第120話 『デートじゃない! (4)』
ことみが、リップスティックを“りん”の唇に軽く塗りつけると、“りん”の唇のツヤが増し、ほんのりとした桜色になった。
「ヨシ!」
納得したかのように、深く頷くことみ。
沙紀と東子は、ことみの背後から“りん”の顔が変わっていく様を興味津々で眺めていた。
ことみは、最後の仕上げとばかりに“りん”のポニーテールを一旦解いた。
軽くブラッシングしてから、今度は飾り気のない髪留めゴムではなく、赤いシュシュを使って再度ポニーテールを結っていく。
さすがに母親らしく、繊細かつ丁寧な手つきだった。
「はい! 完成~!」
沙紀と東子が、歓声を上げながら手を叩いた。
「すご~い! キレイ!」
そう叫んだのは沙紀。
「いいなぁ……りんは。“可愛い”じゃなくて“キレイ”なんだもん」
と、ちょっと口を尖らせる東子。
そんな二人を交互に見ながら、ことみは鏡を“りん”に向けた。
「どう? りんってば、やっぱりお母さんの若い頃ソックリなんだから~」
ま~た言ってるよ……という思いとともに、“りん”の表情には自然と苦笑いが浮かんだ。
そして、その視線が鏡の中を捉えた瞬間……表情が固まった。
(えっ……?)
りんの顔が、いわゆる整った顔立ちなのは、和宏もよく知っている。
だが、今、鏡の向こう側にある“りん”の顔は、わずかな化粧が施されただけにもかかわらず、想像以上の映え方だった。
(ス、スゲェ美人……)
透明感のあるキレイな肌。
くっきりとした目鼻立ち。
そして、桜色をした魅力的な唇。
和宏は、しばし見とれた。
それほど、ことみによって施された化粧は、りんを魅力的に仕立て上げていた。
和宏の目線が、鏡の中に釘付けになる中、ポニーテールの結び目……赤いシュシュのところで止まった。
「りんの髪はキレイな黒髪だから、原色系のリボンがよく合うのよねぇ~」
ことみの解説を聞いて、なるほど……と、和宏は心の中で相槌を打った。
漆黒の中に映える真紅は、まさに目を引くアクセントだ。
「……さ、りん! 時間がないんじゃない?」
沙紀の問いかけで、和宏は我に返った。
14時20分。
もう走っていかなくては間に合わない時間である。
「やべっ! もう行かなきゃっ!」
“りん”は、東子の用意したトートバッグを手に取り、部屋を飛び出した。
ドタドタと階段を降りていく音。
玄関のドアを開け放つ音。
ことみと沙紀と東子は、二階の窓から“りん”を見送った。
「「「いってらっしゃ~い!」」」
“りん”は、ことみたちに振り返ることなく、右手だけをヒョイと上げて、そのまま駆け出していく。
履いているのは、慣れない東子の借り物のミュールだったが、そのスピードは意外なほど速かった。
「ふ~……。あの分なら間に合いそうね」
「でも……あんなに走ったら、汗でお化粧崩れちゃわないかなぁ……」
「あれくらい大丈夫でしょ。りんのことだし」
以前の“りん”ならいざ知らず、今の“りん”がちょっと駅まで走った程度で汗だくになるとも思えない。
納得した東子は「それもそうだね」と頷いた。
「さぁ、二人とも。今日はりんのためにありがと! お茶を淹れてあげるからゆっくりしていってね~」
「「は~い♪」」
沙紀と東子の返事を聞いたことみが、上機嫌な鼻歌混じりでトントントンと階段を降りていく。
一仕事を終えたかのように、二人は並んでベッドに腰掛けた。
「あとは、あの二人次第だわね……」
「どうにかなっちゃうかなぁ……」
「う~ん……?」
沙紀と東子は、二人揃って天井を見上げた。
まるで、“りん”と大村を使って妄想に耽るかのように。
「ムリか。天然のりんとオクテの大村くんとじゃ……」
「……かもね」
どうやら、“りん”と大村では妄想は深まらなかったらしい。
沙紀と東子は、手を叩いて笑い合った。
◇
“りん”が駅に到着する頃、すでに待ち合わせ時間を十分ほど過ぎていた。
乱れた息を整えながら、“りん”は大村を探した。
(いた……!)
改札口近くの切符売り場の前。
所在無げに佇みながら、盛んに時計を気にしている大村の姿。
二人が乗る予定の電車の発車時間が迫っているのを心配しているようだった。
“りん”は、急いで大村のそばに駆け寄った。
「ご、ごめん……大村クン。遅くなって……」
息を弾ませながら、ようやく大村の目の前に辿り着いた“りん”。
だが、“りん”の姿を見た瞬間……大村は完全にフリーズした。
その視線は、“りん”の顔やミニスカートから伸びる太ももに釘付けになったまま。
「……?」
今日のデートのために、こんなにお召かししてきてくれたんだ……という感無量な思いが、大村の胸の中に広がっていく。
もちろん、そんなつもりは微塵もないということを大村は知る由もない。
しかし、今はただでさえ時間がおしている。
固まっているヒマはない。
早くホームに上がらないと間に合わなくなるかもしれないのだ。
“りん”は、突然動かなくなってしまった大村の肩を、二度三度とポンポン叩いた。
「大丈夫……? 大村クン?」
“りん”の呼びかけによって、ようやく大村は動き出した……ただし、比較的ダメな方に。
「ダ、ダイジョウブ。ダイジョウブ……」
何かのスイッチが入ってしまった大村は、壊れたレコードのように『ダイジョウブ』を繰り返している。
その引きつったような表情からは、極度に緊張している様子がハッキリと伝わってきた。
(あ、なんか……以前こんな大村クンを見たことあるような……)
なんという既視感……この状態はまさしく、東子発案の“恋人作戦”時の大村(第46話参照)そのもの。
女性に免疫のない大村は、ちょっとした女性との接触で、すぐテンパってしまう……今時珍しい純情くんなのだ。
今日の“りん”のいでたちと雰囲気が、普段と違うのがまずかったのかもしれない。
もちろん、そういった事情は和宏の知るところではないのだが。
“りん”は、苦笑いを浮かべながら思った。
「やれやれ……前途多難だな。こりゃ」
――TO BE CONTINUED