第114話 『のどかの正体 (3)』
あの“滝南”との練習試合が終わり、次の月曜日。
あの日の残暑がウソのように秋めいて、今日に限っては、晴れているにもかかわらず、半そででは肌寒ささえ感じる気温だ。
和宏自身は、もともとが寒さに無頓着なタイプのため、半そでのサマーセーラーを着て平気な顔だったが、登校中の生徒の中には、薄手のカーディガンを羽織っている女子生徒すらいるほどだった。
そんな中、登校してきた“りん”が教室に入やいなや、ソフトボール同好会の会長……上野あかりが、鼻息荒く話しかけてきた。
「おはよー、りん! またピッチャーしたんだって?」
「へっ!?」
上野の例のダミ声と、その小太りの体躯から発せられる迫力に、“りん”は一歩仰け反った。
「さすがはりんだね。まさか滝南相手にパーフェクトピッチングとはねぇ……! 今からでも同好会に入らない?」
おばさん体型を誇示するかのようなガハハ笑いとともに、さりげない勧誘まで。
妙に正確に事情を把握している上野に、“りん”は目をパチクリさせた。
「イヤイヤイヤ。つーか、なんで知ってんの?」
「え? だって、ホラ……」
上野が、「向こうを見てごらん」とばかりに指差した先には……栞の姿。
よく見ると、男子と女子合わせて六人程度の生徒を相手に、身振り手振りを交えながら、夢中になって“何か”を熱弁している。
「その時っ! ボールがグググッって曲がったんです! その曲がり方はハンパじゃなくて……言うなれば魔球“りんボール一号”……」
わずか一節を聞いただけで、和宏は頭がクラクラしてきたのを感じた。
こんな調子で、先日のことを言いふらされては、たまったものではない。
“りん”は、栞の背後から近づき、セーラー服のエリをムンズとつまみ上げた。
「あわわ……な、何をするんですか~!」
「いーから。ちょっとコッチに来てもらおうか……」
“りん”によって、有無を言わせず、教室のスミっこまで連れてこられた栞。
ワケもわからず連れてこられた栞は、腕組みをして仁王立ちの“りん”の姿を見て、いたってのんきな声を上げた。
「あら、りんさん。おはようございます!」
「おはよ……ってか、何やってたんだ?」
「もちろん、りんさんの活躍をみなさんに知ってもらうために、じっくりと説明を……」
(……せんでいい)
栞には100パーセント悪気がないことは、和宏にもよくわかっている。
だからこそ、“考える人”のように右手で額を抑え、「やめてくれ……」という気持ちをジェスチャーで表すことしかできなかった。
「ハァ……」という切ない吐息をもらしながら。
「どうしたんですか? 風邪ですか?」
そう言って、栞は“りん”の額に手を当てて熱を計り始めた。
当然のことながら、熱などあるはずもないのだが。
どうやら、栞は空気を読む能力が乏しいようだ。
そうとわかれば、これ以上は何を言っても仕方のないことである。
“りん”はムリヤリ話題を変え、本題に入った。
「ところでさ、栞は……のどかと知り合い?」
「え……りんさん、のんちゃんを知ってるんですか!?」
「ま、まぁね。トモダチだから」
「それは奇遇です~♪ 私は中学校時代に、のんちゃんと一緒のクラスだったんですよ!」
なるほど。中学校時代のクラスメイトか……と、和宏は心の中で納得した。
のどかがこの辺に引っ越してきたのが、大体四年前のこと。
つまり、中学校の時だ。
おそらく、引っ越して来る直前のクラスメイトだったのだろう。
「その頃ののどかって……どうだった?」
「えっ? ど、どういうことですか?」
栞は、少し困った顔をして肩をすくめた。
確かに、『どうだった?』と聞かれても、漠然としすぎていて答えようがないかもしれない。
「い、いや、その……今ののどかと比べて変わったトコロとか……なかった?」
「変わったトコロですか? そうですね~……身長もあまり伸びてなかったし……昨日話した感じじゃ『変わってないなぁ~』って思いましたよ?」
(……)
「ただ、表情が明るくなっていたので良かったな~……って思いましたけど」
「明るく……?」
「はい。実は、のんちゃんにはお兄さんがいたんですけど、四年前に亡くなっちゃって……」
“りん”は、軽く頷いた。
のどかに兄がいたこと……そして、その兄はもう亡くなっていること。
その話は、すでに大吾に聞かされていたこと(第90話参照)だったからだ。
「お葬式の時はもちろん……その後もしばらく酷い落ち込み方でしたから……」
栞の瞳が、当時のことを思い出したかのように、わずかに曇った。
その時の状況を知らない和宏にとっては想像することしかできないが、栞の表情から察するに、相当な落ち込みようだったのであろう。
「そんなに兄さんが好きだったのかな?」
「そうですねぇ~。いつもお兄さんと一緒にいる感じでしたね。普段の口調までマネてましたし」
「マネ?」
「はい。のんちゃんのしゃべり方ってちょっとヘンだと思いません? あれ、お兄さんの影響なんですよ」
そう言いながら、栞はクスリと笑った。
兄を慕う妹の姿……そんな感じが、栞の笑い方から伝わってくるようだ。
和宏は、そういった兄妹愛には無縁の一人っ子だったが、その微笑ましさはなんとなくわかる。
一体どんな兄だったのか……その顔を想像した時、和宏の中でピコンと豆電球が光った。
「ひょっとしてさ。のどかの兄さんって……すごいイケメンだったりする?」
「それはもう!」
我が意を得た……とばかりにパチンと手を合わせる栞。
ちなみに、その表情は何故か妙に嬉しそうだ。
「となり町の女子高にもファンが大勢いたくらいだったんですよ! のんちゃんの自慢のお兄さんだったんですから!」
興奮気味の栞を見て、和宏は、のどかの部屋にあった“あの写真”の男の顔を改めて思い浮かべた。
“のどかの兄さん”と思えば、確かにのどかや父親の大吾の面影が感じられなくもない。
どうりで、どこかで見たことがあるような気がしたわけだ。
付け加えて、あのイケメンぶりや爽やかそうな佇まい……やはり、あの男こそが“のどかの兄”で間違いないだろう。
(自慢の兄さん……か)
確かに、あれだけ美形の兄がいたら、妹としては自慢の一つもしたくなるかもしれない。
そう思いながら、“りん”は軽く唸った。
「でも、それがどうかしたんですか?」
「ん……?」
口を曲げながら唸る“りん”を見て、栞はキョトンとした感じで首を捻った。
「ああ……イヤ、ゴメン。な、なんでもないよ!」
取り繕うような愛想笑いを浮かべる“りん”の不自然な態度に、ますます首を傾げる栞。
たが、「園田さ~ん! 今日は日直になってるよ~!」という男子の声が聞こえた途端、「アッ!」っという、声にならない声を上げた。
「ごめんなさい~! すぐ行きま~す!」
日直の仕事は、朝から色々とあるため、何気に忙しいのだ。
栞は、「じゃあ、りんさん……私、行きますね!」と言って、慌てて本日の日直の相方である小田島の元にパタパタと駆けていく。
“りん”は、その後ろ姿を、なんとなく見送りながら呟いた。
(ふ~む。のどかは以前から“あんな感じ”だった……ってことか)
“りん”は、教室のサッシ戸を開け、一人ベランダに出た。
そして、おもむろに手すりにヒジをついて外を眺めた。
向かいには管理棟が立ちふさがり、その後ろに体育館が……さらにその後ろには裏山がそびえ立つ。
まだ、朝方のため、窓からのぞく管理棟の廊下に人影はほとんどなかった。
朝のひんやりした空気が、半そでのサマーセラーを着た“りん”を包み込む。
だが、“りん”にとっては、そんな肌寒さなど、さして気にならなかった。
栞から聞いた話を反芻しながら、考え事を続けるのに夢中だったからだ。
途中で、のどかの兄の話に脱線してしまったものの、今ののどかと以前ののどかとの間に特別変わったところは感じられない。
以前ののどかをよく知っている栞でさえ、今ののどかに対して、さして違和感は抱かなかったようだ。
途中で“精神が入れ替わった”というのに。
異物感のような釈然としない思いが、和宏の胸の中にジワジワと広がっていく。
のどかも、和宏と同じように、ある日突然“のどか”になったはずなのだ。
少なくとも、のどかはそう言っていたはずだ。
だが、以前ののどかと今ののどかとの間に違和感がないのは何故なのだろうか?
それとも、ある日突然“のどか”になっていた……というのは“嘘”だったのだろうか?
ならば、何故そんな嘘を?
和宏の頭の中を埋め尽くしていく疑問の数々。
しかも、いくら考えたところで、どれ一つとして答えなど出そうもないものばかり。
(あとは……のどかに直接聞いてみるしかないか……)
和宏は、東の空の朝日を眩しそうに見上げながら……そう思った。
――TO BE CONTINUED