第125話 『学園祭・前編 ~サプライズイベント~ (1)』
「カレシねっ! カレシと待ち合わせて一緒にガッコ行くのねっ! そうなんでしょうぉ!?」
“りん”の母親であることみの、キンキンするようなけたたましい声が、この朝っぱらから萱坂家の玄関に響いている。
いつものことで慣れっこになってしまった“ことみの病気”に、“りん”は苦笑いを浮かべるだけだった。
違うし……と思いながら。
「何度も言うけどさぁ……そんなのいないって!」
「んもう! 隠さなくていいじゃない~! 昨日もデートしたクセにぃ~♪」
ことみは基本的に“りん”の反論に耳を貸さない。
なんという天晴れなコミュニケーション能力……しかも万事がこの調子である。
とはいえ、反論しなくては“肯定”になってしまう。和宏にとっては辛い戦いだった。
「だからデートじゃ……」
“りん”は、そう言いかけてピタリと動きを止めた。
昨日ののどかの台詞が頭の中をよぎったからだ。
『男の子と女の子が二人っきりで街に出かけて、女の子の方がそれだけお召かししてたら、普通は“デート”って言うんじゃないかな?』
昨日のアレは和宏にとっては“デート”でも何でもなく、いうなれば大村と一緒に遊びに行っただけ。
しかし、目の前のことみを始め、他のみんなは誰一人そう受け取っていない上に、のどかにまでそう言われては「“デート”ってコトになっちゃうのかな……やっぱり」という思いも和宏の頭の中を掠めていく。
思わず口ごもった“りん”に、ことみが畳み掛けた。
「ほらぁ! 照れなくてもいいのよぉ~。お母さん応援してるんだからぁ♪」
……と言いながら、胸の前で両手を合わせて満面の笑みを浮かべることみ。
嬉しそうだ。なんかもう本当に嬉しそうだ。
いつものコトではあるが、もうこれ以上反論してもムダだろう。
“りん”は、「あ~ハイハイ。ありがとね……」と、いつもと違うツヤのない低い声で呟きながら、玄関のドアを開けて逃げるように外に出た。
澄んだ空気の中、眩し過ぎるほどの朝日。
街並みの色とりどりの屋根の凸凹の間から顔を覗かせ始めた朝日が、“りん”の目をわしづかみするように刺激する。
時間はまだ7時を回ったばかり。
登校するにはあまりに早すぎる時間だ。
にもかかわらず、こんな時間に家を出たのは理由があったからだ。
もちろん“カレシと待ち合わせをするため”……ではなく。
“りん”は、「ヨシ!」と呟いて、小走りで学校に向かった。
◇
学校に着いたのは7時15分頃。
いつもなら全開になっているはずの校門が、まだ四分の一くらいしか開けられていない。
普段の“りん”が登校する時間帯なら、押し寄せる難民のように生徒たちが校門をくぐっていくのだが、今は時間が時間のせいかポツリポツリと見かける程度だ。
この妙に寂しげな光景は、こんな時間に登校したのが初めての“りん”にとって、新鮮かつ見慣れない光景だった。
生徒用玄関から中に入り、A組の教室の出入り口からソ~ッと顔を出して中をうかがう。
中にいるのはただ一人……黒い学生服を来た男子生徒である。
(いたいた……!)
角ばった顔の坊主頭。
浅黒い肌と意志の強さを感じさせる太い眉毛。
ちょっと小太りにすら見えるガッシリ体型。
ただ一人、自分の席に座って教科書とノートを広げている。
その男子生徒は、紛れもなく大村であった。
『いつも朝はクラスで一番乗りなんだ。ちょうどいい時間の通学バスがなくてね』
大村が、いつかそんな話をしてくれたのを“りん”は覚えていた。
そう。実は大村は毎日登校してくるのがクラスで一番早かった。
だからこそ、朝のこの時間なら誰にも邪魔されずに大村と話が出来ると考えたのだ。
……が、しかし、いざ大村しかいないガランとした教室に入ろうとすると、妙に構えてしまう自分に和宏は気付いた。
(ううぅ……。のどかがあんなこと言うから妙に意識しちゃうじゃんか……)
『和宏はもっと……大村くんと“距離”を取った方が良いじゃないかな』
『きょ、距離……?』
『そう。和宏がどう思っていようと、今の和宏は“りん”っていう女の子で、大村くんは男の子なんだから』
最初の予定では、普通に教室に入っていって、「昨日はゴメンね」とさわやか~に言うはずだった。
だが……なんと入っていきづらく感じることか。
ゴメン……と一言言うだけのことなのに、「怒ってるかもなぁ……」などと考えてしまうと、なかなか第一歩を踏み出すことができない。
教室の出入り口の前で、“りん”は振り子のように行ったり来たりを繰り返しては時間だけが無為に過ぎていく。
(ええい! ここでウロウロしてても始まらねぇや!)
逡巡をやめ、教室の中に踏み入れようとした瞬間……“りん”は背後から声をかけられた。
凛とした……それでいて空気を読んでいないかのような、よく通る声だった。
「おはようございます。りんさん」
「ほわぁっ!」
“りん”は、飛び跳ねんばかりに驚いた。
いや、実際に飛び跳ねていたかもしれない……10センチくらいは。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか~」
右手で銀縁のメガネを触りながら、心外だという顔つきの栞。
ちょっと頬をふくらませていたものの、怒っているというより、むしろ“りん”のオーバーリアクションを笑っている風だった。
「ど、どうしたんだよ……こんな時間に」
「『どうしたんだよ』って……聞いてなかったんですか? 先週の話……」
悪いが全く覚えがない……と、和宏は悪びれることなく思った。
「学園祭の準備に関することで話し合いをするから、みんな早め登校するように言ってあったじゃないですか」
(そ……そうだっけ?)
そうなのだ。
今週の土曜日……10月3日は鳳鳴高校の学園祭なのである。
そして、今日は9月28日の月曜日。
学園祭まであと一週間……各クラスとも出し物準備などに最も忙しくなる時期だ。
そんなことを考えているうち、栞だけでなく、他のクラスメートたちが次々と登校してきては教室に入っていく。
どうやら、言われたとおり、みんな早めに登校してきたらしい。
瞬く間に教室は騒々しさを増し、誰にも邪魔されないうちに大村に謝っておこう……という“りん”の目論見は完全に潰えてしまった。
仕方なしに、“りん”は大村の席のとなり……自分の席に腰を下ろした。
「お、おはよう……」
鞄の中の教科書を机の中にしまいこみながら、“りん”は大村の顔をうかがうように……控えめに話しかけた。
「あ……お、おはよう……」
……。
……。
……。
一応は大村も笑っていた……が、その笑顔は引きつったまま。
“りん”もまたぎこちないく笑いながら……妙に弾まない会話と妙な沈黙の間。
なんとなく気まずい雰囲気が、“りん”の皮膚をチクチクと嫌な感じで刺激していく。
「あの……さ」
「う……うん……」
言え! 言うんだ!
などと頭の中に響く声に背中を押されながら、“りん”は振り絞るように声を出した。
「昨日は……ゴ」
昨日はゴメン……“りん”がそう言いかけた時、聞き慣れたいつもの声が。
「おっはよー♪」
「おはよ~、りん」
限りなく能天気な東子のアニメ声に、どこかドスの利いた沙紀の声。
それらの声によって、この少しばかりの緊迫感が完全に台無しになった。
さらに、時間を置かず、担任の種田までが教室に入ってきた。
どうやら、完全に「ゴメン」と言うタイミングを失ってしまったようだ。
(で、でも怒ってる感じじゃないし……まぁ、いいか……)
とりあえず、大村が怒っていないことだけは確認できた和宏は、気まずさを感じながらも、心の中で胸を撫で下ろした。
生徒が全員集まったのを見計らって、担任の種田が壇上で学園祭の話をし始めた。
否が応にも「もうすぐ年に一度の学園祭なんだ」という空気の高鳴りが伝わってくる。
今週は、その準備できっと忙しくなるだろう。
楽しみだな……思う気持ちと、かったるいな……と思う気持ちが約半々。
そんな和宏の気持ちをよそに、今から“りん”を悩ますことになる学園祭“狂想曲”の幕が開こうとしていた。
――TO BE CONTINUED