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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第三部
160/177

第157話 『初回の攻防 (4)』

パラパラとした小雨が、絶え間なく球場を降り包んでいる。

頭上を覆い尽くす濃いグレーの雨雲と相まって、どこか物憂げな空。

そんな空模様と連動するように、鳳鳴側ベンチと観客席のムードは沈み込んでいた。


打席に立つのは、七番のキャッチャー松岡。

この松岡と“りん”の対決は、以前の練習試合の時以来、これが二度目である。

一度目の時は辛うじて打ち取ることが出来たものの、同じ奇策スローボールが再度通用するとも思えない。

相変らずスキのない松岡のバッティングフォームを見て、“りん”は投げにくさを感じながらもセットポジションに入った。


バックスクリーンの大きな電光スコアボードの下に配されたSBO形式のカウント表示が、現在の状況を克明に映し出している。


“S”の黄色の丸が二つ。

“B”の緑色の丸が三つ。

いわゆるカウント“ツーストライクスリーボール”。

そして、“O”の赤色の丸が一つ。


電光による得点表示の欄には、一回表の鳳鳴が“0”であるのとは対照的に、一回裏……攻撃中の滝南に“2”が点灯していた。

さらに悪いことに、一塁、二塁、三塁……全てのベース上が滝南のランナーに埋め尽くされている。


二対〇……ワンアウト満塁フルベースという状態。


息の詰まりそうなピンチが続く中、大村の股間近辺にキャッチャーミットで控えめに隠されたサインが出た。

右手の人差し指と小指を立てた、影絵でいうところの“きつね”の指の形だ。


(スライダー……か)


事前に二人で決めたスライダーのサイン。

続けて、大村は右打者である松岡の内角ギリギリにミットを構えた。


(マジか。ぶつかっても知らねぇぞ……)


“りん”のスライダーは、右打者から見て、内角から外角へ大きく曲がる。

それを内角ギリギリに収めようとすれば、どうしても死球デッドボールの危険性が増してしまう。

しかし、今は“満塁”という状況……死球による押し出しは絶対に許されない。

“りん”は、無茶振りにも似た大村のサインに苦笑いを禁じえなかった。


ランナーに注意を向けながら、左足を上げてピッチングモーションに入る。

ボールの握りやリリースのタイミングに細心の注意を払って放たれたボールは、打者・松岡の胸元に狙いを定めたように向っていく。


自身の身体目掛けて真っ直ぐ向ってくるボールに、目を剥いてのけぞる松岡。

かろうじてデッドボールを避けた……と思ったのもつかの間、その行為をあざ笑うように、ボールは大きくコースを変えた。

大村が構えるミットへ……まさに大村が要求したとおりの軌道ストライク

まんまと裏をかかれた松岡は、思わずほぞを噛みながらも、三振だけは避けたい一心で、泳いだ身体を立て直しながら強引に打ちにいった。


響くジャストミートのカン高い音に、“りん”は端正な顔を一瞬歪ませる。

体勢を大きく崩されながらも高々と打ち上げられたフライは、雨を切るように右翼へと飛んだ。


「ライトッ!」


“りん”の澄んだ声がグラウンドに響き渡った。

もちろん、ライトの倉木は言われるまでもなく打球を追っている。


鳳鳴の観客席からは、沙紀たちの悲鳴ともつかぬ声が上がった。

万が一ホームランになろうものなら一気に四点追加。試合の行方は初回にして決定付いてしまう。

“りん”は、祈るような目つきで打球の行方を見守った。


ライトフェンスギリギリのところ。

目一杯伸ばした倉木のグラブに、魔法のようにすっぽりとボールが収まった。

同時に、三人のランナーが一斉にタッチアップした。

三塁ランナーは悠々とホームインし、倉木が慌ててボールを二塁に戻すも、一塁ランナーの進塁すら阻止することは出来なかった。


三点目――。


なおも二塁と三塁にランナーを置くピンチが続く。

“りん”は、心中に渦巻く焦燥感を振り払うかのように大きく息を吐き出した。


 ◇


滝南ベンチには、特に湧き立つような歓声が上がることもなく、三点目をもぎ取ったことについても『当然』といった雰囲気が漂っていた。

試合終了までに何点取れるか……といった楽勝感とともに。

ヘルメットを抱えながらベンチに戻ってきた松岡は、ベンチの雰囲気を真っ先に察し苦々しく笑った。


「随分とお粗末なスイングだったな」


ニヤニヤと薄ら笑みを浮かべた上地が、突っかかるような言い方で松岡に話しかけた。

そんな上地の腹立たしい態度を半分予想していた松岡は


「……思ったよりコースが厳しくてね」


と、目を合わせずに涼しい顔で答えた。

実際に来たボールは、間違いなくデッドボールと思わせる軌道から手元で鋭くストライクコースに変化する厳しいスライダーだった。

むしろ、身体を泳がせながらもフェンス際まで運んだバッティングの方が賞賛されて然るべきケースである。

それを少なからず感じたのか、上地はこれ以上突っかかることなく、面白くなさげに鼻を鳴らしていた。


「彼女が手強くなるのは……多分二巡目からだよ」


「あん?」


アングリと口を空けて怪訝な顔をする上地を尻目に、松岡はベンチを立って、トイレに行くために球場内通路に出るドアを開けた。

通路に出て、後ろ手にドアを閉めると、球場内のざわめきは別世界の出来事のように遠くなった。


(確か“大村”といったかな……あのキャッチャー)


松岡は、誰もいない通路を歩きながらポソリと呟いたが、自らが出すスパイクと床の擦れる音にかき消された。


同じ捕手キャッチャーだからこそわかる。

この回の妙に冗長な配球は、打者を抑えようとするものではなく、打者の弱点や気質などを深く探るものであるということが。

その証拠に、二度目の対戦となる松岡に対する配球だけは、明らかに厳しいコースを突いて打ち取ろうとするものだった。


だが……と、松岡は考えを巡らせた。


冗長な配球は、投球数を飛躍的に増やしてしまう。

女性である“りん”にとって、相当な体力の負担になるはずだ。

何より、そこまでしても、二巡目以降を確実に抑えられる保証すらない。


無意識に立ち止まり、一寸考えた松岡は、最終的に『いずれも覚悟の上だろう』と結論付けた。

“りん”が滝南打線に対抗する方法としては、例えどんなに分が悪くとも、おそらくそれがベストだからだ。

それでも、実際にその戦術を選択するとなれば、並大抵の度胸では出来るはずもない。

大した思い切りの良さだ……と松岡は思った。


 ◇


鳳鳴の観客席から、どよめきとタメ息がもれた。

安定した制球力を誇る“りん”にしては、珍しい四球フォアボール

大村のサインどおりに投げた、最後のきわどいコースのカーブを“ボール”と判定されてしまった結果である。


ツーアウト二塁三塁が、ツーアウト満塁に変わった。

塁がすべて埋まって守りやすくなったともいえるが、引き続きピンチであることは間違いない。

押せ押せムードの滝南。九番バッターが左打席に入った。


(九番か……)


背番号“1”……バッターボックスで構えるのは、投手の遠藤である。

通常、バッティング練習よりもピッチング練習に時間を割くピッチャーは打撃力に劣ることが多い。

しかし、この遠藤に限っていえば、つい最近まで野手だったのだから、標準以上の打撃力を持っているのは間違いないだろう。


(つまり、一番から九番まで息つくヒマのない打線……ってことだな)


“りん”は、苦笑しながら、ピッチングプレート横に置かれたロージンバックを拾い上げた。

汗のにじむ右の掌に、入念に白い粉をまぶしていく。

それが終わるのを待って、主審がロージンバックを尻ポケットにしまうように“りん”に指示した。

マウンド上に置いたまま雨に濡れてしまえば、滑り止めと言う本来の機能を失ってしまうからだ。

指示通りロージンバックをしまい込んだ“りん”は、改めて大村のサインを覗き込んだ。


(初球からボールになるスライダー……?)


スライダーは、“りん”の最大の決め球(ウィニングショット)である。

それだけに、大村は配球の組み立て上、初球からスライダーを使うことはほとんどなかったが、今回はあえてそれを要求してきた。

遠藤を強く警戒しているのがよくわかるリードだった。


“りん”は、大村のいうとおり、ストライクコースからわずかにボールになるスライダーを放った。

滝南の一軍の打者が当たり前に持つ選球眼を持ってすれば、明らかに見逃すべきボール球。

だが、遠藤はあえて打ってきた……内角に喰いこんでくる“りん”の最大の武器であるスライダーを。


ジャストミートの快音とともに、痛烈な打球がセカンド・たきの正面を襲う。

打球の勢いがハンパなかったことに加え、ここまでの滝南打線に、初球からのヒッティングがほとんどなかったことから、少々不意を突かれたのかもしれない。

いささか逃げ腰で差し出したグラブを嘲るように弾いたボールが、マウンド上の“りん”の足元に転がっていく。

慌ててボールを拾い上げた“りん”は、迷わずバックホームによるフォースアウトを狙った。

いうまでもなく、これ以上の失点を防ぐために、だ。

しかし、三塁ランナーは、そんな“りん”をせせら笑うかのように、もうホームを駆け抜けていた。



――TO BE CONTINUED

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