第123話 『デートじゃない! (7)』
9月も、もう終わりに近くなれば、夕暮れも早くなる。
すでに時計は19時過ぎ。
とっぷりと陽の暮れた空の下、駅から出てきたばかりの“りん”は、「ようやく帰ってきた~」とばかりに両手を広げて大きく伸びをした。
「ううーん。な~んか今日はイロイロあったね」
「そ、そうだね。途中どうなることかと思ったけど」
「全く……ヘンなヤツには絡まれるし……」
そう言いながら、口を尖らせる“りん”。
大村は、「それは萱坂さんが魅力的だからだよ……」と思ったが、生粋の照れ屋さんのため口に出すことは出来なかった。
ある意味“損な性格”と言えなくもないが、そこが大村のいいところでもある。
駅の目の前にあるロータリーには、客待ちのタクシーが行列を作り、通行人たちが大通りを行き来していく。
その中には、ビジネスマンらしき人も交じっているが、家族連れやアベック、若者のグループなどの方が圧倒的に多かった。
日曜日の夜特有の客層なのだろう。
駅前の大通りは、すでに賑やかな夜の喧騒に包まれていた。
「でもさ……」
「……?」
「楽しかったよね、今日は」
楽しみにしていた“ブラックポセイドン”のライブ。
そして、ちょっとスリルのあった追いかけっこ。
何事もなく終わったからこそ言えるのかもしれないが、和宏にとっては間違いなく楽しい一日であった。
“りん”が、大村にニコリと微笑んだ。
客を乗せて走り出したタクシーのヘッドライトが、その笑顔を一瞬だけ明るく照らし出していく。
なんて魅力的な笑顔なんだろう。
そう思った途端、大村の心音は強く跳ね、早いリズムで鼓動を打ち始めた。
大村にとっても、初めてのデートである。
しかも、“りん”がこんなにオシャレをしてきてくれるとは思ってもなかったので、いつになく気分の高ぶっているのもムリからぬことだ。
いつになく艶やかな唇。
普段することのない真っ赤なリボン。
そんな“りん”を見ているだけで、頭がクラクラするような思いが込み上げてくる。
何より“一緒にいて心地良い”……と思えるのだ。
薄々は感じていたことだが、今さらながら、大村は確信した。
ボクはやっぱり萱坂さんのコトを――。
「大村クンはどうだった?」
「え、え……? な、何が!?」
大村は、何を尋ねられたのかわからず、キョトンとした顔になった。
“りん”は、いつもの大村らしからぬ態度に目を丸くしながら、もう一度聞き直した。
「いやいや。今日は楽しかったか? ……って聞いてるんだけど?」
ああ、なんだ……と思いながら、苦笑する大村。
もちろん、答えは一つだった。
「うん。楽しかったよ……萱坂さんのおかげで」
「俺のおかげ?」
「そうだよ」
大村の顔を見ながら、“りん”は首を傾げた。
“おかげ”などと言われる覚えが、全くと言っていいほど思いつかなかったからだ。
だが、大村は戸惑う“りん”に構うことなく言った。
「今日は……ありがとう」
今度は、“りん”の方がキョトンとする番だった。
何に対しての“ありがとう”なのか、サッパリわからない。
逆に“ありがとう”を言わなくてはいけないことなら、それこそいくらでもあるのだが。
「い、いやいやいや。こっちの方こそだよ! バッグを失くさずに済んだのも、ヘンなヤツラから逃げられたのも大村クンのおかげだし!」
照れながらも、大げさな身振り手振り付きで、必死にまくし立てる“りん”。
その必死さ加減に、大村は腹の底から笑いが込み上げてくるのを感じた。
「はは……。そうだね。じゃあ、お互い様だね」
「そ、そうそう。お互い様だよ……って、何がお互い様なんだかよくわからないけどね。タハハ……」
いくつもの明るい光を湛えた星たちが瞬く夜空の下で……二人は笑う。
二人の陽気な笑い声に、軽く一瞥をくれては足早に通り過ぎていく通行人たち。
その中に、“りん”は偶然にも見知った顔を見つけた。
(のどか……!?)
“りん”がその存在に気付いた時、わずかながら目が合ったような気がした。
しかし、のどかは顔を背けるように視線を逸らし、何事もなかったかのように駅の向こうへ歩いていく。
(見間違い……じゃないよな……?)
そう呟きながら、遠ざかっていくのどかの後姿を見つめる“りん”。
彼女が歩いていく方向は、間違いなくのんちゃん堂のある方向だ。
おまけに、毛先がクルリとはねた髪型といい、150センチにも満たないちっちゃい身体といい……それらの特徴は、彼女がのどかであるという十分な可能性を指し示している。
「どうかした? 萱坂さん……」
「え……、いや……」
一緒に笑っていた大村が、怪訝な顔をして“りん”を見た。
だが、辛うじて“りん”が返すことが出来たのは生返事だけ。
遠ざかっていくのどかの後姿から目が離せなかったからだ。
(なんで無視するんだ? 俺を……)
ひょっとしたら、のどかと視線が合ったように見えたのは、実際は気のせいだったのかもしれない。
いや、その前に、実は彼女は全くのアカの他人という……単なる見間違いだったという可能性すらある。
しかし、その一方で、「あれは絶対にのどかだ……!」という確信に近い思いもあった。
そうこうしているうちに、のどかの後姿は雑踏の中に消えた。
のどかの消えた人波を、呆けた顔で見つめる“りん”の表情に、わずかに寂しげなモノが混じる。
「萱坂さん……。大丈夫?」
「う……うん」
そう答えながらも、“りん”の冴えない表情は変わらない。
大村がかけてくれた優しい言葉は、虚ろに響くだけだった。
「あ、あの……」
「……」
「良かったら……家まで……」
家まで送ろうか?
大村の勇気を振り絞った台詞。
だが、その台詞は無情にも途中で遮られてしまった……“りん”の台詞によって。
「ゴメンッ! やっぱり今日はもう帰るよ! じゃっ!」
それだけ言い残して、“りん”は右手をヒラヒラと振りながら、のどかが消えた先へ駆け出していく。
のどかは、“りん”を無視したかのように消えた。
そんなことは、今まで一度だってなかったのに。
和宏は、のどかの真意を確かめずにいられなかった。
ポツンと一人取り残された大村。
そして、またもや、“りん”に届かなかった大村の気持ち。
大村は、走り去っていった“りん”の後姿を、ただ呆然と見送ることしか出来なかった。
◇
“りん”は、雑踏を右へ左へと人を掻き分けるように進む。
前を歩く人々を次々とかわしていっても、なかなか見えてこないのどかの後姿。
走るのが速いのどかであるが、どうやら歩くのも速いようだ。
歩道一杯に広がって歩く男子中学生と思しき集団などの追い越しに手こずりながら、なおも“りん”はのどかを追いかけていく。
そして、さらにしばらく進んだところで、のどかの後姿をついに捉えた。
「のどかっ!」
後ろから駆け寄りながら声をかけると、のどかはビックリした顔で振り返った。
「りんっ!?」
驚きのあまり、立ち止まったのどか。
“りん”はようやくのどかの元に辿り着いた。
ここまで、約300メートルほど走っただろうか。
「ど、どうしてココに……?」
「さっき、駅前で目が合っただろ? なんで無視したんだよ?」
のどかの細い肩がピクリと動いた。
やはりのどかは、“りん”に気付いていたのだ。
和宏は、そう確信した。
「大村くんだっけ? あの彼はどうしたんだい?」
「え? 大村クン……? 今日はもう……駅前で別れてきたけど?」
「あの後すぐ……かい?」
ゆっくりと、肯定の意をこめて頷いた“りん”。
“りん”を見るのどかの目が、まるで不思議なものを見るような目に変わっていく。
何かヘンなことでも言ってしまったんだろーか……と不安にさせられるような目つきだ。
「な、なんだよ……?」
のどかの大きな瞳が、真っ直ぐ“りん”を射抜いている。
その視線は、妙に痛く……そして、妙に心地悪い。
俗に言う、尻がムズムズするように落ち着かない……というヤツだ。
そんな“りん”の様子に、のどかは目を伏せながら、深いため息をついた。
いかにも「やれやれ……」といった感じの。
二人が佇んでいるのは、駅から県庁に伸びる大通りに整備されたキレイな歩道の脇。
駅から少し離れたせいか、駅前よりも人通りが少なく、ポツリポツリと通行人が通り抜けていく。
もちろん、“りん”とのどかに注意を払うこともなく。
空には、いくつかの星が瞬いていた。
こんな市街地でなければ、今日はきっと満天の星空を楽しむことが出来ただろう。
「一体なんなんだよ? ため息なんかついて……」
「和宏……」
「……ん?」
「話があるんだ。ちょっと寄っていかないか?」
そう言って、のどかが指差したのは……古ぼけた昔風の喫茶店だった。
――TO BE CONTINUED