第121話 『デートじゃない! (5)』
顔を上げろ 前を向け
進む道は前にしかないだろう?
勝利への意志は 決して自分を裏切らない
燃やし尽くせばいい その燃えカスにこそ価値がある
限界だなんて認めるなよ 本当の限界はその先にしかないんだから
ただがむしゃらに前へ
苦しみの向こう側へ
明日のその先へ
戦う理由があるのなら 一歩ずつだって進んでいける
例えそれが道なき道だったとしても
遥か彼方 あの敵陣に 俺たちの旗を突き立てるんだ
泥だらけの勝利の旗を
◇
“ブラックポセイドン”の初期の名曲と言われる『Victory』の一節である。
この『Victory』は、発表されてから10年近く経つというのに、コアなファンの間では未だに高い人気を誇っている曲だ。
シングルカットすらされていない、ただのアルバム収録曲に過ぎない……というところも、ファンの心をくすぐるらしい。
和宏も、大村も……この曲をきっかけに“ブラックポセイドン”のファンになったという。
ある意味、二人にとっては思い出の曲である。
今日のライブでは、最後のアンコールを受けて、この曲が披露された。
アルバムツアーという性格上、最新アルバム『North Flight』の収録曲がメインとなるため、生『Victory』は聴けないだろう……と思っていた“りん”と大村にとっては、思いがけないスーパーラッキーだった。
「いや~、良かったねぇ~! まさか『Victory』を演ってくれるとは思ってなかったし」
「そうだね。噂では、ツアーではあまり『Victory』は演らないらしいから、ひょっとすると今日が特別だったのかもね」
「へぇ……そうなんだ」
大村が披露したのは、ちょっとしたトリビアっぽい知識である。
一体どこからネタを仕入れてくるんだろう……などと考えながら、“りん”は何度も頷いた。
時間はすでに18時過ぎ。
16時に始まったライブも18時には終演となり、帰ろうとする人の波や、グッズショップに立ち寄ろうとする人の波などが、ぶつかり合い、騒然とした雰囲気を作っていく。
そんな会場内のごった返した雰囲気の中、“りん”と大村は遅々として進まない人の列の中にいた。
「それにしても……ホント男の客多いな……」
「それは……仕方ないと思うけど」
“りん”たちの周りで蠢く人々は、九割方“男”。
仕方のない話だ。“ブラックポセイドン”のファン層がそうなのだから。
大村と“りん”のいる列も、時として発生する男たちの押し合いへしあいの凄まじいエネルギーに翻弄されそうになる。
また周囲からグイっと押された時、“りん”の右手に痛みが走った。
(……っ!?)
突然の予期せぬ痛みに、“りん”は小さく悲鳴を上げた。
東子からの借り物のトートバッグを掴む指が、千切れそうなほど引っ張られたからだ。
おしくらまんじゅうをしているかのような人の波が、まるで“りん”からバッグを取り上げるかのようにうねっていく。
バッグを手放すまいとする“りん”の指に、さらに激痛が走った。
(いてぇっ!)
バッグの中には財布が入っているし、何より借り物のバッグである。
失くすわけにはいかない……と、“りん”はバッグを掴む右手に力を込め続けた。
だが、それも限界……今にも手が離れてしまいそうだ。
そんなピンチを救ってくれたのは……大村だった。
バッグを片手でグイっと手繰り寄せてくれたのだ。
「だ、大丈夫?」
大村もまた身動きが取れない中、首だけを回して“りん”に話しかけた。
「あ……うん。だ、大丈夫……。助かったよ……」
まさに間一髪。
大村が掴んでくれなかったら、バッグは今頃人の波に持っていかれていたことだろう。
「危ないから、ここを抜けるまでボクが持っておこうか?」
「うん……サンキュー」
手に持つのではなく、肩にでも掛けておけば問題なかったかもしれないが、今となってはそんなことをするスペースはない。
ここは大村クンの提案に素直に素直に従っておこう……と、和宏は思った。
再び流れ出す人の列。
相変らず遅々とした流れだ。
それでも流れに乗りながら進んで行くと、右前方に何かのショップが見えてきた。
どうやら“ブラポ”のグッズショップのようである。
(へぇ。どんなモノが売ってるんだろうな)
ショップの中を覗き込もうとした“りん”だったが、周りは“りん”より背の高い男ばかり。
ちょっと気合を入れて背伸びをしてみた……それが運のツキだった。
タイミングを同じくして、“りん”の周りの人の波が急激に勢いを増した。
真っ直ぐ進む人の流れとグッズショップに入っていく人の流れが交じり合い、渦巻くような人の波が作られていく。
そんなうねるような人波に、“りん”の身体は簡単に取り込まれてしまった。
(……っ!?)
あっという間の出来事に、声を上げることすら出来なかった。
しかも、ちょうど大村の真後ろにいたというタイミングが災いし、大村は“りん”がはぐれてしまったことに気付かぬまま。
しばらくグッズショップの中でもみくちゃになった“りん”は、押し合いへし合いを受け流しながら、やっとの思いでショップを脱出した。
とはいえ、この時の和宏にはまだ気持ちの余裕があった。
さっきのような遅々とした人の流れなら、きっとまだ大村クンに追いつけるはず……そう思っていたからだ。
だが、ショップの出口付近から大村の姿を探してみると、状況がさっきまでと随分と変わっていることに気付き愕然とした。
ごった返すような人の多さは相変らずながら、人の列がゾロゾロと流れ始めているではないか。
もちろん、見える範囲に大村の姿は見当たらない。
(マ、マジか……?)
“りん”は、ショップの壁にもたれかかって、フーッと息を吐いた。
完全に大村とはぐれてしまったのだ。
しかも、この人ごみの中で。
ここで大村が迎えに来るのを待つか……。
それとも、おそらく先に行ったであろう大村を追いかけるか……。
せめて携帯でも持っていればまだ良かったが、今時の高校生にしては珍しく“りん”も大村も持っていない。
こんな状態では、とても再合流などおぼつかないだろう。
(まぁ、最悪、合流を諦めて一人で帰るという手も……)
そんなことを考えながら……宙を泳いでいた“りん”の視線が、何かを思い出したかのように突然止まった。
「あっ……!?」
周囲が騒々しいため目立たなかったが、りんは素っ頓狂な声を上げた。
「財布の入ったバッグ……大村クンが持ったままじゃん!」
バッグを持っていない“りん”は無一文だ。
当然のことながら、これでは電車やバスに乗ることすら出来ない。
しかも、ここは歩いて帰るなど思いもよらないほど自宅から遠く離れた街中である。
和宏は、思ったよりはるかに深刻な事態になっていることに気付いた。
(ひょっとして俺、迷子になっちゃった……?)
――TO BE CONTINUED