第138話 『学園祭・後編 ~嘘~ (7)』
今、二人が佇んでいるのは、コンビニから学校まで戻る道の途中。
この道は、生徒の登下校時以外は近隣住民くらいしか通ることはなく、比較的人通りの少ない道だ。
すでに学園祭が終わり、薄暗くなり始めたこの時間帯……昼間の人気の多さが嘘だったかのように、全くと言っていいほど辺りに人はいない。
そんな道の真ん中で……“りん”は凍ったように固まっていた。
今、なんて言った?
“好き”……って言った?
真っ白になった和宏の頭が、現実を受け入れることが出来ずにもがいている。
視界の真ん中には普段と変わらぬ大村の姿。
だが、その顔つきは至って真剣だった。
少しずつ……コットンの上にこぼした墨汁がジワジワと広がるように、和宏の中で次第に事態が認識されていく。
大村が“りん”のことを好きと言ったこと。
そして、どうやらその言葉が本気らしいということ。
それが和宏の頭の中に浸透していくとともに、“りん”の心臓の鼓動は速度を早めていった。
大村は、そんな“りん”を真っ直ぐに見つめている。
固唾を呑んで“りん”の返事を待っている。
一旦は真っ白になった和宏の頭の中に、次第に色が戻り始めた。
思考回路が少しずつ動き出すにつれ、真っ先に和宏の脳裏に浮かんできたのはのどかの顔だった。
『まぁ、和宏には“そういう感情”はないんだろうけど……大村くんの方はどうなのかな?』
『そうだよ。大村くんは“りん”のことを“女の子”だと思ってるんだから、“りん”のことを好きだと思っていてもおかしくないだろう?』
『ホントにそうかい? 和宏はニブイから気付いていないだけかもしれないじゃないか』
あの時(第124話参照)ののどかの真剣な顔とともに、その時の台詞が和宏の頭の中で何度となくリピートされていく。
和宏は、その忠告を「まさか……」と思い、正面から受け止めなかった。
が……今、その時ののどかの危惧が和宏の目の前にある。
和宏とっては、愕然とする他はない、信じられないような現実だった。
(どうする……? どうする……っ?)
イエス、か?
ノー、か?
「イエス」はありえない。
和宏にとって、大村は親友であっても恋愛対象ではない。
かといって、「ノー」と言った瞬間、大村とは親友でいられなくなるだろう。
それどころか、友だちですらいられなくなるに違いない。
どう答えればいい――?
答えの出ない葛藤が、和宏の心に容赦のないプレッシャーをかける。
“りん”は、俯きながら下唇を強く噛んだ。
それでも上手い答えは見つからなかった。
気休めのように吹く風は、適度にひんやりとした涼感を持った秋の夕暮れの風だった。
一際強く吹いたそれは「早く答えろよ」と言わんばかりに“りん”のポニーテールを大きく揺らし、えんじ色のスカートをはためかせながら通り過ぎていく。
もう、どれくらい時間が経っただろうか。
だが、少なくとも無言のまま逡巡する時間は、とてつもなく長く感じられた。
“りん”にとっても。大村にとっても。
まだ“りん”は目を伏せたまま。
返事に窮して、端正な顔を曇らせながら。
まるで、この一角だけに魔法がかけられたかのように時間が止まっているようだ。
そんな呪縛にも似た状況を打ち破ったのは、“りん”ではなく大村の方だった。
「……これでいいのかな……“告白”って」
「……へっ!?」
予想だにしなかった大村の台詞に、“りん”は弾けるように顔を上げた。
真っ先に目に入ってきたのは、不器用そうにぎこちなく笑う大村の顔。久しぶりに見る大村の笑顔だった。
「こ……これでいいのかなって……」
事態をつかめずに、ハトが豆鉄砲を喰らったような表情のまま固まっている“りん”。
こう言ってはなんだが、和宏の頭の出来は非常に雑である。おまけにニブイのだ。少なくとも恋愛関係に関しては。
明らかに目の前の事態の風向きは変わった。……が、どう変わったのかがわからないでいる。
まるで、イタズラを見咎められた子どものような大村の顔。
和宏は、ようやくハタと気付いた。
「ひょっとして今の……練習?」
大村が、少しだけ申し訳なさそうに、苦笑いとともにコクリと頷く。
足元がガラガラと崩れ落ちるような錯覚とともに、“りん”の全身からヘナヘナと力が抜けていった。
普通なら怒ってもよい場面かもしれない……が、不思議と怒りは湧いてこなかった。
むしろ心の底からホッとした気持ちが体中を優しく包んでいく。
ムリもない。ついさっきまで死ぬほど困っていたことが一瞬でチャラになったのだから。
「い、いやだな~もう! ビックリしたじゃんか」
「ご、ごめん。本気にされるとは思わなくて……」
いやいやいや。あんな顔で言われたらするだろうよ。
気持ちに余裕の出てきた和宏は、心の中で大村にそんな突っ込みを入れた。
いつまでも立ち止まったままの二人を見かねたように、一際強い夕風が吹きぬける。
“りん”のポニーテールが大きく揺さぶられ、セーラー服のスカーフが踊るようにまくれ上がった。
我に返った“りん”は、遠くに見える校舎据付の大時計を見た。
「ぅわわ……結構時間経っちゃってるよ!」
そもそも一番悪いのは上野の姉御だ……が、これ以上遅くなってしまったら、みんなにどんな文句を言われるかわからない。
二人はコンビニ袋を抱えつつ再び走り出した。
まるで止まっていた時が動き出したかのように。
前を大村が走り、その後に“りん”がついていく。
ユッサユッサと揺れる大村の人一倍広い背中。
その物言わぬ背中を眺めながら、和宏は先ほどの大村の姿を思い返していた。
そういや大村クンの好きな人が誰なのか、聞けなかったな――。
名も知らぬ大村の想い人。
見たところ、大村は彼女をとても大切に想っているようだ。
面白半分に聞くのもはばかられるほど真剣に。
それが誰なのかはわからないが、きっと大村はさっきのように告白をするのだろう。
真っ直ぐに。
堂々と男らしく。
でも、少しだけはにかんだように照れながら。
大村クンらしいな……そう思いながら、“りん”は目の前を走る大村の背中に話しかけた。
「告白、成功するといいね」
「……うん」
大村は、振り返ることなく、存外にそっけなく答えた。
きっと顔を真っ赤にして照れているからだろう……と、“りん”はクスリと笑った。
だが和宏は気付かなかった。
深い安堵の気持ちが眩しすぎて、気付くことが出来なかったのだ。
大村の態度の不自然さと、わずかに沈み、乾いていた大村の声に。
そして、さっきの“嘘”は、思慮深い大村にしてはひどく乱暴な“嘘”だったことに。
◇
「あれぇ? なんでりんが買い出し行ってんのっ?」
大村と一緒にコンビニ袋を抱えながら教室に戻ってくるなり、東子がもっともな疑問を“りん”に投げかけた。
さもありなん。買い出しは上野と大村で行くことになっていたはずだからだ。
「いやいや。途中で姉御が買い出しに行くのを代わってって言うからさ」
“りん”の解説で、皆「な~んだ」と簡単に納得した。
その姉御……上野は、まだ教室内に戻っていない。どうやら、まだ例の雑誌を読み耽っているのだろう。
買って来た菓子やジュースをみんなで配分し始めた頃、「いや~ごめんごめん」と軽~いノリで上野がようやく帰ってきた。
「ありがと、りん。助かったわ」
上野は、“りん”を見つけるなり真っ先に礼を言った。
皆に“姉御”と慕われる上野の、その憎めない笑顔に“りん”は釣られたように笑い、やがて全員にジュースが行き渡って乾杯の運びになった。
乾杯直後、“りん”はいきなり東子と沙紀の好奇な視線に挟まれた。
こういう何かに喰らい付いた時の女子の瞳を和宏は知っている。
女子にとって、恋話はケーキより美味な大好物。
明らかに恋話を目の前にした時の瞳だ。
「で、で、大村クンと二人っきりで買い出しに行ったんでしょっ!」
「そうよ。どうなったの? コクハクされた?」
あーもう、コイツらは……と頭の中で毒づきながら、“りん”は、少しばかりうんざりした表情でオレンジジュースの入った紙コップを口に運んだ。
「なんでそうなるんだよ。大体さ、大村クンは好きな娘がいるってさ」
「「えぇっ!?」」
話題が話題なだけに、周りには聞こえぬように小声で会話していたのが台無しになるような素っ頓狂な声。
ふと集まった視線の数々を、三人は愛想笑いで誤魔化すと、沙紀と東子は改めて喰らい付いてきた。
「嘘っ!?」
「嘘じゃないって! 本人がそう言ったんだから」
「えぇ~……、アタシ、大村くんは絶対りんのことが好きって思ってたのに……」
そう言ってガクンと頭をうなだれた東子は、心底意気消沈した様子だ。
なんでお前がガッカリするんだよ……と苦笑しながら、“りん”は大村の方をチラリと見た。
大村は大村で、男子の固まりの中で談笑している。
もちろん、どんな話をしているのかまでは聞こえてこないが、周りに盛んにツッコミを入れられている様子から、“りん”と同じようにはやし立てられて困っているようにも見えた。
(タハハ、かわいそうに……)
盛んに頭を掻く大村を見てクスクスと笑いながら、和宏は再びのどかの言葉に思いを馳せた。
『もし、大村くんが“りん”のことを本気で好きだったとしたら……最後に傷つくのは大村くんなんだからね』
あの日(第124話参照)のどかが言った言葉は、安堵の色とともに流れ去ろうとしている。
思いつめた顔でした告白を、“練習”だと言った大村。
その嘘を、この時の和宏は、ただ無邪気に信じていた。
――TO BE CONTINUED