」
3人を、優しく包み込んでは通り過ぎていく5月の蒼い風が、“りん”のポニーテールを、ふわりと揺らしていった。




