第104話 『Perfect Game (10)』
回は、八回裏……鳳鳴の攻撃に移った。
ここまでのスコアは1-1。
しかし、ここまでの試合展開は、決して互角だったわけではない。
毎回のようにランナーを出しては点が取れない鳳鳴に対し、チャンスらしいチャンスがほとんどない滝南。
にもかかわらず、1-1の同点なのだ。
そして、この回も鳳鳴はチャンスを掴んでいた。
ノーアウト二塁一塁。
七回から代わった滝南のピッチャー……背番号“30”は、七回こそ無難に抑えたが、八回に入っていきなり二者連続四球と崩れた。
マウンド捌きがぎこちないところを見ると、まだピッチャー経験が乏しいのかもしれない。
「……力が入りすぎてるね。もっとラクにいこう」
「は、はい……。すいません……」
マウンド上のピッチャーの元に駆け寄った松岡が、努めて優しい口調で、肩を回すジェスチャーとともにアドバイスをした。
一年生と思しき、この背番号“30”のピッチャーから、妙に力みが感じられたからだ。
おそらく、あの“萱坂”とかいう女性ピッチャーの影響だろう……と松岡は思った。
滝南を相手に堂々と投げ込んでくる“りん”を見て、「女に負けてたまるか!」と、力んでしまったことは想像に難くない。
とりあえず松岡の一声により、幾分は肩の力が抜けたようだ。
松岡が、キャッチャーボックスに戻ると同時に、鳳鳴の七番バッター……大村が打席に入った。
◇
「りんさん……。アンダーシャツは替えたほうが良くないですか?」
「いや、いいよ。大丈夫」
真夏を思わせる暑さのせいか、“りん”の額には汗が滲んでいる。
汗を吸ったアンダーシャツは、急激に肩を冷やす要因になりかねないため、栞は替えのアンダーシャツを用意しようとしたが、ベンチに腰掛けながら、大村の打席に注目する“りん”は、それを断った。
ノーアウト二塁一塁というチャンスに巡ってきた大村の打席。
すっかりゲームに入り込んでいる“りん”にとっては、アンダーシャツよりも大村の打席の方が重要だったからだ。
グリップエンド一杯まで長く持った金属バット。
右バッターボックスで見せる大きな構え。
ノーアウトランナー二塁一塁という状況で、まず考えられるのは“送りバント”だ。
成功すれば、ワンアウトランナー二、三塁というビッグチャンスになる。
ところが、大村のバッターボックスでの様子からは、“送りバント”をしそうな雰囲気は全く感じられない。
“りん”は、すぐ近くに腰を掛けている山崎に尋ねた。
「なぁ……。送りバントとかしなくていいのか?」
「あぁ? 送りバント?」
「そうだよ。ノーアウトランナー二塁一塁だぞ?」
「……ふむ……」
“りん”の台詞に耳を傾けていた山崎が、突然腕組みをしながら考え始めた。
ただ、その様子は、「送りバントをするかどうか」を考えているというより、「どう言ったらいいものか」と考えているような感じだった。
「……?」
「……次の八番の中曽根が今日は振れてねぇんだよ。んで九番が萱坂だろ? オマエ何とかしてくれんのか?」
「う……」
“りん”は、思わず口ごもった。
自慢ではないが、打つ方はもともと得意ではないし、ただでさえ最近は投げる方の練習ばかりで、打つ練習など皆無だったからだ。
「こう言っちゃなんだけどな……中曽根よりもオマエよりも、大村の方が期待できるんだよ」
「……ハッキリ言うね……」
思わず口を尖らせる“りん”であったが、バッティングに自信が持てない以上……反論も出来ない。
「それによ……大村はバッターとしちゃ恐ろしく不器用だからな」
「……不器用?」
「そうさ。だから、本当は右狙いバッティングとかさせてぇんだけど、わざとノーサインにしてんだ」
ランナーが二塁一塁という場面では、ランナーの進塁を助けるために、右……ライト方向に転がすバッティングがセオリーである。
しかし、不器用な大村にそういう小技の利いたバッティングは期待出来ない。
故に……ノーサイン。
すわなち『好きなように打て』……である。
「それくらい自由に打たせた方がいいんだよ……大村の場合はな」
山崎が、そう言った瞬間、乾いた金属音がグラウンドに響いた。
左中間にグングン伸びる打球。
その打球を必死で追う、滝南の中堅手と左翼手。
“りん”や山崎たちも、総立ちになって打球を目で追った。
落下地点近くまで辿り着いたセンターが、必死で左手のグラブを差し出したが、打球は、そのグラブのわずか上をすり抜けて地面に落ちた。
ワァッ!!!
一塁側の鳳鳴ベンチから歓声が上がったのとは対照的に、三塁側の滝南ベンチからもれたのは盛大なため息だ。
回り込んだレフトが、打球を抑え、素早くバックホーム……しかし、二塁ランナーの矢野は、ボールがショートまで返って来る頃には、すでにホームを踏んでいた。
2-1……鳳鳴は、ついに勝ち越しに成功した。
「「やったやった~♪」」
「ナイスバッティングですー!」
沙紀や東子や栞が、興奮した面持ちで喜びの声を上げたが、二塁にストップした当の大村は、ガッツポーツ一つなく淡々としていた。
「ありゃありゃ……。大村クンもガッツポーズの一つくらいすればいいのに……」
あくまで控えめに、喜びを外に出さない大村を見て、“りん”は苦笑した。
「大村ならガッツポーズなんかしねぇよ。照れ屋さんだからな。オマエとは違うぜ?」
「え~……俺も別にガッツポーズなんかしてないぞ」
「してるじゃないっ!」
「してるしっ!」
「してんだろっ!」
「してるじゃないですか!」
沙紀から、東子から、山崎から、栞から……どういうわけか、一斉にツッコミが入った。
それも当然……派手派手なガッツポーズを披露したのは、つい先ほど(前話参照)のこと。
いつも、気持ちの高鳴りを抑えきれずに、無意識にやっているので、和宏の記憶に残っていないだけなのだ。
「よっしゃ! 萱坂……オマエまで打順回るぞ。ネクストバッターサークルに入っとけよ」
ノーアウトで、ランナーは二塁と三塁。
バッターは、八番の中曽根、九番の“りん”と続く。
ノリノリのベンチの雰囲気に乗せられるように、“りん”は、右手の親指を立てて見せた。
「リョーカイ!」
―――TO BE CONTINUED