第134話 『学園祭・後編 ~嘘~ (3)』
“クラス対抗ミスフォトコンテスト”の結果発表まであと少し。
結果は体育館に貼り出されることになっているので、その瞬間を待ちわびてか、すでにかなりの人数が体育館に詰め掛けているようだ。
対照的に、その外……裏山へと続く小道に佇んでいるのは、のどかただ一人だった。
ついさっきまでのどかと一緒にいたはずの桧山が、たった今……道に敷き詰められた小石を踏む音をジャリジャリと響かせながら、茂みに隠れている“りん”たちのすぐ横を通って、来た道を引き返していったからだ。
桧山が視界から消えると同時に、のどかは「ふぅ……」と大きく息を吐いた。
おそらく身悶えするような緊張から解き放たれたからであろう。
(あ~あ。行っちゃったよ……桧山センパイ)
(そりゃあねぇ……あんなにキッパリ振られたんだからしょうがないわよ)
(どうでもいいけどオマエら、なんでそんなに楽しそうなんだ?)
確かに、どことなく充実した表情の沙紀と東子。
まるで何かの大イベント観戦直後のように興奮冷めやらず……といった風でもある。
(しょうがないじゃない! 他人様のコクハク現場なんて珍しいもの見ちゃったんだから!)
(そうそう。いいなぁ……アタシもコクハクされてみたいっ♪)
“りん”は「だめだ……ついていけん」と呟いた。
大体、他人の告白現場を陰からこっそり覗くなど、悪趣味以外のナニモノでもない。
一部始終をキッチリ見てしまってから言うのもなんではあるが。
しっとりとしたタメ息をつきながら、“りん”は額に手を当てた。
その時である。“りん”の背後から「ジャリッ!」という地面の小石を踏む音が強く大きく響いたのは。
同時に、目の前の地面の日なただった部分が唐突に日かげになり、人の佇む気配が色濃く漂う。
イヤな予感――。
そして、その和宏の冷や汗の吹き出るような予感は……見事に的中した。
茂みのカゲに隠れて、しゃがみこんでいる“りん”の背後。
腕組みをして仁王立ちしながら……のどかはそこにいた。
「何をしてるんだい? キミたち……」
静かに……しかし、怒りを抑えたようなのどかの声。
例の写真の笑顔とは“別物”の突き刺すような笑顔。
その笑顔からは、天使の面影は全く感じられなかった。
遅ればせながら、沙紀と東子ものどかに見つかってしまったことに気付いた。
もちろん、その……怒りに震えている様子にも。
「あ……はは……。のどかってば……、お、怒っちゃイヤ……♪」
「お、落ち着きましょ? 話せばわかるわ……多分」
この場をなんとかして取り繕おうとしている二人の引きつった笑顔が却って痛々しい。
のどかは、その大きな愛らしい瞳でジトリと沙紀と東子を睨みつけた。
「たた、隊長っ! み、見つかってしまったでありますっ!」
「作戦失敗です! 隊長っ! 退却命令をっ!」
(うぉぉぉぉいっ! 誰が隊長やねんっ!?)
和宏はソウルフルに突っ込んだ……が、沙紀と東子は、のどかから逃げるように、そそくさと“りん”の陰に隠れてしまった。
それにしても、こんな時に限って……いや、むしろこんな時だからこそ異様に息ピッタリな二人である。
ジトリと睨みつけるのどかの視線が、沙紀たちに代わって“りん”を静かに射抜く。
(こ、怖ェ……)
大きくてクリッとしたのどかの瞳は、例え怒りに震えていても愛らしい。
故に決して外見は怖くないのだが、腕組みしながら仁王立ちしているのどかが醸し出すオーラは、まるで“りん”の心臓を豆腐のように握り潰してしまいそうだ。
「キミたち……一体いつから見てたのかな?」
「あぅぅ……。え……と、その……」
「い・つ・か・ら・?」
「さ、最初から……かな」
意訳すれば、“一部始終を見させていただきました。ご馳走様♪”ということである。
ハハ……と愛想笑いを浮かべながら、ポニーテールを弄繰り回す“りん”を見て、のどかの怒りのオーラが一段と凄みを増していく。
「わ~! 待って待って! 悪気はないんだよ! ちょっと気になっちゃったっていうか……」
「気になるって……何が?」
「そ、そりゃ……のどかのこと……だよ……」
「わたしの?」
のどかが思わず首を傾げた隙に、沙紀たちが「これはチャンス♪」とばかりに口を挟んだ。
「そ、そうよ! 男子と二人っきりで人気のないところに行くから……」
「それでアタシたち心配になっちゃって……」
妙にしおらしく振舞う沙紀と東子に、和宏は口をアングリさせた。
よく言うよなぁ……と思いながら。
わずかとはいえ、のどかを心配する気持ちがあったのは確かだったであろうが。
「大体、なんでこんなトコまでついてきちゃったんだよ。断る気なら初めから断ればよかったじゃん……」
“りん”の口調が、意識せずとも、つい非難がましくなった。
今日は学園祭。
人気のない体育館裏に二人きり。
これはもう客観的に見て、いかにもなシチュエーションである。
にもかかわらず、ノコノコとついてきてしまったのだから、“不用意”と言われても仕方ないだろう。
「うーん……言われてみるとそうなんだけど……」
のどかは、毛先の揃わぬ外ハネした髪の毛を盛んに指にクルクルと巻きつけながら、ちょっと考えた。
「桧山センパイってさ、生徒会の前副会長なんだよね」
「……へぇ?」
のどかは、一年生の10月から一年間……一期目の生徒会長を勤め、今年の10月からは二期目に入っている。
桧山は、のどかの一期目の生徒会長の時の副生徒会長なのだ。
「その時いろいろとお世話になったんだけど……その桧山センパイが『今の生徒会運営のことで、二人だけで話したいことがある』って言うから……」
つまりは“騙し討ち”みたいなものか。
あの桧山の純情そうな美少年風の外見からは想像をつけにくいが、意外と腹黒い“策士”な部分を持ち合わせているようだ。
“りん”は、合点がいった……とばかりに二度三度と大きく頷いた。
それにしても、“今の生徒会運営のことで”とは、なんとも高尚な理由である。
生徒会の役員などに縁のない和宏には考えもつかない理由だ。
「ところでさ……」
「……ん?」
「キミたちは一体ここで何をしていたんだい?」
あ……という声が、“りん”の口から意図せずもれた。
別に最初からここにいたわけでも、何かをしていたわけでもない。のどかたちを尾行してきたからこそここにいるのだ。
しかし、このままでは“のどかたちを尾行してきたこと”が確実にばれてしまう。そして再びのどかの怒りを買う羽目になるだろう。
“りん”は、沙紀と東子に助けを求めるように振り向いた。
(いねぇっ!?)
“りん”の身体の陰で、のどかに怯えるように隠れていた沙紀と東子は、いつの間にか忽然とこの場から消え失せていた。
なんという逃げ足の速さ……まるで良質の幻術だ。
「ア、アイツら~……」
いつも大体、沙紀と東子にしてやられる和宏ではあるが、ここまで鮮やかにしてやられたのは久しぶりだった。
脱力したようにガックリと肩を落とす“りん”を見て、のどかは小鳥のようにクスクスと笑い始めた。
「あはは。沙紀と東子らしいねぇ。いつも面白いよ」
のどかの、いつもどおりの明るい笑い声が響く。
怒ることにもうバカバカしくなったのか、その表情からは、さっきまでの怒りのオーラはキレイサッパリ消え去ってしまっていた。
(ふぅ……助かった……)
どうやら機嫌を直したらしいのどかを見て、“りん”は心底ホッとした表情を浮かべた。
よほど可笑しかったのか、まだのどかは声を上げて笑っている。
やはり、のどかには笑顔がよく似合う。
和宏は、そう思いながら、お腹を抱えて笑うのどかを嬉しそうに眺めた。
ひとしきり、のどかが笑い終えた頃、騒々しかった体育館が急に静かになった。
もちろん、人がいなくなったわけではなく、ざわざわとした雰囲気は残っている。
どうしたんだろう……? という表情で、体育館側に顔を向けたのどか。
その横顔が、さっき感じた衝撃を和宏に思い出させた。
決め細やかな白い肌にパッチリとした大きな瞳。
どこか幼さを感じさせる童顔ながら、美少女然とした顔立ちと立ち振る舞いが、時として和宏を戸惑わせ、胸を高鳴らせる。
今もまた……“りん”の心臓の鼓動が、早く、強く鳴り始めた。
――『わたし……他に好きな人がいるんです』
ついさっき、のどかはハッキリとそう言った。
別に和宏は他人の色恋に興味津々というタイプではない。
しかし、のどかのことに関してだけは……気になってしょうがなかった。
この世界にただ一人、自分の正体を知る特別な存在。
それが理由なのかどうかは和宏自身にもよくわからない。だが、聞かずにはいられない。
体育館の方に視線を向けていたのどかが視線を戻した。
特徴的なのどかの大きな瞳が“りん”を真っ直ぐに見つめる。
和宏は、その瞳に急き立てられるように口を開いた。
「な、なぁ……のどか?」
「なんだい?」
相変らず、のどかは邪気のないほのかな笑顔を“りん”に向けてくる。
思わずドギマギしてしまいそうな自分を抑えつけながら、ついに和宏は“その疑問”を口にした。
「好きな人って……誰?」
のどかの好きな人。
そういう存在の話は、のどかの口からは、ついぞ聞いたことはない。
誰だ?
俺の知ってるヤツか?
知らないヤツか?
それは女か?
それとも……男?
イヤ、“男”のはずはない……と思ってみても、どうしても一抹の不安が消えない。
なぜなら、のどかが“本当の女の子”にしか見えない時があるからだ。
『……誰?』と聞いた“りん”の声は、まるで他人の声のように上ずっていた。
それが、今の自分の緊張度の高さを否応なく和宏に意識させていく。
無論、胸の内側から激しくノックするような胸の鼓動も、カラカラに乾いている口の中も同様の意味合いを持つ。
“りん”は、受験の合格発表の時のような高揚感とともに、のどかの返事を待った。
――TO BE CONTINUED