第106話 『Perfect Game (12)』
この鳳鳴高校との練習試合に、二軍で挑んだ滝川南高校……通称“滝南”。
実は、滝南にとっては、この試合の勝敗の行方など、さして問題になる部分ではなかった。
なぜならば、この試合は、実践を通じて二軍メンバーを鍛えることが目標であり、そのために“二軍よりも多少強いチーム”を相手に据えた試合だからだ。
もちろん、その“二軍よりも多少強いチーム”として、鳳鳴高校が選ばれたのは言うまでもない。
しかし、今や状況は一変していた。
突如現れた女性ピッチャーに、パーフェクトリリーフを許そうとしているのだ。
油断していた。
たった三回。
対しているのは、所詮二軍メンバー。
いくつものエクスキューズはある。
だが、それでも……このまま名門“滝南”が、女性ピッチャー“ごとき”に、ランナーの一人も出すことすら出来ずに抑え込まれるわけにはいかない。
もし、そんなことにでもなれば、あまりにも体裁が悪すぎるのだ。
故に、滝南にとっては、何が何でもヒットを打つ必要があった。
そして、チャンスはもう、この九回表の攻撃のみ……。
◇
「スットライクバッターアウトォーッ!」
滝南の二番バッターの三振。
前の回に、一番バッターを三振に取っているので、これで二者連続三振である。
今さらながら、滝南の三塁側ベンチがザワザワし始めた。
「おい……あの球なんだ……!?」
「スゲェ曲がったぞ!?」
「スライダーか……?」
ようやく滝南の二軍メンバーも、マウンド上のポニーテールをなびかせている少女が難敵であることを認識したようだ。
高精度なコントロールに加え、カーブやシュート……それに、見たこともない程よく曲がるスライダーまで持っているとあっては、確かに認識を改めざるを得ないだろう。
彼女は、鳳鳴のエースである御厨よりも手ごわい相手である……と。
◇
「りんさん……。まだ一本もヒットを打たれてないんですね……」
栞が、スコアブックを見返しながら、誰ともなく呟いた。
もちろん、それどころか、ただ一人のランナーすら出していない。
「それって結構スゴイことっ?」
栞の独り言のような呟きを聞きとめた東子は、何気なしに尋ねた。
もっとも、野球のことをよく知らない東子にとっては、今一つピンと来ていない様子だったが。
「もちろんですよ! エースの御厨さんだって何本かヒットを打たれているんですから」
栞は、少々興奮気味に答えた。
「ふーん……。ひょっとしてさ。りんってば、一本もヒットを打たせないつもりなんじゃないかしら?」
「……?」
「相手は二軍って聞いてさ、『なめやがって~!』……みたいなノリで」
「あっ! それあるかも~っ!」
沙紀の意見に、東子が手を叩いて同意した。
さすが仲が良いだけあって、二人とも、よく和宏の性格を掴んでいる。
「でしょ? 野球バカの上に熱血バカだから……りんは」
(……すごい言われようですね……)
二重にバカ扱いされる“りん”の不憫さに、栞は苦笑した。
しかし、もし本当にパーフェクトに抑えることが出来たら、どれだけみんなの溜飲が下がることだろうか。
栞もまた、練習試合を申し込んできておきながら、二軍を当ててきた滝南のやり方には憤りを感じている。
絶対に勝ちたい……と思う気持ちは、例えマネージャーであっても、選手たちと同じだった。
(りんさん……)
栞は、スコアブックを持つ手に力を込めながら、マウンド上の“りん”を祈るような気持ちで見つめた。
◇
大村の出すサインに、“りん”は力強く頷いた。
ポニーテールをなびかせながら、“りん”の右手から放たれたボールは、バッターの内角に真っ直ぐ向かっていく。
そのボールに、タイミングをピタリと合わせ、フルスイングするバッター。
打たれるっ! と、栞たちが肩をすくめた瞬間……金属バットは空を切った。
金属バットを避けるように大きくスライドしたボール……“りん”の決め球、スライダーだ。
「ストライクバッターアウトォッ!」
主審・山本の一際大きいコールが響く。
一塁側ベンチの沙紀や東子から、歓声が上がった。
「やった~!」
「すっごいよ! りん~!」
これで、三者連続三振。
栞は、スコアブックに三振を表す“K”の文字を書き加えながら、目一杯の声を張り上げた。
「あと……、あと一人ですっ! りんさんっ!」
“りん”は、栞たち……ベンチの声援に、軽く右手を上げて答えた。
だが、気を抜いているヒマはない。
次のバッターこそが、最後の難関……強豪滝南のレギュラーである松岡なのだから。
(あと一人……か)
そう呟きながら、“りん”は額に浮かんだ汗を、アンダーシャツの袖で拭った。
あの背番号“2”が、チラリと“りん”を見ながら、ゆっくりとバッターボックスに向かう。
そして、バットを構えた途端に発せられたのは、まるで刺す様なプレッシャー。
(これが“本物”ってヤツだな……)
“りん”は、ゴクリを息を飲んだ。
だが、和宏とてプライドがある。
相手は二軍だったとはいえ、ここまで完璧に“滝南”を抑えてきたのだ。
例え一軍であろうと、俺のタマが全く通用しないはずがない。
そんなかすかな自信が、和宏の中に芽生えつつあった。
しかし……芽生えたばかりの和宏の自信は、第一球から打ち砕かれた。
三塁線へ、サード山崎が一歩も動けないほど痛烈な打球。
ファールになったものの、“りん”たちの度肝を抜くに十分な打球だった。
『その代わり、ボクが打ったら……一日デートしてもらおうかな?』
八回裏、松岡が“りん”に呟いた台詞が、否応なしに“りん”の頭の中をリフレインした。
同時に、引きつった半笑いを浮かべる“りん”の背中を、一筋の冷たい汗が流れ落ちていく。
(タハ、ハ……。やばい約束……しちゃったかな……)
――TO BE CONTINUED