第22話 『A trouble in Sunday (8)』
間もなく17時。
なぜ、休日は終わるのが早いんだろう。
そんなことを思わずにいられないほど、今日という日はあっという間に過ぎ去っていってしまった。
とりあえず、駅まで到着した二人は、和宏の帰りの電車の時間と、のどかの帰りのバスの時間を調べてみた。
すると、のどかのバスの方が時間が早かったので、二人は駅前のバスターミナルの6番乗り場でバスを待つことにした。
6番乗り場には、すでにバスが1台止まっていたが、行き先は別方向のようだ。
おそらく、次に到着するバスが、目的のバスだと思われた。
和宏は、さっきのどかに結んでもらったポニーテールを触りながら、まるで独り言のようにのどかに話しかけた。
「なんだか、今日一日・・・めちゃくちゃいろんなことがあったなぁ。」
「そうだねぇ。」
のどかは、少し薄暗くなってきた空を見上げながら答える。
その様子は、なにか考え事をしているようにも見えた。
続かなかった会話。
時間だけが、二人の間でゆっくりと流れていった。
そうしている間にも、各乗り場には、いろんなバスが到着しては発車していく。
6番乗り場に止まっていたバスも、クラクションを鳴らして発車していった。
それを合図にしたかのように、空を眺めていたのどかが、和宏の方を向き直した。
「実はね、和宏に言わなくちゃいけないことがあるんだ。」
「・・・?」
「この前、『振舞いに気をつけて』って言っただろう?」
「ああ、言ってたなぁ。」
その台詞は、和宏もよく覚えていた。
『そんなこと言われてもなぁ』って思ったのも、よく覚えている。
「アレね・・・“りん”の真似をしろってことじゃないんだ。」
「・・・えぇ?」
(振る舞いに気をつけて・・・は、“りん”のように振舞えってコトじゃない!?)
(・・・イミがわからん???)
今、和宏の頭の中では、ものすごい勢いで「ハテナマーク」が駆け巡る。
のどかは、そんな和宏の鼻先に、人差し指を突きつけながら言った。
「つまりさ、あまり気にしすぎるなってこと。」
「ええ~!言ってること違うじゃん!!」
和宏は、口を尖らせた。
“振る舞いに気を付けろ”と言われたからこそ、“りんのように振舞わなくては”と思ったというのに。
それで、どれだけ苦しんだコトか。
「アハハ。言葉足らずでゴメン。でもね・・・。」
のどかの表情が、突然真剣なものに変わり、その大きい瞳は、和宏を真っ直ぐ見つめる。
「和宏が・・・“りん”になることなんて出来ないんだよ。」
「・・・。」
それは、まるで和宏を諭すような言い方だった。
そして、和宏は、のどかの大きな瞳の中に吸い込まれそうな錯覚を感じながら、息を飲んだ。
「だから、和宏なりの“りん”・・・でいいと思うんだ。」
「え・・・でも、それじゃすぐにバレるんじゃね?」
“りんの口調”をやめてしまえば、周りはすぐにおかしいことに気付くはずだ・・・と和宏は思う。
しかし、のどかは、首を横に振った。
「・・・人は、変わるものだからね。」
「・・・変わる?」
「その髪型のように・・・さ。」
のどかは、和宏の頭を指差した。
反射的に、ポニーテールを触る和宏。
「よく似合ってるよ、和宏。」
そう言って、ニッコリと微笑んだのどかの表情に、和宏は「ドキッ」とした。
本当に唐突な胸の高鳴りに、和宏は動揺を隠せない。
(・・・か、かわいい・・・。)
夕陽に照らされたのどかの顔が、いつもとは違う雰囲気だ。
思わず見とれてしまったことに気付いた和宏は、慌てて自分の感情を打ち消す。
(・・・かわいいって・・・待て!中身は男だから!落ち着け俺っ!)
しかし、落ち着かなきゃと思うほど、顔が赤く染まっていく。
ちょうどその時、のどかの乗るバスが、目の前の6番乗り場に入ってきた。
「プシュー」という音とともに乗車口のドアが開き、『お乗りの方は整理券をお取りください。』という運転手のアナウンスが、のどかに乗車を促す。
アナウンスに従って乗り込んだのどかは、和宏の方に振り返った。
「大丈夫。きっとうまくやれるよ。“りん”のことをちゃんと思いやれるキミなら。」
乗車口のドアが閉まったのは、のどかがそう言い残した直後だった。
扉の向こうから、笑顔で手を振るのどかに、和宏もまた手を振り返す。
のどかを乗せたバスは、クラクションと豪快なエンジン音とともに走り去っていった。
「・・・きっとうまくやれるよ・・・か。」
和宏は、未だに収まらない胸の高鳴りを感じながら、ひとりごちた。
和宏が家に帰るなり、キッチンで夕食の準備をしていたことみが素っ頓狂な声を上げる。
和宏にとっては、大方予想していたことではあったが。
「まぁ!!りんっ!!どうしたのその髪っ!!」
「う、まあ。ちょっと。・・・似合う?」
「似合うわよぉ~!!お母さんの若い頃そっくり!!」
(・・・ホントか・・・?)
にわかに胡散臭く感じる話に、和宏は、ジト~っと疑惑の目をことみに向ける。
「ホントよぉ~!これでも『ポニーテールのおことちゃん』って言われてたんだからぁ!」
(言われてたんじゃなくて、自分で言っていたんじゃないのか・・・。)
限りなく嘘っぽく感じる話だが、和宏は追及するをやめ、部屋に戻って部屋着に着替えた。
すぐに「晩ごはんよぉ~!」ということみの声が聞こえたので、ダイニングに行くと、夕食のおかずは肉じゃがだった。
お腹がペコペコの和宏は、早速食べ始めようとするが、ことみがガマンしきれない感じで口を開く。
「で、で、で、今日のデートはどうだったのぉ?」
今にも口に入れようとしていたジャガイモが、和宏の箸からツルリと逃げていく。
落ちそうになったジャガイモを、茶碗でうまくキャッチして事なきを得たのは幸いだった。
「・・・デートじゃないよ。」
「またまたぁ。隠さなくていいのよ~?。こう見えてもお母さん口が堅いんだからぁ。」
和宏は、喉まで「ダウトッ!」と出かかったが、かろうじて口に出さずに済んだ。
ことみの性格からいって、“口が堅い”とは到底思えない。
辛うじて口に出さずに留めたのは、ひとえに和宏の優しさの発露である。
「ポニーテールがカレシの好みなのぉ?ね、ね、ね?りん?」
興味津々な態度を隠しもせずに、身を乗り出すように質問してくることみ。
その瞳は、“好奇心”によってキラキラ輝いている。
和宏は、呆れている気持ちを悟られぬよう、ゆっくり息を吐いて、ニッコリと微笑みながら言った。
「・・・お母さん?」
「なぁに?」
「・・・ゴハンを食べるのが先でしょ?」
「・・・はぁい。」
まるで、子どもを諭すかのようなやりとりだが、ことみは全く悪びれない。
この分では、“りんにはカレシがいる”という、ことみの中に誤インプットされてしまった重要情報を、正しく書き換えるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「そういえば、りん・・・髪型が変わって、なんかしゃべり方も変わった~?」
(!?・・・ヤバ!?)
あえて、“りんの口調”をやめてみた和宏だったが、やはり裏目に出たのかと顔を強張らせる。
しかし、ことみの口調は、相変わらずの間延びっぷりだった。
「いい感じよぉ~。“イメチェン”って感じねぇ♪」
(・・・はぃ?)
どうやら、知らない間にピンチを脱してしまったらしい。
和宏は、ホッと胸を撫で下ろすと同時に、のどかの言葉の意味が少しわかったような気がした。
『和宏なりの“りん”』
“りんの口調”を意識せずとも、“りん”として、すごく自然にことみと話をしている自分。
皮肉なもので、あのこっ恥ずかしい“りんの口調”を意識しないようにする方が、より自然に“りん”でいられるような気がする。
ひょっとしたら、これで沙紀や東子とも自然に話が出来るかもしれない。
・・・他人行儀だなんて言われることなく。
―――きっとうまくやれるよ。
のどかの言葉が、再び和宏の頭の中に蘇る。
そして、今なら素直にその言葉を信じることが出来そうだ。
明日に向けて、心が晴れた心地の和宏。
そこに、晩ごはんを食べ終わったことみが、当たり前のように・・・さっきの話の続きを始めた。
「で、カレシはどんなコなの?ね?ね?・・・りん?」
(・・・。)
どうやら、この日曜日の終わりに、またもやこの手ごわい敵と戦う羽目になってしまったようだ。
和宏は、うんざりしながら首をうなだれた。