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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第三部
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第145話 『甲子園への道 (6)』

「正確に言えば、甲子園予選に参加できる……というお話だけどね」


直子は“甲子園への道”という言葉の語弊を避けるために、そう言い直した。

だが、和宏にとっては、それで十分だった。

“身体が女性りんである”ということだけで、高校野球から締め出されている現状においては、それこそが和宏の望みだったからである。


おそらく、これまでの長い日本高校野球の歴史において、女子が男子に交じってプレーするなど、ただの一度もなかったに違いない。

そんな中、高野連の会長が『それを認めてやる』と言っているのだ。

もちろん、その言葉だけで信用することは困難だが、当の本人が直々に観戦に来るというのならば話は変わってくる。

ただの戯言に、高野連会長ともあろう人がわざわざ遠い福岡まで来るはずがないからだ。

しかも、公式戦でもない“ただの練習試合”を観る為に。


事ここに至っては、和宏も信じざるを得なかった。

勝てば、本当に甲子園への道が拓ける……ということを。


「萱坂さん。この試合の意味……わかるわね?」


直子が、確かめるように“りん”に尋ねた。

まるで、“覚悟”を要求しているような聞き方だった。


「はい……」


負ければ次はない。言わば、甲子園を目指すためのラストチャンス。

もし“瀬乃江和宏”に戻れなかったら、もう甲子園を目指すチャンスは永遠に潰えるのだ。

身震いするほどのプレッシャーだった。


「でも、どうしてわざわざそこまでしてくれるんですか……?」


“りん”は、唯一つ残った疑問を口にした。


この試合をセッティングするために直子が費やした時間と労力はいかほどだったであろうか。

和宏には知る由もないことであるが、相当の尽力だったであろうことは容易に想像がついた。


堂丸に条件を飲ませつつ、東京から福岡での試合に招待したこと。

二軍の相手にピッタリ……と評していた鳳鳴高校の相手に、滝南の一軍を充てたこと。


そのいずれもが、タフな交渉と調整を要したであろう。

直子にとって、“りん”は赤の他人でしかない。

“甲子園に行きたい”という和宏の意思を実現するために、ここまで親身になってくれる直子を、和宏が疑問に思うのもムリはなかった。


「そうね。一言で言うなら……“夢の続き”が見たいから……かしら」


ちょっと考えた直子は、少し恥ずかしそうに笑いながら、そう言った。


「夢の続き……?」


「私ね……小学校の頃から野球を始めて、そこらの男の子には負けなかったの」


和宏は、思わず夏美の姿を思い出した。

今の直子の姿からは想像するのも困難だったが、きっと夏美のようにお転婆な幼少の頃があったのだろう……と、和宏は思った。


「でも、中学、高校になるにつれて、だんだん男子にはかなわなくなって……ついには同じ舞台にすら立つことも出来なくなった。ちょうど今の萱坂さんみたいに……ね」


高校生になる頃には、男子と女子の体力差はいかんともし難くなっていく。

両方を経験した和宏は、それを痛いほどよく知っている。

そして、その体力差を理由に、女子は高校野球から締め出されるのだ。


「性差は確かにあるんだから仕方ないんだけど、当時の私には納得できなくて。そんな時に“例のチャンス”を得たの」


『次の試合に勝てたら、アンタを甲子園に出られるようにしてやろう』……という若き日の直子と堂丸の約束。


「でも、負けちゃった。それも大惨敗」


直子は、自嘲気味に笑いながら肩をすくめた。


「これだけの惨敗なら、いっそのことキッパリと諦めがつく。そう思ったんだけど……」


「そうじゃなかった……?」


「そう。どうしてだと思う?」


イタズラっ子のような表情で、“りん”の顔を覗き込む直子。

普段の大人っぽさとは一線を画した子どものような表情に、“りん”はドギマギしながら「さ、さぁ……」と答えた。


「夏美……よ」


「夏美……?」


「夏美が小学校に入ってすぐの頃、野球に興味を持ってくれたの。きっと上級生の男の子たちに感化されたんだと思うけど」


和宏が野球を始めたのは小学四年生からだ。

それに比べて、夏美は小学一年生から。

そのキャリアの違いに、和宏は心の中だけで苦笑した。


「きっと、私の中で燻っていた火種に火がついちゃったのね。だから、夏美が野球を始めてくれただけで嬉しくて。いつか私の夢を引き継いでくれたら……なんて考えるようになっちゃったのよ」


いつかは甲子園へ――。

直子は、興奮気味になりながら、熱っぽく続けた。


「でも、私は仕事が忙しかったからあまり付き合ってあげられなかったの。それで、代わりに皮のグローブや本物の硬球……ついには野球の練習場所まで買い与えたりなんかして」


「れ、練習場所……!?」


まさか……。そう思いながらも、和宏は確信した。

住宅街の一角にある場違いな空き地。直子のいう練習場所とは“あの場所”のことに違いないということを。


「ふふふ……。親バカよね。自分でもよくわかってるんだけど」


直子は、目を細めながら、可笑しそうに笑った。

和宏も返す言葉がなかった。確かに親バカとしか言いようがなかったからだ。


「でもね……」


“あの場所”が夏美と貴女を出会わせてくれた――。




優しく“りん”を見つめる、直子の気品ある瞳。

桜色をした艶やかな唇は、しっとりとした輝きをとともに、ほのかな笑みを作っていた。


「そう考えるとね、私の親バカも決して無駄じゃなかった……って思うわ」


そのとおりだ……と和宏は思った。

“りん”と夏美が出会った、あの妙な空き地。

この“甲子園への道”は、そこから始まったのだから。


「夏美は、貴女のこと……いつも話してくれるの。『りん姉にアンダースロー教えてもらった!』って。そして、この間の練習試合で、偶然にも貴女のピッチングを目にすることが出来た。本当に素晴らしいピッチングだったわ」


「い、いえ……あれは、その……」


ストレートな褒め方に、“りん”の頬が次第に赤く染まっていく。

本来ならば「あれは自分の力だけじゃなくて、キャッチャーの大村クンのおかげです……」と言うべきところであったが、口篭ってしまい、スッキリと口から出すことは出来なかった。


「ふふ。カワイイのね、貴女は。夏美が気に入るわけだわ」


カワイイって言われた――!

なんだかちょっと悔しいような。

ただひたすら恥ずかしいような。

そんな思いを頭の中によぎらせながら、和宏は顔がさらに火照っていくのを感じた。


「そんなわけでね。昔、私が超えられなかった壁を、()()()()超えてくれるかも……そう思ったのよ」


自分が叶えられなかった夢を“りん”に託す。

“夢の続き”とは、つまりはそういうことだろう。


さてと……そう口に出しながら、直子は立ち上がった。


「そろそろ行くわね。用事も済んだし。あまり長居をすると、お宅の校長先生に怒られちゃうわ」


冗談めかした言い方をして、上品に笑いながら出入り口のドアに向かって歩き出した直子を、“りん”は慌てて呼び止めた。


「あ、あの!」


「……何かしら?」


「最近、夏美を見てないんですけど……」


“あの場所”に夏美が来なくなってから、もう三日目。

今までは、用事等で来れない日があっても、その翌日には必ず顔を見せていた娘である。

和宏でなくとも、気になるのは当然だった。

だが、そう聞いた瞬間、今にもドアを開けようとしていた直子の動作がピタリと止まった。


(……?)


直子の背中を見つめる“りん”の目に、怪訝なものが混じる。

思わず首を傾げたくなるような不自然な間。

ここまでずっと、大人の女性としての余裕を見せていた直子が初めて見せた動揺だった。


「あの……?」


遠慮がちな“りん”の声に、直子はゆっくりと振り向いた。


「ご、ごめんなさい。でも……大丈夫よ。試合の時はちゃんと連れてくるから」


(……え?)


そう言って、直子は“りん”を安心させるためと思われる笑みを浮かべたが、それはどこか弱々しく感じられた。

もちろん、“りん”の表情も、納得のいっているそれではない。

直子も気が引けたのか、もう一言……付け足した。


「試合が終わるまで、貴女は夏美に会わない方がいいと思うの。貴女のためにも、ね」


直子の瞳が、申し訳なさそうに“りん”を見つめている。

その瞳は、少なくとも嘘をついている感じはない。

直子は「今はここまでしか言えない」とばかりに、教頭室へと続くドアのノブに手をかけた。


「必ず勝ってね……萱坂さん」


そんな一言を残し、直子は校長室を出て行った。

取り残される形になった“りん”は、その姿を見送りながら、呆然として立ち尽くすしかなかった。


試合が終わるまで夏美には会わない方がいい、と直子は言った。

それが貴女のため、とも。


何故なんだろう?

しばらくの間、そんな疑問が和宏の頭の中を巡ったが、結局答えは出ないまま。


窓の外をふと見ると、ちょうど直子が来客用玄関から校庭に出ていく姿が目に入った。

年配の男性が、見送るように並んで歩いている。言うまでもなく校長だ。


ようやく“主のいない校長室に一人佇んでいる自分”に気付いた“りん”は、慌てて部屋を出るためにドアノブに手をかけた。

そのままドアを勢いよく開けると、その裏側から何かにぶつかったような大きな異音が部屋中に響いた。


「……な、なにやってんだ……山崎?」


異音のしたドアの裏側を覗き込むと、鼻を押さえてうずくまっている山崎がいた。


「ぼ、帽子取りに来たんだよ」


「帽子?」


と、一旦首を捻ってから、“りん”は「ああ……」とひとりごちた。

校長室のソファの上、山崎の座っていた場所に忘れ去られていた帽子のことだ。

“りん”は、後で山崎に届けるために持っていたそれを目の前に差し出した。


「これだろ?」


「おう、それそれ」


山崎は、“りん”からひったくるように帽子を受け取った。

鼻の頭がトナカイのように少し赤く腫れ、その目には痛みのあまり涙が潤んでいる。

普段の山崎からは想像つかないユーモラスな姿に、“りん”はクスクスと笑った。

だが、山崎は反論の軽口を叩くでもなく、表情を固くしたままだった。


いつもならば、白い歯を見せながら「うるせぇ! 笑ってんじゃねぇよ!」とでも言い返してくるはずだ。

そんな山崎の不自然な態度に、和宏はふと“ある可能性”を考えた。


「ひょっとして……聞いてたのか? さっきの話」


“りん”の問いに、山崎からの返事はなかった。

もし、本当に聞いていなかったのなら、「何のことだ?」と逆に聞き返してきただろう。

そうしなかった……それだけで、山崎がさっきの話を聞いていたことはハッキリしていた。


「ま、いいけどさ。別に聞かれたらマズイって話でもないし」


“りん”は、事もなげに言った。

この試合は非公開であり、高野連の会長がお忍びで観戦に来ることは極秘扱いになっている。

だが、試合の目的については、別に口止めをされているわけでもない。

ただし、ちょっと話を聞いただけでは信じる方がムリであろうが。


「お前、本気なのか?」


山崎の鋭い視線が“りん”を刺す。

“りん”は、その視線に怯まずに言い返した。


「本気、だよ」


山崎は「そうか……」と言いながら、帽子を人差し指でクルクルと回した。


「なら、安心したぜ」


「……は?」


何を言い出すんだ、コイツ……という表情の“りん”に、山崎は不敵に笑いかけた。


「本気だからな。俺たちも」


先の滝南との練習試合の相手は二軍だった。

滝南の事前のリサーチにより、「鳳鳴高校は戦力的に二軍の練習相手にちょうど良い」という判断が下されたからだ。

幸いにして勝ったものの、決して“その判断が間違っていたこと”を証明してはいない。

もし、一軍に勝てたら、まさにその証明になるはずだ。


今回、幸いにも一軍に勝つチャンスを得た……が、勝てるかどうかはわからない。

むしろ、コテンパンにやられてしまう可能性の方が高いだろう。

それでも、山崎は和宏に負けず劣らず“楽天家”だった。


「一軍に勝って『二軍の相手にちょうどいい、なんて思ってすいませんでした』って言わせなきゃ終わりじゃねぇからな」


そう言って、山崎は左の掌に右拳をぶつけた。

肌と肌のぶつかり合うパチンという音が気持ちよく響く。

山崎の本気は、和宏にもよく伝わった。

逆の立場なら、和宏とて同じように血を熱く滾らせただろうからだ。


山崎は、右手を力強く差し出した。

眼前にニンジンをぶら下げられた競走馬のように、その瞳を漲らせながら。


山崎の持つ“勝利へのこだわり”は人一倍。

それは和宏もまた同じ。

“りん”も右手を差し出して、二人の手はガッチリと繋がった。


(やっぱりデカいな、コイツの手は……)


“りん”が山崎と握手をしたのは、あの球技大会以来これが二度目である。

山崎の掌は、当時と同じように硬くなったバットダコでゴツゴツして大きかった。


性別を超えた、野球バカ同士の握手シェークハンド


――絶対に勝とうぜ。


山崎は、熱く呟いた。

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