第113話 『のどかの正体 (2)』
階下から、再び「ガラガラ」と引き戸の開く音が聞こえた。
聞こえてくるのは、その音だけではない。
のどかや大吾の元気な声。
客同士の会話と笑い声。
焼きそばを焼く時のジュージューという鉄板の音。
“りん”は今、のんちゃん堂の二階……のどかの部屋にいる。
ドアが少し開けられているせいか、階下の店の音は、のどかの部屋まで、想像以上に筒抜け状態だった。
たった今、引き戸を開けて入ってきた客の第一声も、やはり“りん”の耳にハッキリと届いた。
「あの……ここで高校生が祝勝会やってませんでした……か……?」
聞き覚えのある凛とした声……栞の声だ。
『ああ……。マネージャーなら先に家の用事済ましてから……って言ってたな。後で合流するんじゃねぇ?』
栞はどうした? ……という質問に、山崎は確かこう言っていたはずである。(第109話参照)
もう祝勝会の終わってしまった今頃になって、ようやく到着したということは、おそらく“家の用事”とやらが長引いてしまったのだろう。
「あ、え……と、つい先ほどまでやってたんですけど……」
「……」
「……」
唐突に止まった会話。
のどかなら「もう終わってしまいました」と台詞を紡ぐだろうし、栞なら「そうですか。わかりました!」と元気良く返しそうなものだ。
しかし、現実には、二人とも黙り込んでしまったように何もしゃべらない。
(なんだ……?)
妙な間と、伝わってくる雰囲気に、ドアの外に注意を向けたままの和宏が違和感を感じた時だった。
「ひょっとして……のんちゃんですか!?」
(……っ!?)
思いもよらない栞の台詞に、一瞬気持ち悪さを忘れるほどの衝撃が、和宏の頭を突き抜けた。
だが、次の瞬間……さらに和宏を襲った衝撃は、それ以上だった。
「……し、栞?」
聞き慣れたのどかの声。
聞き間違うはずのない声が、確かにそう言った。
二階ののどかの部屋にいる“りん”には、二人の姿は見えないが、お互いが様子を窺っているのが気配として伝わってくる。
(まさか……知り合いなのか? この二人……!?)
のどかと栞……一体、この二人のどこに接点があるというのだろう?
そんなことを考えながら、聞き耳を立てる“りん”の心臓の鼓動が急に早くなった。
まるで、のどかの秘密を覗き見しているような……そんな気がしたからだ。
「ど……どうしてここ……に?」
心底驚いたようなのどかの声が、辛うじて“りん”の耳に届いた。
「あ……私は、ついこの間、両親の仕事の都合でコッチに引っ越してきたばかりなんですけど……」
「ひ、引っ越してきたって……もしかして、A組に入ってきた転入生ってまさか……?」
「ということは……ひょっとしてのんちゃんも鳳鳴高校……?」
ここで、二人の会話が途切れた。
というよりも、お互いに言葉を失った感じである。
「ぅわ~っ! スッゴイ偶然ですね~!」
「そ、そうだね。わたしもビックリしたよ」
「私の方こそ! 鳳鳴高校にのんちゃんがいるって最初からわかってたら、心強かったのに……」
「あはは。よく言うよ。栞のコトだから、転入初日から野球部のマネージャーでもやってるんじゃない?」
(当たりです……)
和宏は、見事に栞のコトを言い当てたのどかの鋭さに、改めて舌を巻いた。
沈黙を破った栞の声を皮切りに、だんだんと滑らかになっていく会話。
そして、その会話の内容からは、かなり仲の良い友だちだったのがよく伝わってくる。
「でも良かった……元気そうで。“あれ”から心配だったんですから……」
「ごめん……」
「あ、違うんです……そういうつもりじゃ……。私、余計……とを……」
「ううん。大丈……から」
二人の声が、徐々に低くなっていく。
ついには、二人の会話が“りん”の耳に届かなくなってしまった。
時折もれ聞こえてくるのは、「はい」とか「うん」などの相槌のみだ。
(一体、なに話してんだろ……?)
“りん”は、忍び足でドアのそばまで寄り、階下の声に聞き耳を立てた。
「ところで……」
「なんだい……?」
「あんまり背が伸びてないんですね。のんちゃんは」
何気に、栞が失礼なことを言い出した。
ちなみに、のどかの身長は145センチ、栞の身長は161センチである。
「身長のことは放っておいてくれないかな……」
そう言って、口を尖らせるのどか。
例え見えなくても、その様子が、“りん”には手に取るようにわかった。
のどかは以前から背が低かったんだな……ということを知った“りん”は、気分の悪さを一瞬だけ忘れて、口を綻ばせた。
「フフ……。でも、そのヘンなしゃべり方も相変らずですね~……」
そう。のどかのしゃべり方はちょっとヘンなのだ。
どこか冷静で、大人びた……まるで男のような口調は、明らかに外見とミスマッチしている。
やっぱりみんなもそう思うよなぁ……と、込み上げてくる笑いを堪えた時、和宏の頭の中にふと“ある疑問”が浮かんだ。
(待てよ……?)
相変らず……?
以前からそんなしゃべり方……?
ザワザワとした違和感が、和宏の頭の中を包み込んでいく。
初めてのどかと会話した日。
その独特の口調には、和宏とて違和感を覚えた。(第8話参照)
そして、それは“のどかの中身が男だから”そういうしゃべり方なんだろう……と、漠然と思っていた。
今、“りん”がそういうしゃべり方をしているように。
だが、のどかの中身が“男”になる以前から、こんなしゃべり方をしているのだとすれば……?
のどかの可愛らしい笑顔には、何度となくドギマギさせられた。
ついには、“抱き締めたい”という気持ちにさせられることすらあった。
なんでこんな気持ちになってしまうんだ? ……と、自分自身に戸惑いを感じさせるほどに。
それらの出来事が、一本の線となって、和宏の頭の中でつながっていく。
そうして導き出されたのは、今まで考えもしなかった疑問だった。
(のどかって……本当に“男”なのか……?)
――TO BE CONTINUED