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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第三部
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第116話 『のどかの正体 (5)』

秋の空は高く、青く澄んでいる。

形を変えながら流れていく小さな雲は秋の雲。

ふんわりとした柔らかさを感じさせるそれは、分厚い真夏の入道雲とは全く質感が違う。


他に誰もいない学校の裏山に、時折聞こえてくるのは、小鳥たちのさえずりと、眼下の体育館やグラウンドからの掛け声だけだ。

そんな時間の流れ方が違うかのような空間で、“りん”とのどかの間を秋風が吹き抜け、“りん”のポニーテールを……のどかの毛先の揃わない外はねした髪の毛をサワサワと揺らしていく。


(のどかの兄……?)

(久保悠人……?)


のどかの部屋で見た写真の男の端正な顔が、和宏の頭の中ををよぎった。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! のどかの兄さんって……確か、もう死んでるはずじゃ……!?」


そう。のどかの兄……久保悠人は、四年前に亡くなっている。

大吾も、栞も、そう言っていたし、それがウソだとも思えない。

だが、“りん”がそう言った瞬間、のどかは小さく首を横に振った。


「生きてるよ……悠人は」


「えっ!?」


のどかは、低い声で……でもハッキリと言い放った。

だが、その物言いとは裏腹に、何故かのどかの瞳は切なげに揺れていた。


「この世界とは違う……別の世界で」


「別の世界……?」


「“悠人の世界”……とでも言えばいいのかな。和宏にだって“和宏の世界”があるじゃないか。とにかく別の世界だよ」


(うーむ……)


“りん”は、腕組みをしながら、牛のように唸った。

のどかと初めて会った日に、“和宏の世界”云々という話をした(第10話参照)記憶があるのは確かだったが、その話だけでも和宏の頭の中は混乱したものだ。

それなのに、さらに“悠人の世界”とやらが加わった日には、“りん”の頭から白い煙が吹き出したりしないかが心配である。


「“そこ”ではね……お母さんもお父さんも生きているんだ」


「!?」


のどかの“お母さん”の名は“法子のりこ”であるが、和宏は会ったことがない。

そして、“お父さん”とは、もちろん“大吾”のことだ。

今いる“りんの世界”に加え、“和宏の世界”と“悠人の世界”……、三つの世界が和宏の頭の中でぐるぐると回っては混乱に拍車をかけていく。

頭がどうにかなりそうだった。


「“こっち”では、ウチもりんの家も同じ片親だけど、向こうではみんな普通に生きている。“こっち”とは違って……ね」


(確かにりんの家も母子家庭だな……。ことみ母さんと二人暮らしの)


ことみ母さん……精神年齢低めのりんの母親。

現在、“りん”とは二人暮らしであり、たまに和宏が持て余してしまうほどの妄想癖の持ち主でもある。

何はともあれ、のどかの言うとおり、“りん”の家は母子家庭、のどかの家は父子家庭……両方とも片親なのは間違いない。

のどかの話を聞いているうちに、和宏の頭の中でもようやく事態の整理が出来てきた。


“悠人の世界”では、父親の大吾と母親の法子と悠人・のどかの四人家族。

“こっち”の世界では、のどかの幼い頃に母親・法子が亡くなり、以降は父親・大吾と悠人・のどかの三人家族……そして、四年前に悠人が死亡。

当然、その後は、大吾とのどかの二人家族だ。


そして、今……“りん”の目の前にいるのどかの中身は……兄・久保悠人。

ただし、その“悠人”は、この世界の久保悠人ではなく、“悠人の世界”の久保悠人。


和宏の頭では、理解するだけで一苦労な……とんでもなくややこしい話である。


ただ、こういう話であれば、昨日からのどかに感じていた違和感にも納得がいく。

兄妹なら、しゃべり方はもちろんのこと、普段の行動や仕草だってうまくマネできたはずだ。

のどかのことをよく知る栞でさえ、精神が入れ替わったことに対する違和感を感じることが出来なかったのは、それが理由に違いあるまい。


とりあえず、のどかのしゃべり方から端を発した和宏の疑問は、これで氷解したといって差し支えないだろう。

“りん”の顔を見ながら、のどかはクスリと笑った。


「これでもう……いいかな……?」


「あ、あぁ、うん。サンキュー……」


和宏にとっては、あまりにややこしくて複雑な話。

頭の中が一杯一杯になりすぎて、これ以上は本気マジで頭がパンクしそうだった。


(それにしても……一体、いくつの偶然が重なってるんだろうな……)


そう思いながら、“りん”はフーッとため息をついた。


どう考えても非現実的な精神の入れ替わり。(和宏自身が経験しているので認めないわけにはいかないが)

入れ替わり先が、異世界パラレルワールドの妹の中だった。

そして、この世界では、兄の悠人(自分)はもう死んでいた。


何より……。


そんな“非現実的な精神の入れ替わり”を経験した二人が、この名もなき裏山に、今一緒に佇んでいること――。


それに勝る偶然はない……と、和宏は思った。


 ◇


すでに陽は傾きかけていた。

うっすらとオレンジ色を帯び始めた太陽が、裏山の斜面を広く照らす。


悠人のどかの境遇と和宏りんの境遇。

一体これからどうなるのか……全くわからない。

唯一つハッキリしているのは、今のままでは、和宏は甲子園を目指すことすら出来ないということだけだ。

“性別”という超えられない壁が“りん”の前に立ちはだかっている限り。


「一体オレたち……、いつ元に戻れるのかな……?」


“りん”は、どんどんとオレンジの度合いを増していく夕陽を眺めながら、呟くようにのどかに語りかけた。

出来ることなら、一刻も早く元の世界に……元の身体に戻りたい。

それが、和宏の心の底からの本音だったからだ。


スゥッと吹き抜けた夕暮れ間近の風が、草木をザワザワと揺らした。

だが、のどかはずっと黙りこくったまま。

“りん”は、怪訝に思いながら、のどかの方をチラリと見た。


(……っ!)


目に入ってきたのは、“りん”の視線に気付くことなく夕陽を眺め続けるのどかの横顔。

どこか遠くを見る物憂げな瞳と、伏せがちな長いまつげ。

そして、今にも涙が零れ落ちそうな切なげな表情。


まるで……触れたら壊れてしまいそうな――。




“りん”の心臓がトクンと跳ね、その鼓動が少しずつ速さを増していく。

今まで見たことのないのどかの表情に。

うっすらとオレンジ色に染まったのどかの横顔に。


(なんで……?)


和宏がそう思った時、校舎からいつものチャイムが鳴り響いた。

今となっては聞き慣れた、17時を知らせるチャイムである。


あ……っと、小さな声を上げたのどかは、何かを思い出したかのように立ち上がった。

のんちゃん堂の手伝いをするために、のどかは、いつも17時には下校(第53話参照)するからだ。


「じゃあ和宏……わたし、先に帰るから」


「あ、あぁ……」


そう言ったのどかは、踵を返して一目散に斜面を駆け下りていく。

その斜面の途中で急に立ち止まったのどかは、“りん”の方を振り向き、いつもの笑顔を全開にして叫んだ。


「また……明日ね! りん!」


大きく手を振って、またのどかは斜面を駆け下りていった。

その姿は、校門をくぐると、やがて“りん”の視界から消えた。


(また明日……か)


最後に手を振っていたのどかの表情は、間違いなくいつもののどかの笑顔だった。

だが、まるで、さっきまでの物憂げな表情が嘘だったかのような笑顔に、和宏はホッとすると同時に戸惑いも感じていた。


のどかが明かしてくれた“のどかの正体”。

自分は、のどかの兄の“久保悠人”だと……のどかは確かにそう言った。

のどかに限って、絶対に嘘などついていないはずだ。

それなのに……この不安な気持ちは一体なんなのだろう?


そんなことを考えている内に、いつの間にか体育館やグラウンドからの掛け声が、あまり聞こえなくなっていた。

もう一日が終わろうとしている証拠だ。

だが、さっき見たあの悲しげなのどかの横顔だけが、未だに和宏の頭に焼きついている。

そして、その時感じた心臓の高鳴りの余韻は、まだ残ったまま。


「どうしてなんだよ……」


“りん”は、小さく呟いた。


次第に落ちていく夕陽と、長くなっていく影。

なお一層冷たくなり始めた夕暮れの風が、辺りの草木を揺らし、ざわざわという音を奏でていく。


“りん”は、揺れるポニーテールと、はためくスカートに構うことなく……人のまばらになった校門あたりを眺めながら、再び呟いた。


(あの時ののどかはどうして……)


――今にも消え入りそうなほど……儚げに見えたんだ……?

2013年3月31日 

悠人の世界の家族構成を“三人(母・悠人・のどか)”から“四人(父・母・悠人・のどか)”に修正しました。(特に大きな意味合いはありませんが、登場人物の気持ちなどを考えるとこの方が自然のため、念のため修正いたしました。)

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