第133話 『学園祭・後編 ~嘘~ (2)』
真っ青な秋空に、眩しげな太陽が鳳鳴高校の校庭を明るく照らし出す。
幸いにも秋晴れの晴天に恵まれた本日の学園祭。
少しずつ西の方に傾いていく太陽は、今の時間帯がすでに“昼下がり”であることを告げていた。
例年のことだが、鳳鳴高校の学園祭は午前中が本番と言わんばかりに活気が漲り、午後になると急に空気が抜けたように大人しくなる……と相場が決まっている。
今年もまた午後の時間帯になって、漲る活気の素となっていたクラスごとの呼び込み役の生徒たちの姿が校庭や廊下などから消えた。
「自分たちももっと学園祭を楽しみたい」と、各クラスの出し物見物する側に回ったためだ。
そのため、校内からは午前中のような喧騒は失せ、どこか麗らかな雰囲気が醸し出されていた。
そんな中、三年生の桧山がのどかとともに校庭に姿を現した。
校庭には一般客もまだ多く出入りしており、普段と比較すれば、かなり多くの人が行き交っていたが、桧山はそれらに構わずグラウンドの脇から体育館の方に歩いていく。
そして、その後をのどかもまた大人しくテクテクとついていく。
二人が辿り着いた先は、体育館の裏……裏山に向かう時に通る、極めて人通りの少ない通路だった。
体育館にも人の気配があるが、この通路にまで気を配る者はまずいないだろう。
いわゆる“人気のない場所”……である。
“りん”たちは、7~8メートルほど離れた茂みの影に身を隠し、まさに万全の構え。
のどかたちがどんな会話をするのか……興味津々で見守っている。
「ねぇねぇ。これってやっぱりコクハクかなっ?」
「この雰囲気は……間違いなくそうよね。こんな日に、こんな人気のないところまで呼び出すなんて……」
「んん? 『こんな日』ってなんだ?」
「バカね! 今日は学園祭でしょうが。この高校じゃ、昔から学園祭の日を狙って告白する人が多いのよ」
へぇ……と、“りん”は感心したような声を上げた。
学園祭という非日常の浮ついた空気がそうさせるのだろうか。
東子も「ウンウン」と自信たっぷりに頷いているところを見ると、この学校では“誰もが知っている常識”に近い話のようだ。
「にしてもな……。なんでのどかのヤツ、こんなトコまでついてきたんだ?」
「そりゃあ……コクハクを受ける気があるからじゃないっ?」
「ま、まさか……」
「だって、桧山センパイってカッコイイし、二年生の女子にも人気あるよっ♪」
確かに桧山は物腰も柔らかく落ち着いた雰囲気を持っている。
それに加えてバレー部所属の爽やかスポーツマン……しかも長い睫毛が特徴的な美少年風の甘いマスクなのだから、女子に人気があって当然だろう。
だが……例えのどかの外見が可愛らしい女の子だとしても、その中身は“悠人”という“男”である。
男からの告白に“イエス”というはずがない。
それならば、なぜのどかはこんなところまでノコノコとついてきたのだろう?
こんな、いかにも“これからコクハクします”というシチュエーションだというのに。
そんな疑問が、和宏の頭の中をよぎる。
「やっぱりのどかもその気なんだよ……きっとっ♪」
「ないないない! 絶対ないって!」
「アンタ、なんでそんな自信たっぷりなのよ!?」
「そうだよっ。あの二人……お似合いじゃないっ♪」
東子のアニメ声に釣られたように、“りん”はのどかと桧山に視線を向けた。
美男と美女。二人の持つどこか知的な佇まい。気になるのはありすぎる身長差(約30センチ)くらいか。
確かに東子の言うとおり、客観的に“お似合い”に見える。
ただし、あくまでそれは“外見だけ”のお話。
そう。当然のコトながら沙紀と東子は知らない。実はのどかが“男”だということを。
「しっ!」
“りん”と東子のヒソヒソ話が沙紀によって遮られた。
そして、“りん”たちの耳にかすかに届き始めたのは、桧山のハリのある澄んだ声だった。
「あの……ごめんね。突然連れ出しちゃって……」
「いえ。別に何をしていたわけじゃありませんし」
「クラスの出し物の準備で、今週は忙しかったんじゃない?」
「今年は男子が『野球教室』をしてくれたので、わたしはあまりすることがありませんでした」
「そ、そういえばそうだったね……」
当たり障りのない会話が続く。
ただ、のどかの方からは「早く用件をお願いします」といった態度も感じられる。
そんなのどかの機先を制するように、桧山は話を変えた。
「あの例の写真……見たよ」
「……!」
無論、例の“クラス対抗ミスフォトコンテスト”にエントリーされたのどかの写真のことである。
桧山がその台詞を吐いた途端、急にのどかが俯きながらソワソワし始めた。
“りん”たちのいる茂みからは少し離れているため、ハッキリとは見えなかったが、おそらく恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしているであろうことは想像に難くない。
「ビックリしたよ。久保さんがあんなにステキな表情をするなんて思ってもみなかったから……」
「あ……は、はぁ……」
のどかは程よく熟した林檎のような真っ赤な顔で、肯定とも否定ともつかない返事をした。
その表情は泣く一歩手前の困り果てたような表情だった。
「あ、あれは別に、その……ただ窓の外を眺めていたところを撮られちゃっただけで……」
「何か窓の外に面白いものでもあったの?」
「……」
何気に鋭い桧山の突っ込み。
確かに窓の外に何かなければ、あんな表情をすることはないだろう。
「じ、実は……、友だちを見てたんです……」
「友だち?」
「はい……。2年A組の萱坂りん……ていう……」
不意に“りん”の心臓が大きく脈打ち、周りが驚きのあまりざわついたような錯覚に囚われた。
(俺……!?)
“りん”にのしかかるようにしてのどかたちを注視する沙紀と東子も顔を見合わせて驚いている。
「ああ! あの野球少女だね」
桧山はいとも簡単に相槌を打った。
やはり、この校内において“りん”は相当な有名人になってしまっているのは間違いないようだ。(第41話参照)
「ちょうど水泳の時間で、あまりに楽しそうにしてたのでつい……」
ひょっとしてあの時か……と、和宏は思い当たった。(第59話参照)
沙紀と東子も同様に思い当たったらしく、盛んに小さく頷いていた。
頬杖をつきながら窓の外を眺める、天使のようなのどかの笑顔。
それを見慣れている和宏にとっても、思わず言葉を失ってしまうくらいの魅力的な笑顔の写真である。
そして、この写真を撮ったのは、のどかのクラスメートである山崎だ。
ただ、いくらクラスメートとはいえ、あんな無防備なのどかの表情を撮ることが出来たこと自体不思議でしょうがなかった。
(そういうことだったのか……)
疑問は一つ解消したが、なんとなく嬉しいような……くすぐったいような。
あの魅力的な笑顔が実は自分に向けられていたものだった……そう思えば、誰でもこういう気持ちになるのかもしれない。
「そうか、友だちか……。良かった。ちょっと安心したよ」
ますます俯いてしまったのどかの耳までが真っ赤になり始めた。
まるで湯気まで立ち上りそうなほどに。
「……」
「……」
二人の会話が急に途切れた。
ただ、桧山が何か言いにくいことを言おうとしていることだけは、そのソワソワした態度からハッキリとわかる。
何を言おうとしているのか?
決まっている……いわゆる“コクハク”だ。
(もうっ! じれったいわね! 男ならビシッ決めなさいよ!)
(そうそう! 日が暮れちゃうよっ! アタシたちだってヒマじゃないんだからっ!)
(じゃあ、なんでここにいるんだよ……?)
声を潜めながら、言いたい放題の沙紀と東子。
そんな二人にあきれつつも、和宏はのどかから目が離せなかった。
確かに桧山はかなりのイケメンであるが、のどかが“男”である以上、桧山のコクハクに“ハイ”と答えることはないはずだ。
だが、のどかは、お腹の上辺りに置いた手を落ち着かない様子でモジモジと動かしながら俯いている。
まるで憧れの男子からの告白を今か今かと待ち焦がれている少女のように。
和宏は、目の前の状況を「そんなバカな……」と一蹴しようとした。
なぜならば、そんなことはあるはずないのだから。
のどかの中身が“悠人”という男である限り。
それなのに……。
この胸騒ぎは一体なんだ――?
心なしか早まった心臓の鼓動を気にしながら、“りん”は茂みの間からのどかをジッと注視した。
やたらと長く感じられる、のどかと桧山の沈黙。
ただし、それは時間にすれば、おそらく一分にも満たなかっただろう。
体育館の中から、バスケに興じる生徒たちの「パスパス!」と叫ぶ声が聞こえる。
そして、一団の足音が体育館の壁一枚を隔てたのどかたちのすぐそばまで近づいては、ドリブルの音とともに遠ざかっていく。
一瞬の凪いだような静けさが唐突に辺りを包んだ時、この状態を待っていたかのように桧山は口を開いた。
「あの笑顔……もっと僕に見せてくれないかな……」
「……っ?」
弾けるように桧山を見上げるのどか。
その顔は熟れたトマトのように真っ赤に染まったまま。
特徴的なのどかの大きな瞳が、わずかな潤みを湛えつつ、桧山の顔を真っ直ぐに捉えた。
(コークハク! コークハク!)
(そんなんじゃ伝わらないわ! もっと直接的に! さぁ!)
東子と沙紀の鼻息が異常に荒い……まさに興奮状態。
普段の和宏なら「全くコイツらは……」という感じで呆れ返るところであろうが、今だけは違う。
和宏もまた目が離せないでいる……のどかの一挙一動から。
「く……久保さんっ!」
「はぃ……」
「僕と……付き合ってくれないかっ!」
祭りだ! 祭りだ! ワッショーイッ!
……という感じで踊りだしたいのを堪えながら、沙紀と東子は顔を見合わせた。
(来た来た来たわよ! コクハクよ。コクハク!)
(コックハクッ! コックハクッ!)
のどかたちに聞こえてしまうんじゃないか……というくらいのはしゃぎ声。
“りん”は、「シーッ!」と人差し指を口に添えて沙紀と東子をたしなめた。
「いけねっ♪」とでもいう感じで、東子は舌をペロッと出した。
だが、そんなカワイイ東子の仕草も、今の“りん”の目には入っていない。
“りん”の視界にはのどかの姿しか入っていなかった。
ただ見ているだけのはずなのに、“りん”の心臓は遠慮のない早鐘を打っている。
“固唾を呑んで見守る”とは、まさにこの瞬間のことだ。
緊張のあまり“りん”がのどを鳴らして唾を飲み込もうとしたタイミングと、のどかが返事をしたタイミングはほぼ同時だった。
「あの……ごめんなさい」
そう言って、のどかはペコリと頭を下げた。
もしかすると、のどかはコクハクを受ける気でいるのかもしれない。
そのつもりでここまでついてきたのかもしれない。
そんな疑念が一気に吹き飛び、さっきまでの脆弱な確信が、まるで始めからそうであったかのように再び強固な確信へと変わっていく。
例え一瞬でものどかを疑ってしまった自分がバカバカしくなるほどの現金さで。
(やっぱりな……)
張り詰めていた何かが“りん”の身体からフワリと抜け、その表情には笑みが浮かぶ。
どこか苦笑いに似た自嘲の笑みがブレンドされた、ほのかな笑顔。
しかし、ホッと安堵するヒマが与えられることはなかった。
続くのどかの台詞が、再び和宏にとびっきりの衝撃を走らせたからだ。
「わたし……他に好きな人がいるんです」
――TO BE CONTINUED